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ひとり旅日記欧州へ21日目:戦争からの復旧が最近までかかったドレスデン観光と最終目的地プラハへ。

2016年1/10ライプツィヒ→ドレスデン→プラハ。

朝8時の電車だから早起きした。昨日のニンニクのニオイ、台所に残り過ぎ。ブールさん、くさくてゴメンナサイ。2度とアジア人を泊めるのは止めようとは思わないでください…。

9:15ドレスデン着。ライプツィヒの駅がデカ過ぎたから、ドレスデンの駅が小さく見えた。インフォメーションは早々に開いてた。今までは9:30オープンが多かったのにここは9時から。ロッカーに荷物を預け(4ユーロ)、1ユーロの地図を買って、いざ街へ。レジデンツの新しい緑の天井と言う所は事前予約が必要云々とガイドブックにあったが、インフォメーションのお兄さんは大丈夫と言ってた。

レジデンツに着いて、チケット売場でどのチケットにするか迷った。どことどこが見られるのかよくわからなかったが、両方見られるチケットにした。ロッカーに全てを預け(貴重品バッグもNG)、案内されるがままに早速新しい緑の天井へ。人数制限があって、10:00~と10:15~の区切りがよく分からないが、その間の10:07位だったけど先にこちらを見た。日本語音声ガイドを聞きながら進んだ。写真は一切不可とのことで覚えてる範囲でしか書けない。

象牙の間。象牙細工ってスゴイ。ロクロ方法で彫ったとのことだけど、本当にロクロの上で削ったかは分からないが、陶器の様に仕上がってた。滑らかで繊細な彫刻。幾何学的な透かし彫りには参った。素晴らし過ぎ。興味があった物しか覚えてないが、赤いガラスは金が酸化する時に赤色が出るってことで、作るのにはかなりの費用がかかるから、結局は王室のみが注文できたらしい。鉱物でできた立体的な絵。これは好きになってしまったから、長いこと眺めてた。制作期間8年…。人の動きの足の先まで、よくぞ石だけで作ったな!立体的だから、今にも飛び出して動き出しそうな感じが、絵の具の絵よりも良かった。こんな作品は初めて見た。さすがレジデンツ=宝物館。

最後の宝石の間も見飽きなかった。キラキラが多過ぎて。キラキラの中に七色が見えるダイヤモンドは最高だと思う。アウグスト強王が来客時に、まずはこの宝物を見せるのが趣味だったらしい…。見せられた客はどの様に反応したんだろう…。リボンが可愛かったし、大粒ダイヤのネックレス、ルビー、サファイア、エメラルドの色がキレイな石も良かった。戦時下にレジデンツは壊れたとのことだったけど、こういった宝物たちはどこかに保管されてて、戦火に遭わずに済んだのだろうか?そこらへんの説明欲しかった。

レジデンツ。緑の丸天井(←どうしてこんな名前なんだろう?別にそんな天井見なかった気が…)を見終わった後は、他の展示物を見られるとのことで、3階から順に見ることにした。3階現代アート。うえだ りくおさん?が細いワイヤーに筆を吊るしてその日その時その瞬間に吹いた風で紙に筆が触れたものって説明があったけど、風が描いたものであって、自分はそのセット作っただけじゃないんですかね…。現代アートは分からん。

2階。兵器とか馬具。野営テントのデッカイのはこの下で宴やったらマジ楽しそう!と思った。2階の展示の反対側で、レジデンツ再建の最後の2年間2004年~2006年までを早送りで流してた。壊すのは一瞬。元に戻すには本当に長い長い時間がかかってるんだと思った。ドレスデン。未だに空き地や建設中のものがあったが、これらはまだ戦争跡なのか?それとも新規事業なのか?よく分からない。レジデンツの中庭はまだ修復中だった。それにしてもドレスデン。復旧した町並みはまるで戦争なんて無かったかの様にそれなりに現在に馴染んでる。

10-12時までレジデンツ見学にかかった。そろそろ昼にしたいところだったが、パンを1個買って食べ歩きながら進むことにした。レジデンツを出て、川の方に進むとマイセンのタイルでできた君主の行進があった。近寄らないとタイルだとはわからないほど、継ぎ目のズレなんてほとんど無くて、本当に壁画の様だった。このタイルは1200℃で焼かれてた為、戦火で宮殿は焼け落ちても、このタイルの壁画だけは焼け残ったと言う。

旅の疲れが濃いな…。自分。

いよいよパン1個だけでは限界を感じ、レストランのメニューを見比べて、ウサギの煮込みかカンガルーのクレープか迷ったが、まだ食べたことがないウサギにした。あまりに空腹だったから、なかなか注文を取りに来ないのにイラついた。やっと来た姉ちゃんにウサギ下さい。と言ったら、大と小があるとのこと。外のエーゴメニューにそんなこと書いてなかったじゃん!と思いつつ、この後も何か別のもの食べたいかも。と思って、小にした。ウサギ。恐らく、後脚の方だと思うが、鶏みたいな骨。でも味わってみると、鶏ではない味。柔らかく煮込まれてる身はホロホロでとても美味しく頂いた。付け合わせのニンニクを食べたかったが、手が汚れるのがメンドーで諦めた。

この後甘いものを求めてパサージュの地下のカフェへ。木イチゴが乗ったヨーグルトムースケーキとコーヒーにした。あっさりしてると思ってたこのケーキ、最後3口分残した。木イチゴのゼリー部が甘過ぎた。コーヒーの苦味で帳消しにしようにもコーヒーの分量が足りず。

このあとフラウエン教会に行ったが、コンサート中ということで中に入れなかった(今日は日曜。ガイドブックに土日入れない場合ありと書いてあった)。1945年の空爆で焼け落ち、東西ドイツ統一後に焼け落ちて熱で変色したレンガをはめ込んで2005年に修復完成とのこと。世界中と当時の連合軍からの多大な寄付を受けての再建らしい。わざわざ焦げたレンガをはめ込んで、戦争があったことを心に留めておけるのは良いと思う。レジデンツは2006年完成と、それぞれかなりの月日と費用をかけて一般公開されたってことは知らなかった。一から直すのにこんなに時間がかかることを身をもって知った独は、戦争はもうこりごりと思ってるのかな。

今日は日曜でお店も閉まってるから、ゆっくりと街の色んな道を歩いて17:08の電車でいよいよ最終目的地プラハへ。

乗車後しばらくして、チケットチェックの車掌のおばさんが来た。「予約時に使ったクレジットカードは失くしたから、パスポートで確認して下さい」って申し出たのに、「手にしてる端末にはカードで確認すると書いてあるから」だって。馬鹿か?ブタペスト以降この説明で他の車掌の皆さんは理解してくれたんだけど?今度はゆっくりハッキリエーゴで「カードは失くしたからない」と伝えた。無い物は出したくても出せねェんだよ💢今までの電車の旅でここまで融通利かなかったのはこのおばさん一人だけだったね。腑に落ちない顔して去ってったが。上の者を呼んでくださいくらい言えば良かったかね?

18時頃、電車が変な所で止まってしまった。しばらくして男性の車掌さんがキャビンひとつずつ開けて、電車が遅れてしまうことを伝えた回っていた。このおじさんのエーゴイマイチで、このまま乗ってなきゃダメなのか、何が起きてるのかの説明が不十分過ぎたが、身振り手振りから人身事故の模様。あと1,2時間動かないとのことだった。

仕方ない。と思ってたら止まってから30分ぐらいに電車は動き出した。キャビン相席のお姉さんの香水でアタマ痛くなって来たが、耐えつつ下りる駅を教えてもらった。予定より20分遅れで(恐らく途中だいぶ飛ばしてくれたのだろう)プラハ着。

プラハ。駅暗いな…。喉が渇いて仕方なかったから着いてすぐに駅構内のスーパーで水1.5リットルを買い、両替。20ユーロからしか受け付けないと言われたが、手元のすぐ出るお金は18ユーロ…。コインも扱ってくれるとのことでなんとか両替してもらった。メトロの切符の買い方を教えてもらい、向かいの売店に行くと、オバサンがエーゴ分からないからどっか行け的な対応に、え?たまたま自分の後ろに並んでたお姉さんがエーゴ話せるとのことで、「最低限の切符で隣の駅まで行きたい」と伝えると、訳してくれて切符が手に入った。ありがとうございます!

地下鉄。下りはエスカレーターない…。荷物抱えて下りるのか…。と汗だく。そう頻繁に地下鉄走ってないのか、しばらく待った。1駅で下りたが宿から来たメールに載ってる説明とチェコ語が異なる様で、どの出口から地上行けば良いかわからず。カップルのお姉さんに尋ねて方向を教えてもらい、地上へ。今日はより詳しい地図を事前に調べといたから、スンナリ宿に着いた(笑)。

チェックインして、荷物置いて夕飯。麺食べたくて、やっと見つけた中華屋。お姉さんに麺を下さい。と頼んだ。具がイマイチのベトナム風フォー。文句は言えない。とにかくツルッと食べた。そして宿に戻り、シャワって寝た。

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