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わが心の近代建築Vol.15 神谷伝兵衛稲毛別荘/千葉県京成稲毛

みなさん、こんにちわ。
最近、体調不良などあり、このブログをほぼ放置しておりましたが、今回は久々の投稿。千葉県の京成稲毛駅界隈にある旧神谷伝兵衛稲毛別荘について記載します。

建物メモ
旧神谷伝兵衛稲毛別荘
●竣工年:1918年
●設計者:設計者/施工業者とも不詳
●文化財指定:国指定登録有形文化財
●入館料:無料
●写真撮影:可(但し商用厳禁)
●交通アクセス:
京成電鉄千葉線「京成稲毛」下車徒歩7分
●留意点:
現在、湿気などの問題で半地下部分は限定非公開になっています。

稲毛海岸の絵葉書【神谷伝兵衛稲毛別邸のパネル写真を流用】

 まず、この邸宅は京成稲毛駅より国道14号線に下った界隈にありますが、この界隈は現在こそ高級住宅街にあたりますが、かつては国道14号線界隈は遠浅の海になっており、明治学院創始者のアメリカ人牧師/医療従事者のJCヘボン氏らにより海水浴が健康に良い事が伝えられ日本初の海水浴場が大磯海岸に開かれたのに倣い、1888年に千葉県初の海水浴場として、稲毛海岸が開園。
都心から近いこともあり、観光地としてにぎわい、同年には医学士の濵野昇氏により現在の稲毛浅間神社脇の松林付近に「稲毛海岸療養所」が設立されました。
これは、後に「海気館」と改め、宴会場や宿泊施設に使用され、数多くの文人に愛されました。
 また、1921年に総武鉄道(現在のJR総武線)に加え、京成電鉄の船橋駅~千葉駅間が開通したことにより、東京からのアクセスはますます良くなり、海水浴や潮干狩りに訪れる客が増加。海岸沿いには多くの旅館や店が立ち並び、数多くの財界人の別荘建築が建ち並びますが、その中には、シャトー・カミヤや神谷バーなどを創設し「ワイン王」と謳われた神谷伝兵衛もいます。今回扱う邸宅は神谷伝兵衛の別荘建築になり、現在は洋館部分のみの保存になっていますが、竣工当時は、生活棟の和館に付属棟を2棟、計4棟が立ち並んでいました。
初代の伝兵衛は、この別邸で週末を過ごす程度でしたが、2代目以降は5月にツツジ見物、8月に海水浴など、避暑施設として使用していきました。
また、この邸宅は鉄筋コンクリート造だったため、関東大震災時にも大きなダメージがなかったことが伝えられています。

施主 神谷伝兵衛(1856~1922)【肖像画はWikipediaを拝借】
現在の愛知県西尾市で生まれ、17歳で酒造を学ぶために横浜に渡り、横浜の洋酒製造会社フレッレ商会で働くも体調を崩し、フランス人の雇い主にワインを薦められたことにより体調回復。
これをきっかけに、日本人に親しまれるワイン「蜂印葡萄酒」を製造し日本中にヒット。
 明治13年には神谷バーの前身にあたる「みかはや」を浅草に開業。速成ブランデー「電氣ブラン」の販売もスタートし事業拡大。
それだけではなく、フランス苗のブドウを用いて本格的なワイン造りに挑み、明治36年にはワイン醸造所の「シャトー・カミヤ」をつくり、世界各地に高い評価を得るワインを製造しました。
またワイン事業以外にも、1916年には三河鉄道の社長に就任するなど、様々な事業も手掛けた人物になります。

旧神谷伝兵衛稲毛別邸 正面写真:
 神谷伝兵衛稲毛別邸は、1階部分にロマネスク様式に通ずる5つの連続アーチがあり、建物全体の外壁を白色磁器質タイルで仕上げた、昭和初期のに導入されるモダニズム建築への変化を伺わせる佇まいになっています。
 建築構造に関しては鉄筋コンクリート造の半地下、地上2階建てで屋根架構はキングポストトラス構造になっています。
竣工年こそ判明しているものの、設計者や施工業者に関しての記録はなく不不詳なものの、千葉県に現存する鉄筋コンクリート建築で最古のもので、全国的に見ても鉄筋コンクリート建築の最初期のもので、建築史的にも大変貴重なものとなっています。

直線的な金属の持ち送り:
旧神谷伝兵衛稲毛別邸では、直線的な「持ち送り」で梁部分を支えています。通常は装飾が付けられますが、こちらは直線的の装飾がないものになっています。

左端のアーチ部分の拡大:
左端部分にはアールヌーボー風の装飾が。また、5本の列柱に関しては簡素なトスカーナ様式のものが使用されています。

ベランダ部分:
玄関部分は5連アーチになっており、神谷家に遊びに来た方は、洋間に続く大扉部分から海岸へ遊びに行きました。
また、タイルに関しては英国製のものが使用されています。

裏側部分:
裏側にはマンションが建っており、そちらから写した写真。
表面からは見えなかった耐震補強の状況が見て取れます。

平面図:
旧神谷伝兵衛稲毛別邸は、1階部分が要枚なっているのに対し、2階部分は和風になっている非常に不思議な構造になっています。
また、本当は半地下があり、ワイナリーや浴室跡、トイレなどがありますが、現在は非公開になっています。

玄関ホール部分:
当時の面影が良く遺された部分で、アールヌーボー調の有機的な意匠と近代にも通ずる幾何学的な意匠が大変バランスよく溶けこむ、実に大正時代らしい気風が感じられます。
また、階段部分にはケヤキの五枚板菓子用意されています。

階段部分から天井部分を臨む:
照明部分の中心飾りは、ブドウをかたどったものになっており、持ち送り(モディリオン)は少し幾何学的な装飾。窓枠部分も、直線的なモダニズム風になっています。

1階玄関ホールから吹き抜け天井を臨む:
階段装飾には、寺社建築で多くみられるような渦模様が付けられ、吹き抜けの天井部分は杉に1枚板が使用されてます。

1階洋室:
客人を迎え入れた洋間になります。
応接間にしては非常に簡素な漆喰天井になっていますが、当初は玄関ホール部分のような飾りがなされていたものと推測されます。本格的な暖炉だ設えてあり、当時の日本では、暖炉のある洋間は憧れの的でした。

1階洋間の暖炉と床部分:
暖炉に関しては白色の大理石が使用され、両脇部分にはオーダー(柱装飾)が付けられています。
また、炉脇部分にはアールヌーボー調の図柄が描かれた英国井ビクトリアンタイルがみられます。
なお、床部分には、幾何学的な美しい模様をつくる寄木張りになっています。

2階17.5畳和室:
この邸宅でメインになる主室部分。13.5畳に4畳の床の間を持ち、棚と書院を持った数寄屋風の和室になります。
また、この部屋の各所には、ワインにちなんだブドウの意匠がちりばめられており、銘木が多数使われるなど贅を尽くした造りになっています。
また、昭和期に多く見られる、完全な洋館の中に和室を組み込んだ建築の中でも初期的な貴重な例にもなります。

2階17.5畳和室の床柱:
床柱のいびつな形の期はブドウの巨木になっており、ブドウを用いた床柱は全国的に見ても稀有な存在で、その一方、違い棚などは正統派な設えになっています。

2階 17.5畳和室天井:
天井部分は竹格子で組み、部屋全体をブドウ棚に見立てた仕上げになっており、ワイン王・神谷伝兵衛を忍ばせる意匠になっています。

2階17.5畳和室 書院欄間:
書院の組障子は細かい細工で組まれており、下の部分には山水や獅子などの蒔絵が嵌め込まれています。
また、上部の書院欄間にはブドウの実が描かれた設えになあっています。

2階17.5畳和室 床の間天井部分:
床の間天井部分は、竹の皮で編まれた網代天井になっています。

2階17.5畳和室 床の間側から臨む:
障子は猫間障子が採用され、ガラスが嵌められています。
また障子の材質には唐木三大銘木の1つ、鉄刀木(タガヤサン)が使用された大変貴重なものになっています。

2階17.5畳和室の木瓜型の飾り窓:
こちらの木瓜窓は1枚板をくり抜いた木瓜(もっこう=ボケ)型の飾り窓になっています。

2階広縁部分:
17.5畳和室を回す形で作られており、いわばサンルーム的な役割を果たすと同時、外観から見て、2階部分のこの個所が和室ではないように見せるための仕掛けにもなっています。

2階広縁部分のアルコープ:
西洋建築の出窓風になており、設えなどは和風になっています。
また天井部分は、竹の皮を編んだ網代状になっています。

2階広縁部分の欄間:
欄間部分は竹でできており、ブドウの鶴が絡んでいる状況になっています。

2階8畳和室:
17.5畳のメインになる和室とは違い、質素ながら、欄間部分の材や絞り丸太の床柱など、非常に手が込んでいる部分でもあります。

2階8畳和室 襖部分:
襖に接する絞り丸太の床柱部分には、襖に合わせて切込みが入っています。

旧神谷伝兵衛稲毛別邸 2階納戸:
納戸部分にあたる部屋で、特に中央部分の丸窓が非常にアクセントになっています。

【編集後記】
自身も稲毛界隈はなじみ深かったのですが、建物探訪をするまで、稲毛地区が別荘地であったことや、神谷伝兵衛氏の別荘地があったことなどまるで知らず、また、この界隈にはラストエンペラー・溥儀の弟にあたる愛新覚羅溥傑が居を構え新婚時代を過ごしていたことなど、まるで知らないことが非常に多かった場所でもあります。

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