社会人6年生のお気持ち

社会人になってから5年が経ち、
6年目に突入というなんとも微妙な月日がたった。

アラサーの階段を登りたくなくても登ってしまい、いろんな感情がまとわりついてくるこの感覚はなんとも文章に落とし込めない。

職務経歴書なんかは契機があれば書くものだけど、人生のお気持ちなんて鍵垢ぐらいでしか垂れ流さず、それらもまとめようとは思わない類のものだけど、気まぐれを起こしたので社会人になる前から今までをさっくりまとめたいと思う。
エッセイにもならないキモい自分語りで、誰かに見てもらいたいわけではなく自分を客観視したいだけなんだけど、書くからには誰かに見てもらいたい気持ちもあったりする。見てもらいたいんじゃねーか。
多分4000字ぐらいにはなりそう。



2017年に新卒で金融系SIerっぽいところに就職し、2年間学びもあれどそれなりの闇に浸かっていた。自分にとって必要な時間と仕事だったという気持ちもあるが、普段働いていて人の生き死にを意識する時が稀にあるITの会社ってなんだよという気持ちだった。そういう感じの闇である。働くって大変だね。

2019年4月から今の会社に転職した。未経験という扱いだった。

学生時代は専門学生だというのにコードもろくに書かずアルバイトに明け暮れていた。多い時で3つ4つは掛け持ちしてたはず。当時の暮らしや人間関係と猫8匹をなんとか守るために必死だった。命を守るためには金が必要ということを強く意識した。物づくりが好きだったことも忘れて、ただその時、大切だと思っていた人のためならなんでもいいやなんていう思考に時間を使っていた。
当然ながら大いなる破局は来るもので、100%ダメカを用意していなかったためメンタルブレイクしたり就活の不安だったりで無事に病んだ。お空では常識なはずの救援は誰も来ないしエリクシールは使えない。現実はそんなもんだった。でもタコピーの東くんが思い至ったように、誰かを救おうとしたらダメで、その誰かを救おうとしたから自分は崩れただけの話でもあった。救おうともせず話聞いてくれた当時の人たち、サンキューな。

コミュニケーション能力に莫大な負債を抱えていた人間もどきが、それとなく人間らしくなれたのは間違いなく当時の人間関係が起点なので今となっては感謝しかない。それはそれとしてバイトに明け暮れて勉強はほとんどしなかったため、社会に出るにも関わらず生産性は何もない人間もどきが2016年あたりに爆誕しており、その負債は2019年の自分自身にそのまま跳ね返ってきた。

話がかなり脱線したが、学生の頃は上記の通り、勉学からは程遠い生活を送っていたため、社会人3年目の時に初めて未経験からエンジニア採用という運びになった。
待遇は未経験の身分相応というもので、年収ベースで150ぐらいは下がったはず。腐っても大手であり特殊な働き方をしていた前職は新卒の手には余る程度の金をもらっていたという要因が大きい。待遇が、貰いすぎていた水準から何もできない水準になると労働の意味を考えざるを得ない。あと前年度の給与ベースで税金がかかるので普通にしんどかった。

何もできない自分を心底呪った。何もできないという評価を覆したかった。
昔、2chやまとめサイトでよく見てた、本気を出せばどうにかなるはずだったのに本気の出し方すら知らないままこの歳になってしまった系のコピペが24~25歳になって本気で刺さるとは思ってなかった。そんなの誰も教えてくれなかった。
高校生の頃に憧れたはずの物づくりの現場にいるはずなのに自分は手を動かす方法すら知らず、まともな戦力としてすらも数えられていない。自分の夢や理想なんて程遠く、自分との小さな約束すらも破り続けてるだけの人間もどきが嘆いたところでどうにもならないが。でも、ただただ変わりたかった。

そんなこんなで、3年が経った。
ReactNativeでごにょごにょ作ったり、python + opencvでごにょごにょ作ったり、React + TSでごにょごにょ作ったり、AWSに初めて触れてごにょごにょしたり、Lambdaで業務ドメインを実現するためにNode.js + TSでごにょごにょ作ったり、LINEやTwitterといったSNSのAPIを使ってごにょごにょ作ったりしてきた3年間だった。
ついでに専門学生の頃に取った基本情報以来の資格取得をした。AWS DVAの認定資格。仕事で頑張ってきたことや、仕事で頑張るために自分なりに業務外で頑張ってきたことは丸っきりの無駄ではなかったと形あるもので証明されたことはとても安心できた。

待遇で言えば3年間で大幅に改善された。今では年代の平均値以上の年収はもらえている。満足はできていないが。
スキル外のところで言えば、現在の仕事をしている中でフリーランスの方から一緒に働いてみないかと声がかかった。いきなり自分の身一つを立てて仕事をしていくことは不安の方が大きく、丁重に断りはしたが、いつか機を改めて良いお返事がしたいというのが正直なところだった。
自分の仕事が、自分が足掻いてきたことが業界の人に認められたという劣等感の解消、承認欲求の満たされ方が尋常ではなかった。

こういう風に書くと頑張ったとも思えそうだけど、実情はコンピュータサイエンスの上辺、それも表面の方だけをかじっているだけなのは否定できない。
勉強から逃げ続けてきたやつが、社会人になって劣等感だけを糧に勉強を継続できるようになってたら誰だって苦労していない。
だからこそ、劣等感を完全に解消させることなく良い感じにこいつを燃料にしていかないといけないんだなという気づきがある。人並みになれない人間は人並み以上に頑張ることでしか生きていけない。満たされたからと言って手と足を止めてしまえばまた取り返しがつかない焦燥感に駆られるということを肝に銘じたい。

ろくでもない学生時代を過ごし、そのまま大手の会社に就職したら、特段スキルは求められずとも明るい未来もないような人生が見えてしまい、一念発起して転職すれば今までの不勉強を真正面から受け止めて学生の頃の負債を返しているだけの社会人5年間だったと思う。
特筆すべきことも無いし、何者にもなれなかったし、今から何者かになろうという気概も無い。等身大のサラリーマン人生があっただけだった。
自分に驕り、虎になって嘆いていないだけマシな人生なのかもしれない。



冒頭の通り、社会人6年目は大きな節目でもなく、大したものでもないと思うが、
5年間社会人やってればパワハラやセクハラやアルハラ、一緒に働いていた人の鬱、冒頭で記述した通りに意識したこと、などなど世間一般のニュースで騒がれている大体のことは経験してきたと思う。
いちいち自分の身の回りのことに目くじらを立てて指摘してたらキリがなかったし、そういう環境からは逃げるという選択肢が一番賢いと思う。自分が救ってあげようなんて思ったらダメなのだ。

そんなこんなでつい去年に自分もついにその当事者となってしまい、めでたくn回目となる病みになった。
去年まで労働基準法をまともに知らなかったのもあり、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならないという原則に抵触している事態を関知できなかった。

人たるに値しない生活を送っていたという事実がまぁまぁ突き刺さった。
でも仕事をしていたら、そんなこといちいち気にしてたらキリがないという気持ちも分かりたくはないが分かる。
でもこういうのを飲み込むから、いつか首を吊る吊らないの問題に発展するんだという経験からの予感があった。
環境を変えるという選択肢が思い浮かんだ。こんな人間を案じて声をかけてくれた人もいた。転職して何もかもリセットしてまた1から頑張ればいい。前回とは違って薄っぺらいものではあるけど約3年の実績がまだある。

でも。
結局それを繰り返したとして。
また同じことになる可能性が捨てきれない。
前向きな転職ではなく、後ろ向きの転職を繰り返してるだけなら根本的なところは何も変わらない。

後ろ向きな転職を繰り返すのが嫌なら、それをしないようにカウンターとなる要素をかき集めなければと思った。
会社・人間に依存せずに仕事をできるようにならなければならない。
例えフリーランスになれたとしても、自分のスキルが無く、繋がりも少なければ会社・人間に依存しているのと何も変わりがない。公的な処理を自分自身で背負わなければならない分、デメリットの方が大きいはず。

会社、人、仕事。これらに依存せずに働いてお金を自分が満足するだけ稼いで、良い感じに休めるような働き方、人生。
ここまで考えて、今の自分には無理だという結論になった。それこそ理想が詰まりすぎていて夢物語ですらも眩しすぎて目が眩むほどだと自分でも思った。

ただ環境を変えるだけだとどうにもならない。
どうにか、その理想に手をかけるための一手が欲しかった。


2~3週間悩んだ結果、副業をしようという結論になった。
長時間労働を機に落ち込んでしまったメンタルを奮い立たせるための解がこれかと自分でも苦笑した覚えがある。

でも、よくよく振り返ってみれば長時間労働なんて学生の頃から考えても今更な話である。
時間だけで言えば、駅地下のコンビニで1日で17時間働いていた学生時代や、前職の緊急対応で12時間以上働いた時や、220h/月程度が自分にとってのテッペンであり、自分はまだ可愛い方なのだと思う。ただ自分はそれを許容できないし何かするための対策は打ちたいというだけである。

今回は、長時間労働を直接なんとかする形ではなかったが、
お金というリソースを可能な限り手に入れること
環境や仕事や人間関係に新しい形を取り入れること
今の自分に満足せず常に試される立場であろうとすること
これらを手に入れるためならば時間は犠牲にしよう、もう30歳まで2年しかない。ただその一心である。

人並みにもなれない人間は人並み以上に頑張るしかない。
これらを会社という組織に所属しながら得て、数年後の自分に、2022年の自分には無かった選択肢が生まれていることを願いながらまた足掻くしかないというところに落ち着いた。

転職してからも、しんどいものが続いたし逃げれば良かったんだけど、
自分のスキルやコンプレックスが根本原因だから逃げてもどうしようもないというのがあり、とりあえず未来の自分に何か新しい可能性が残っている選択肢を2022年の自分はとったつもりでいる。
数年後の自分がこのnoteをどうとらえているかは分からないけどポジティブに捉えれているように祈るしかない。それはそれとして、これも黒歴史の1ページだと思うので台パンしたくなってるとは思う。



そんなことをしてたら病んじゃうよという指摘をもらったりしたが、もう既に病んだ。
たまたまその時に人生を終わらせる選択肢を取らなかっただけであり、生きてるだけで儲けもんの人生、とりあえず本気を出してみるしかない。本気の出し方を知らないまま歳を重ねて後悔だけはしたくない。というお気持ちを抱いた28歳であった、まる



拗らせすぎて解消できなくなった劣等感に折り合いをつけるため、何とかして頑張るスタンスを見せる社会人のフリをする社会不適合者が多分一番正しく形容できていると思う。
あまりにも人生を生きるのが下手っぴすぎた。他の誰かの人生を聞いたり読んだりするたびに心の根っこの方から羨望と劣等感が今か今かとそわそわと顔を出している。
まぁでも人生辛いのはみんな一緒で、誰もが等身大の地獄を生き抜いて今日も一日を頑張ったという状態なんだろうなという思いがある。他の人のことそんな知らんけど。

とりあえず新しい環境に身を置ける準備は整ったのでこれからも頑張っていきたいなという、ただそれだけのことを書くのに4986文字ぐらいかかりました。

以上、明日からも人生を終わらせないように頑張ります。


副業は普通に雑所得の範囲を越える見込みなので、
年末にさしかかれば、

大人の社会見学〜初めての確定申告編〜

のnoteでも一筆書くかと話のネタを前向きに探せているのでメンタルはだいぶ上に向いてます。これを最後まで読んでる物好きな諸兄は続編を楽しみにもせず日々人生を生き抜いてください。よろしくお願いします。


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