映画「さよなら銀河鉄道999」を知っていますか?

昭和50(1970〜80)年代に少年時代を過ごした私たちの娯楽はテレビでした。銀河鉄道999もテレビアニメとして放映されていました。今では一年間放映されるアニメも珍しいですが、999は二年半の間放映され、その間私たちは毎週欠かさず観ていたのです。小学生の二年半はすごいですよね。

その間、劇場映画化もされました。私は観に行けませんでしたが、友達がパンフレットを見せてくれました。そのパンフレットの時かは分かりませんが主人公鉄郎とメーテルのキスシーンのページを見て大騒ぎしてましたね(笑)

当時劇場映画は二本。二年後に「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」が公開されますが、1981年というのは機動戦士ガンダムの劇場版が公開された年で私たちもガンダムに惹かれていました。

ハッシュタグなどで気になって来てくださった方はご存じかと思いますが、TV版銀河鉄道999と劇場版との違いを簡単に。

1.主人公星野鉄郎の容姿が大きく違います。TV版はチビで三枚目(正直ブサイク)、いかにも松本零士キャラでドジで愛嬌があって、それでも必死でメーテルを守る好青年。好きでした。劇場版は背もスラリと伸びて足も長く、カットの一つひとつが格好良く、目は大きく鼻ぺちゃでも美少年でした。劇場版公開時「こんなの鉄郎じゃねーよ」と好印象を持たなかったことを覚えていますが、後々テレビでの劇場版の放送を観たときには劇場版全体のクオリティーの高さに納得したように思います(記憶は定かではないですが、作品に悪い印象を持っていないので)

2.劇場版だけあって、作画や設定のクオリティーが高い。キャラクターの服装も機関車や客車の車内、外観、全体の色使いもTV版のような子ども向けではない。暗いシーンの黒色は闇としてしっかり使用され、宇宙についても他のアニメのような明るめの紺系ではない。背景画も西洋絵画のようで中高生以上でも観ることのできるアニメ映画。

なかなか本題に入れないので、二つぐらいにします。その二本の劇場版でも私は「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」が好きなんです。

先日、具合が悪くて寝室で横になっている時に、スマホで本編を丸々観てしまったのですが、50過ぎにもなってアニメ映画で感動し涙を流しました。場面によっては嗚咽しました。具合が悪いと涙もろくなるんでしょうか?

「さよならー」のオープニングはまるで(書かれていない)前章(最終回)のラストシーンです。大人たちは少年(鉄郎)のために命懸けで999のところまで送り届けるのです。少年の過去のことも何も知らず、999に乗せて何がどうなるかも分からず、ただ希望を託します。

パイプを吸う白髭の爺さん、と言ってもきっとこの人50歳代。昔のアニメは白髪白髭が50代だったりするから…。経験豊富で戦渦を潜り抜けてきた大ベテラン。苦労も多かったから白髪白髭。

「生きたかったら、歩け」 「命ある限り戦え(闘え)」 「気力を失ったら死ぬぞ」

こんなセリフ、50を過ぎた今でも若者に言うどころか自分が言われて諭される感じです。「自分は何をしてきただろう」と涙が出ます。

無事に999に乗った鉄郎が自分に言い聞かせます。戦渦の地球を見ながら「俺は逃げるんじゃないぞ」 と必ず地球に帰ってくることを誓います。

物語をすべて書くわけにはいきませんが、オープニングでこれだけ盛り上げてしまうとどういう展開になるのか。評価はそれぞれですが私は好きになりました。

実はこの作品、「大好き」なんですがいつからこんなに好きになったか覚えていません。VHSに録画して観ていましたし、長い間劇場版のテレビ放映がされなかったので、画質悪のものをDVD-Rにコピーもしました。なかなかセル版のDVDも買えず、そうこうしてるうちに歳を取り、結婚して子どもができてと作品を観る目線も変わっていったのだろうとは思います。

好きなセリフもたくさんあります。

「生きたかったら命ある限り歩け、生き続けたかったら命ある限り戦え(闘え)、気力を失ったら死ぬぞ」
「夢さ。若いころのことは後になってみりゃみんな夢のようなもんだ」
「若いっていうのはいいもんだ。どんな小さな希望にも自分のすべてをかけることができるからな」
「いつかお前が戻ってきて地球を取り戻したとき、大地を掘り返したらワシらの赤い血が流れだすだろう」
「ここは我々の星だ。我々の大地だ。その赤い血を見るまでは、死ぬなよ。ワシらの倅よ」
「そりゃそうと、パスはお持ちでしょうね。職務上パスがありませんとどなたもお乗せできませんので」
「軌道を開けろ、愚か者」
「いまだかつて他の列車に追い抜かれたことはないのに。それもあのような得体の知れない列車に…悔しい、999の恥だ。本当に情けない」
「ヘビーメルダーの衛星です。何でも1000年周期の楕円軌道を回ってるそうでして」
「慌てるな鉄郎。機械化人は暗闇でも目が見えるぞ。じっとしていれば敵は動く。敵の方から近づいてくる」
「いまプロメシュームと呼ばれているのはメーテルだもんな。なんだ知らないのか、メーテルはプロメシュームのあとを継いだって噂だぜ」
「俺より先に死ぬなよ。男の約束だぞ」
「今のうちに知らせておけば母さんは死なずに済む。時の流れを変えることができるかもしれない」
「あれは…悲劇だった。例えようもない悲劇だ」
「死んだからって終わりじゃない。俺の体には赤い血が、殺された母さんや親父たちと同じ赤い血が流れているんだ!」
「俺は親父に誓ったんだ!赤い血のしみ込んだ大地へ必ず生きて帰るってな!」
「お前は私が考えていたより多くのことを学んでいたようだな。しかしここで私に負けた方がお前のためだったかもしれん」
「お前は限りある命の素晴らしさを信じて旅をしている。しかしそれは絶望に向かって旅を続けているのだ」
「メーテルを守るのはあなたの義務ですよ。あなたが男ならね」
「若者はね、負けることは考えないものよ。一度や二度しくじっても最後には勝つと信じて、それが本当の若者よ」
「男の子が友達のために涙を流すのは恥ずかしいことじゃないわ…あなたのために泣いてくれる友達があなたにはいるの?」
「母を倒すのはあなたじゃない。この私。母の血をもらったこの私の手で倒すのが定め」
「私が未来を託すために育てたお前がこの母を裏切るとは、死ぬがいい、滅びるがいい、人間どもと一緒に」
「この闘いに勝たない限り私にも鉄郎にも未来は無い」
「私は人の姿をした鬼だ」
「まだ私のことを友と…」
「光が無くても私にはお前が見える。前の時もそうだった。待っていろ、いまからお前のそばへ行く。我慢できるかな…」

語録集みたいになってしまいましたね。

あえて誰のセリフなのかは言いませんが、「強くなったな…」という言葉は、認められた証というか、例えば父が身近にいても「言われたかった」し、息子が身近にいても「言いたい」言葉ですよね。

父は「憧れ」であったし、いまは息子のためには「強く」ありたい。

現状、憧れられてる様子はないし、強くもないですけどね。ただ、歩みは止めません。

長くなりましたのでこの辺にしようと思います。言葉足らずなところ、若干ネタバレなところはご容赦ください。

もしこれからご覧になる方、ぜひ一作目(銀河鉄道999- The Galaxy Express 999)からご覧ください。

最後までお読みいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?