見出し画像

【舞台】幾度の群青に溺れ

劇場のある建物を出て一分。
すぐさま想いを書き留めたいと思うほどだった。

『いのちはおもい。
生かされてください。』

最後真っ直ぐに客席を向いて放たれた言葉はわたしの心をぐちゃぐちゃにした。

堂々というものではないが
今飛び降りたら楽になれるかな
と思ったことがないわけではない。

そんなわたしには自分ごとになるしかなかった。


ものすごく作品にするのが難しいお話だと思った。
一つ間違えたら人を傷付けかねない。

『ひとの死をエンタメにするな』

そんなようなことを劇中誰かが言っていた。

そんな作品が凶悪犯罪事件を想起せざるものをつくるとは、どんなに考えることがあったのだろうか。

繊細に、でも、ぼかすことなく、真摯に向き合われているように感じた。


わたしは地下鉄サリン事件を知らない。

言葉としては知っているけど、歴史の一つとして頭にはあるけれど、何も知らない。

大学でカルトと心理学の授業をとったことがある。

カルトは些細なことで引き込まれ巻き込まれる。
もう浸かってしまったら外が何を言おうが抜け出すことは難しい。

それがものすごく刺さってきた。

心が弱ってる時こそ、危ない。
みんなただ苦しさから解放されたくて気付いたらそこにいる。


ただそんな彼らは弱いんじゃない。
必死に生きたくて辿り着いた先がそこ。

自分が求められている、必要とされている。
そう感じさせられてしまうだけなんだろう。


ただ、わたしはどうしてもカルトを全方向から否定できない。

もちろん、悪いことはわかっていて、凶悪犯罪事件は起きてはいけないし。

だけど、その、団体の上の人も何かしら抱えた結果、こうなってしまったわけで。

彼らには彼らの苦悩が、ある。


タイラちゃんは儚くずっと危なっかしいのに、どこか強さ、多分その強さはある意味人生への落胆なのか達観なのか、があって心はどこにあるのだろうか、と思った。

ただそれは持って生まれたものを上手に認めてあげられなかっただけ

自分の唾液が誰かの眠りを誘うとかそんな魔法みたいなものは確かにリアルな世の中では存在し得ないのだろうけど

ひとそれぞれ生まれもってきたものが違って、その些細な違いが人を孤独にして、一ミリ踏み外せば命を捨ててしまったり人を傷付けかねないのは

誰も同じで、現実にあることで

劇中のお話としてはタイラちゃんが一番現実離れしていたと思われるかもしれないのに、一番人間らしかったのは彼女だった。


キ上の空論さんは初めての観劇でしたが、ずっと気になっていて、どんな作風なのだろうかと、かなり楽しみにしていた。

開演前から音楽がすごいこだわられているのがひしひしと感じられ、そのこだわりはそのまま増幅するように劇中でも感情を煽られた。

演劇ではむずかしいとされやすい回想をここまでうまく組み込むのか、ということに驚き、照明も素敵だった。

そして、お芝居がついてこなきゃ浮いてしまうようなクオリティがあちこちに散りばめられている状態にもかかわらず、それを超えるリアルな役者の魂がたしかにそこにあった。

入り込みすぎては危険だと思うほどに、たまに冷静になろうと自制するほどに、濃すぎる作品であった。

もっと何回もなんならメモりながら見たらもっといろんな発見とつながりとこだわりが探せそうで、特に色なんか、もっと見てあげたかったなと思う。

わたしは舞台を誰かのキャストを推す目的で見ていない上、一つの作品を何度も見る余裕はないから、悔しいと思いつつ、だからこそ一回にかけて集中してみてしまうのが舞台の醍醐味だなとあらためて。

今まであらゆるジャンルのあらゆる大きさのあらゆる舞台を見てきたなかで、確かにお気に入りの作品とか刺さる作品は別にもあったけれど、過去一に全てのクオリティがよかった作品だった気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?