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わが心の近代建築Vol.24 小笠原伯爵邸/東京都若松河田
みなさん、こんにちわ。
今回は、新宿区若松河田にある「小笠原伯爵邸」について記載しますが、この邸宅のある若松河田界隈について記載すると…
この界隈は、起伏に富む土地柄、庭園造成に適しており、尾張徳川家の戸山屋敷など、数多くの下屋敷が建てられ、今回紹介する小笠原伯爵邸のルーツになる豊後小笠原家もその1つでした。
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明治期になると、下屋敷のほとんどが姿を消し、とくに尾張藩戸山屋敷の土地には、軍楽学校や陸軍戸山学校、戸山学校練兵場が造られ、その他の大名屋敷も陸軍士官学校や陸軍砲学校、陸軍経理学校などの土地に転用。
また、明治20年代からは宅地化も進められ、若松河田駅界隈には小泉八雲や、坪内逍遥、永井荷風、夏目漱石ら多くの文士が住みます。
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そのような経緯から、豊後小笠原家下屋敷も例に漏れず、その広大な土地を利用し、東京女子医科大学の関連施設などが建てられます。
小笠原家では残された敷地の一部を利用し、1927年にこの邸宅が造られます。
邸宅の設計には曽根中條建築事務所があたり、その理由として、設計者の曽根達蔵の出身地にある唐津藩が小笠原家と婚姻関係だったこと。曾根達蔵と共同経営者だった中條誠一郎が、施主・小笠原長幹がケンブリッジ大学での先輩筋にあたるため、ともいわれています。
なお内装などには、ステンドグラス作家の小川三知、陶器作家の小森忍、そして施主の小笠原長幹氏も深く関わり、ステンドグラスなどに小鳥のデザインが多く用いられたことから、小笠原邸は「小鳥の館」とも謳われます。
小笠原伯爵邸は戦後、1948年にGHQに接収。
1952年に東京都に返却。
以降は1975年まで東京都福祉保健局中央児童相談所に使用されたのち、所有者もなく荒廃が進み、一時は取り壊しも検討されるます。
が、2000年に管理していた東京都生活文化局から民間貸出の方針が出され、現在のオーナーが権利を得てから、スパニッシュ・レストランとして再生。
2002年に「小笠原伯爵邸」としてオープンし、今日に至ります。
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施主・小笠原長幹(1885~1935)
最後の小倉藩主・小笠原忠忱伯爵の長男として生まれ、学習院卒業後にケンブリッジ大学に入学。帰国後に宮内省に入省、式部官となり1918年に貴族院議員に。
陸軍省参事官、国政院総裁などを歴任し、1935年に逝去。
小笠原長幹は政治家としてのみではなく、彫刻家の朝倉文夫に師事し文部省美術展覧会にもしばしば入賞するなど、芸術に造詣が深く、邸内にも彼が手掛けた装飾も使用されています。
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設計者:曽根達蔵(1853~1937)
唐津藩(現在の現在の佐賀県唐津市)の家柄で江戸に生まれ、辰野金吾、宮廷建築家の片山東熊らとともに、ジョサイア・コンドルのもとで工部大学校(現在の東京大学建築学部)で学ぶ。
卒業後に師コンドルとともに丸の内の「一丁倫敦」の建築に携わり、定年後、中條精一郎とともに「曽根中條建築事務所」を設立。
代表的な作品は「慶応大学附属図書館」「旧鹿児島県庁」「明治屋京橋ビル」など多数。
たてものメモ
小笠原伯爵邸
・竣功年:1926年
・設計者:曾根中條建築事務所
・文化財指定:東京都指定歴史的建造物
・写真撮影:可(商用厳禁)
・交通アクセス:大江戸線若松河田町駅より徒歩1分
・参考文献
・内田青蔵著「お屋敷拝見」
・田中禎彦監修「死ぬまでに見たい洋館の最高傑作」
・小笠原伯爵邸著A3レジュメ
など
・見学の留意点:
・喫茶など使用時に見学可能(イベント開催時は見学不可)
・小笠原伯爵邸HPにて建物ガイドツアーが募集
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小笠原伯爵邸 外観:
・クリーム色の掻き落としの外壁
・外部に対して小さい開口部
・スパニッシュ瓦の使用
などの特徴を持つスパニッシュ風建築になっています。
地下1階、2階建ての建造物で全体的に高さの異なる長方形が重なった印象を受けます。
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表玄関の外ひさし:
外ひさし部分委はブドウのツタと葉、実が描かれ、この意匠は洋館では多く使われており、キリスト教などでは繁栄を意味します。
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玄関口の内扉:内扉部分は、明かり取りになっており、上部には、外ひさしと同じくブドウの蔦と葉、実が描かれ、センターに鳥かごに入った「ことり」が描かれています。
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正面玄関脇の貨幣を担いだサルの銘板:
玄関東脇にあり、この方向は鬼門(東北)で、山王社の使いである「サル」を付けることにより、災いの入ってくることを防ぐ、謂わば鬼門除けになります。
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南面部分:
ベランダ部分の外観は5連アーチ状の扉が付けられており、右サイドには半円形に飛び出した意匠になっており、こちらは喫煙室になっています。
また、真中の長方形の背が高く、両サイドの長方形部分と半円形部分の身長が低くなっています。
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シガー・ルーム外壁:
この部分に貼られている陶器は、日本橋タカシマヤなどの装飾も行った小森忍の作品。
中央に太陽が輝き、花々が散りばめられた構図は、「生命の賛歌」がモチーフに。
総てで約1600パーツあり、そのほとんどが剥がれ落ちていたものを、陶芸家の奥田武彦/直子夫妻が少しずつ復元。
すべてが完了したのは、小笠原伯爵邸オープン後の2003年のことでした。
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シガールーム外壁の足元に描かれた陶板製の定礎銘板:
曽根中條建築事務所により1926年に邸宅が完成したことを著しています。銘板にはエジプト人が建築する構図が描かれます。
曽根達蔵は、自身の作品に自身の名前を刻むことは殆どなく、小笠原邸の邸宅設計にどれだけの思いを寄せて挑んだかかが伺い知れます。
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平面図【小笠原伯爵邸さま展示パネルより転載】:
鉄筋コンクリート造の地下1階、2階建てになっており、外観からは2階部分が見えづらい構造になります。
邸内は、喫茶利用時などに見学できるほか、HPにて抽選での邸宅公開も行われており、一部写真は10年前に訪問した際に写したものを画像修正して使用しました。
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玄関部分:
先述の内扉部分の「鳥かご」以外にも、天井部分には、何羽ものハトが空に舞い上がっている姿が描かれており、遠近法を用いた珍しい構図になっています。
このデザインは、日本初のステンドグラス作家・小川三知氏の作品で、イタリアにて復元。
小川三知氏の作品は、関東大震災での焼失したほか、当時は建築部材の一つとして見なされ、建物ともに失われたものが多いことから遺されたものは非常に少なく、大変貴重なものになります。
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玄関部分からクロークを臨む:
唐草模様の鉄細工になり、細かい曲線が組み合わさった繊細なデザインになります。修復プロジェクトでは数多くのボランティアの手により磨かれ生まれ変わりました。
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1階廊下部分:
まず左側部分の唐草模様のアイアンワークにはパティオに繋がるアーチ扉部分から玄関に光が差し込む形に。
この部分はグランドサロン(旧食堂)、ラウンジ(客室)、パティオ(中庭)を繋げています。
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1階グランドサロン(旧食堂):
腰高の木パネルの壁、梁型を露出させた天井部分は、古風な食堂の雰囲気を伝えています。
また、この室内の緑色の椅子は、小笠原家の古写真から復元されたものになります。
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1階グランドサロン(旧食堂)のテーブル:
このテーブルは邸宅内で唯一竣工当時から遺された家具で、エリザべジアン(アンティーク家具の一洋式)の影響を強く受け、脚の膨らんだ部分はメロンに似ていることから、メロン・レッグと呼ばれています。
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1階サロン(旧客室):
かつての客室。
食堂とシガールームと開き扉でつながっており、各部屋とはその意匠は大きく違っています。
室内には柱が立ち並ぶ一方、天井部分は中央に向かって狭まるアールデコ的な処理がなされるなど、モダンさと古典的な部分が入り乱れています。
室内家具は、ヨーロッパから取り寄せ、小笠原家所有時代の状況を再現。
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1階ラウンジとグランドサロンを仕切る扉:
扉上部には、バラの花とブドウなどの果実をモチーフにした装飾が付けられています。
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1階ラウンジのステンドグラス:
小花を吹き寄せたような可憐なデザインのステンドグラス。
こちらも小川三知の作品で、ヨーロッパ風の荘厳のそれとは違い、素材には半透明なステンドグラスを使用。
ガラスそのものの色を活かした、柔らかく明るい雰囲気になっています。
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1階シガー・ルーム:
男性用の応接間。
ヨーロッパの葉巻やタバコがトルコやエジプトから入ってきたことから、西洋館の喫煙室はイスラム式に作られることが当時の習わしで、復元の際には、竣工当時の資料を基に仁科会所属画家の手により彩色。
また、内壁装飾や戸棚の扉、大理石の柱部分などは当時のものを磨いて使用しています。
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1階シガー・ルームのディテール:
イスラム教は偶像崇拝が禁止されていたため、植物を抽象的にした幾何学模様を使用。
壁面の菱格子の中や柱頭に共通してみられる葉、その下に配される対の渦巻模様の原型は、アーカンサス(葉アザミ)の正面形を描いたギリシア風パルメットと思われます。
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1階ベランダ部分(10年前に撮影):
現在はテラス席として利用さえており、小笠原邸時代はベランダとして。また、ごく親しい身内だけの食事などにも使用。
床のタイルは竣工当時のもので、かつての状況を伺い知ることができます。
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1階メインダイニング(旧書斎から臨む…10年前の写真):
メインダイニングは、主人書斎と主人寝室の壁を払い、一つの部屋として使用。正面に見える棚は、かつての本棚の名残。
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1階メインダイニング(書斎側から寝室側を臨む…10年前の写真を使用):
書斎側から寝室側を臨んだ写真。1本だけ太い梁になっていますが、この部分が寝室と書斎の切れ目になっています。
また、書斎側の天井は、梁がめぐらされたものになっていることが分かります。
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1階パティオ(中庭):
邸宅の真中部分に位置し、奥側の階段は屋上庭園に繋がっています。また、スパニッシュ様式では、パティオは特徴の一つになっており、この部分にはその特徴の一つでもある噴水も用意されています。
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1階パティオの噴水:
この彫刻は、施主・小笠原長幹の作品。
小笠原長幹は、政治家的側面としてのみではなく、芸術に対する造詣も深く、自身も朝倉文夫に師事するほどで、文部省美術審査会に入選するほどの腕前。
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パティオ階段下の扉のレリーフ:
このレリーフも小笠原長幹によるもの。
この部分は写真をもとにイタリアで復元されたものになります。
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パティオに面した窓枠:
2階に繋がる室内階段の窓枠。
窓格子上部には犬の姿をしたレリーフが飾られ、クローク上部と同様、繊細なアイアンワークで気品にあふれたデザインになっています。
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屋上庭園部分:
屋上床面のタイルは、竣工当時のもの。ボランティアの方々により磨き直されたものになっています。
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屋上庭園の金具:
屋上の足元部分に付けられた金具類。
小笠原家では、この金具を利用してテントを張り、富士山を背にバーベキューを楽しんだことが伝えられています。
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屋上庭園のバーコラ(藤棚):
屋上庭園には2か所、バーコラを設置。
これらの部分は、当時の設計図や竣工当時の写真を基に復元されたもの。
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2階VIPルーム:
窓を大きくとられた部屋で、現在はVIPルームとして活用。
2つの部屋を1つにしています。
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2階個室:
現在は控室などの個室として使用される部屋。
小笠原家時代では、秘書室として使用、天井の段差は、押入があったと推測される。
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2階個室:
現在は個室などの控室として使用。
小笠原伯爵邸では、女中室として使用され、天井部分の段差は押入に活用。
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2階から階段を臨む:
階段部分の窓枠の鉄格子はひし形状になっています。
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1階ギャラリーサロン(10年前の写真を使用):
かつての台所で、現在は小笠原伯爵邸の歴史や説明などのパネルを掲げられた部屋になっています。
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1階内玄関脇の小部屋:
個々の照明器具は唯一の創業当時のもの。
シェード部分に刻まれているひし形模様は「三階菱」と呼ばれるもので、小笠原家の表紋になっています。
【編集後記】
小笠原伯爵は、解体寸前まで予定されていましたが、レストランとして新たな息吹を得た名店になっています。
現在、地方自治体の体力も弱っている中、この邸宅の例は、新たな保存方法として一石を投じる建物になっています。
また、小笠原伯爵邸さんの厚意で予定の入っていない平日は、喫茶利用者に関して建物を拝見でき、また、抽選でガイドツアーもやられています。
このような文化財が今後とも大切にされていくことを心から願います。
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