no. 007 すみれとオレンジのタルト②
「足るを知らぬ人々の性あわれ」
貝紫とは、人類がたどった足跡であり、文明当時の人々がどのようなものであったのかを物語る歴史の証人である、と。
西山先生は、古代ローマ当時の染色方法を解き明かしていく中で、太古の人々の暮らしや文化に想いを馳せ、染色法だけでなく染色の背景にある文明の歴史の追求をしていきました。
貝紫が消滅したと考えられる原因としては、ますは文明が進む中で繰り返されてきた森林伐採と、それによって生じた海洋汚染。そして、貝の乱獲。これら人為的なものに加えて、地震など天変地異によるものが考えられるとのこと。
人間の欲望や欲求によって発展していった文明と、共に進んで行った自然破壊の矛盾。
古代ギリシャ文明と共に誕生した貝紫は、文明と滅亡を共にし、紫色の布の一布も残さず消え去ってしまいました。
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染色のことも少し教えていただいたのですが、天然染料として使われる素材は、漢方として使われる薬だったそうです。
例えば、藍、茜、鬱金、紫根、、など。
今では天然染料、化学染料の両方がありますが、先生は化学染料を主に使っているそうです。
現代の流れからすると天然染料がトレンドのように感じますが、どうして天然染料を使わないのかを尋ねました。
「天然染料の方が良いと思うでしょう?
例えば、顔料として使われるラピスラズリの石(瑠璃色)を採取するために、どれくらい石を粉砕して自然を壊すと思う?
物事は全て一長一短。良いものが全て良いわけではなく、良いものには悪い面もある。悪いものにも良い面がある。」
それを受けて私は、
では弱肉強食というものが自然の摂理だと言うならば、人間の欲深さというものを先生はどう思うのか?また、貝紫を追求したい、着物に絵を描き続けたい、そういった欲求をどう捉えるのか?どうして先生は表現し続けるのか?と尋ねました。
「それはもう人間の性だよね。
なんで作るのか?そんなもの、自分の体の中から湧き上がってくるからだよ!」
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自他ともに認める考えすぎ人間の私。
そんな私は、自分も含めて、自分の欲望や感情で人を傷つけ合う人間という生き物が嫌いです。
日々たくさんの人に自分のお菓子をお届けし、タビスルアハアカネの回数を重ねる中で、
自分の信念やお菓子を作りたい理由、常にある不安、自分のやりたいことと現実の葛藤、自分が歩んでいきたい未来のことをずっと考えていました。
ジャンルは違えど同じ職人である先生に、身内で唯一の職人である叔母に相談したかったのです。
何となく直感で、静岡に行けば何かわかるような気もしていました。
崖っぷちに立たされるところまでの経験をし、人生の苦難というものを味わい尽くし、貝紫という壮大な研究をやり遂げた先生から教わったこと。
「あれこれ考えすぎずに、ただ一心不乱にやってみること。自ずと色々わかってきて、きっと結果もついてくる。
結局のところ自分が何なのか、人間が何なのかなんて曖昧でわからないものだよ。物事の良い面も悪い面もまずは認めて受け入れること。そして受け入れる強さと芯を持つこと。それでも大切なのは自分自身だ。」
色々考えを巡らすよりも、行動して目の前のことをこなし、自分自身を知って受け入れて認めていく。自分の中から湧き上がってくるものをそのまま表現する。
そうするときっと見えてくるものがあるのだな、それで良いんだな、と先生の言葉から感じました。
目の前にあったモヤが少しずつ晴れてきたのと同時に、私が旅をしたい理由が少しわかった、先生との深くて良き時間でした。
また先生と叔母のところに行って話したいな、鰹も食べたいな。