投稿ができる精神状態になったようだ
あれから、案の定書くことができなかった。
正確に言うと、夏にこの文章の下書きを書いて、そのまま投稿できずにいた。
コロナについての情報が錯綜していて、下手に何かを書くことが躊躇われたし、とにかく体調が良くなくて、何を書いても最後は投稿する気になれなかった。
結局感染リスクや経済的環境は人によって異なるから、政治や宗教と同じで、新型コロナに関しては自分の信じることを安易に言えなくなった。
どう生き延びるかは、究極的には個人の問題なので、あとで自分が後悔しない選択をするしかない。
今年を一言で言えば、「自分が落っこちてしまっていた地獄に、世間が丸ごと落っこちてきた」。
深い穴を這い上がって世間に戻りたいと、ようやく思えるようになった矢先、戻る世間が無くなってしまったような感じだ。
だが、これまでも災害や不況はあったし、新型コロナ以前だって、自分だけが苦しかったなんてことは当然ない。
主観的過ぎるものの見方を捨てたい。
自分が戻れる世間なんか最初からなかったかもしれないし。
そう考えると、当時急に降ってきた介護という状況を、地獄にしたのは自分の未熟さや愚かさだったのかもしれない。
残念だけど、私は明らかに賢くない。
真面目でいれば報われると、無意識のうちに思い込んで生きてきたが、その結果報われることはなかった。
これからは、賢く生きたい。
自分自身は賢くないけど、冷静に、客観的に考えることで、少しでも賢い選択を積み重ねていく。
そう決めた。
今も介護時代から変わらず、ほとんど儲からない在宅ワークをそれなりに頑張りつつも、自宅の片付けやメンテナンスをして、生活を整えている。
両親には悪いが、これまでの介護仕様の自宅から、介護の気配を丸ごと消させてもらった。
自宅はまだ自分名義ではないし、築年数もだいぶ経ってしまっているし、家の中は断捨離が永遠に終わりそうにないほど物で溢れている。
だから、ここはとても自分の城とは呼べないが、それでも自分自身のためだけの生活空間を手に入れたことは、大きな前進だ。
この夏までは精神的にボロボロだったけど、こうやって自分の生活を整えることで心が癒えてきたように思う。
ボランティアなどをして誰かの役に立ちたい思いはあるが、まだ半分溺れている人が、溺れている人を助けようとしたら、おそらく大惨事になる。
もしかしたら、単純に誰かに相手をしてもらいたいだけなのかもしれない。
だからこんなしょうもない自分の文章を、誰かに読んでもらいたいと思うんだろうな。
読んでくれてありがとうございます。
近い将来、溺れている人にロープを投げて岸まで引っ張るぐらいのことはしたい。
介護で何もかも失って、ボロボロになって、介護が終わると同時にひとりになって、その頃には何のチャンスもなくなっていて、そのまま先細って、最後ひっそりと消えていくのは、自分でも他人でもつらすぎる。
サポートされるようなレベルの文章ではありませんが、設定だけしております。読んでいただけただけで十分です。またお暇な時にでも読んでいただけましたら嬉しいです。