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「人生17年目の女子高生日記」作文編


はじめに

今回の記事は、「作文」になります。
題名は
"手袋のような人" です。

私の高校では作文コンクールがあります。今年度のテーマは 〜手〜 です。

作文を書くのに、一度スマホへメモをしたので、そのままメモをコピペした記事となります、笑
ですので、少し長い(原稿用紙4枚)文ですが、読んでいただけたら幸いです。

【注意】
読むにあたって、途中聖書の話が出てきます。私は信者ではないですが、通っている高校がキリスト教のため、聖書の授業があります。

本文


"手袋のような人"

手袋の季節が来た。
私は手袋が好きだ。正確には手袋のような友達が好きだ。

寒い。けど暖かい。冬になると感じる、独特な体温。表面は冷たいのに内側は暖かい。暖かそうな見た目なのに中身は寒い。どこか矛盾している。そんな冬が好きだ。

冬になると、1人で考える時間が増える。今日の嬉しかったこと、辛かったこと、晩ご飯のこと、それから未来のこと。なぜか冬の方が自分に正直になれる気がする。私は、子供から大人へ変わろうとしている今、1人の時間を大切にしている。高校生になって、1人飲食店、1人映画デビューをした。1人でいる時、ボーッと無心でいることがほとんどだが、ふとした時不安になる。勉強のこと、進路のこと、将来のこと。まだまだ未熟者の高校生には、重すぎる課題だ。不安に押し潰されそうになり、逃げてしまう。結局正しい順路が分からず、過ちを繰り返してしまう。私は自己嫌悪に陥った時、1人で散歩をする。足を動かしていると、心が少し軽くなる気がするからだ。中でも、静まり返った冬の夜道が1番好きだ。真っ暗な夜。冷たい空気。自分の呼吸に合わせて見える白い息。ただ歩いているだけなのに「ああ、生きてるな。」と感じる瞬間だ。

一方で、私が1人の時間を大切にできるのは、手袋のような友達がいるからだ。つまり、自分が落ち込んでいる時に、私の心を満たしてくれる友達の存在がある。私が辛い状況にいる時にも、友達はそばにいて寄り添ってくれる。私は、そんな暖かさを分けてくれる友達を信頼しているからこそ、1人の時間を過ごせるのだ。いつでも帰る場所を作ってくれている友達の存在で、今の私は成り立っている。まるで、悴んだ手を手袋が覆うように、友達は私に暖かみをくれる。

私が友達と信頼関係を築くのに、時間はかかった。私が通っているスイミングクラブでは、高校2年生がトップの代になる。ついに、私も長年通い続けているスイミングクラブの、最年長となった。沢山の後輩には格好良く見せたい。「強い自分」を装っていた。しかし、何もかもが上手くいかなくなった時、私は初めて人前で泣いてしまった。同輩と一つ年下の後輩に、自分の心中を打ち明けた。泣いている姿を見せるのは情けないと思っていたが、2人は私の話を聞いて、慰めてくれた。今まで溜め込んでいたものがスーッと消えて、心が楽になった。自分の弱い部分を晒すのに抵抗はあるが、それ以上に誰かに自分を肯定してもらう方が何倍も力になる。聖書の授業では、「私は弱い時にこそ強い」というテーマのだった。調べてみると、「弱さの中でこそ十分に発揮される力とは、私たちの力ではなく、それは神さまの力です。」と記されていた。正直、まだキリスト教に触れて1年ほどしか経っていないため、神様の力については分からない。しかし、私にとって神様のような存在が友達だった。私が弱い時、救いの手を差し伸べてくれた友達は、心の支えとなっている。「泣くことは情けない」という概念を取っ払い、正直になったことで、弱い自分でも存在価値を認められた気がする。どこか心の距離が縮まった。この人たちには弱い自分でも良いと、信頼を置くようになった。

本当は、冬は暖かいのかもしれない。1人で考えていたいはずなのに、友達を思い浮かべてしまう。冬になると、余計に人肌がが恋しくなる。寒さの中で暖かさを求めるとき、それは人間の心にも置き換えられる。冷たく落ち込んだ自分の心を暖かくしてくれる誰か。私にはそんな存在の友達がいる、とても恵まれた環境下にいる。

私も誰かの手袋になりたい。


おわり

今回はテーマの〜手〜に沿って、
「手袋」と「友達」を重ね合わせてみました。
少しでも読者様の考えの一部となれば幸いです。

最近気温が下がって来ましたね。いよいよ冬がやってきます。どうかお体にお気をつけください☃️

最後までご拝読ありがとうございました😊

皆様素敵な一日をお過ごしください😌

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