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小沢里奈シリーズに感じたノスタルジー

昨年10月にリリースされた「おさわり探偵小沢里奈 里奈となめこの事件簿」(以下、事件簿)で小沢里奈シリーズに触れた。最終的に小説にファンブックまで購入した。自分がここまで惹かれたのは独特なキャラデザや世界観の他に、コンテンツ全体が醸し出す“ノスタルジー”があったからだった。

元々小沢里奈シリーズは名前とイラストを見た記憶がある程度だ。今や結構なビッグコンテンツになっているらしい「なめこ」すら認知していなかった。事件簿に触れたのは単に知らないモノに触れたい気分だったから。ノスタルジーなど感じる由もなかった。

それなのに、プレイ開始からしばらくして「懐かしい」という感情が込み上げてきた。ゲームを進めて行くうちにその理由が分かってきた。このシリーズ、あまりにも“DSのゲーム”なのだ。DSは、小学生の時の最新ハードだった。

まず、キャラクターや文字がめちゃくちゃデカい。DSの画面はSwitchより小さいので当たり前なのだが、これだけで「携帯機からの移植作」である事をまざまざと感じさせてくれる。おかげで里奈の立ち絵をドアップで見れるのだが。

次にゲーム部分。あえて悪い言い方をすると、今なら無料スマホアプリでいくらでも遊べる様な内容だ。気になった所をタッチして調べる。アイテムを選択した状態で使いたい所にタッチする。タッチした所にキャラが移動する。etc……
しかしそんな所も、“ノスタルジー”に回収されていく。あの頃は「タッチ」でゲームをするだけで目新しく、楽しいゲームだったのだ。ボタンとスティックくらいしか知らない、スマートフォンなんて見たこともない僕たちに、タッチ操作を教えてくれたのはDSだった。

ゲームを終えたら、このコンテンツ全体について調べにいく。2006年に1作目、2007年に2作目。そこから7年飛んで2014年に3作目、そこからさらに8年飛んで2022年に総集編である事件簿。なるほど、いかにもそうなりそうな雰囲気のシリーズではある(失礼)。
前から聞いていた小説を全6巻購入するも、2作目の話の途中で打ち切りになっていた。全く人気が出なかった訳ではなさそうな巻数なのが哀愁を誘う。ここら辺で感覚はもう遺跡巡りである(失礼だって)。
世間でタッチ操作が当たり前のものになっていくにつれ、ゲームとしての強みが薄くなってしまったんだろうな、などと想像する。日常となったタッチ操作にはもはや、ワクワクは残されていなかったのだろう(一応スマホ移植版も出ていたようだが)。

ゲーム本編でDS全盛期を思い出し、コンテンツの現在でその終焉を想起した。DSの機能を全面に押し出したシリーズの軌跡に“ノスタルジー”を幻視してしまったのだ。
いや、ゲーム自体も良かったよ。ミラちゃんの頬におさわりできて満足でした。

小沢里奈公式ツイッター

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