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わが心の近代建築Vol.14 豊郷小学校旧校舎群/滋賀県豊郷

こんにちわ!
今回は滋賀県豊郷より、様々なドラマのロケ地や、アニメ「けいおん!」の校舎のモデルになった、豊郷小学校旧校舎群について記載します。
まず、豊郷という街は。江州音頭発祥の地としても知られる一方、滋賀県で最も面積の小さい街になります。
豊郷という名前でありながら、この界隈はは水利に乏しく、町の名前は五穀豊穣を願って付けられたもので、水利に関して幾多の水争いを興し、特に1909年の大干ばつでは大きな被害をもたらせました。
明治期以降、干ばつなどによる生活苦のため大阪や京都、東京などに多くの人材が流出しますが、と同時、彼らによって豊郷に近代化をもたらしました。
1909年の大干ばつでを受け、地域住民が結束し1913年には日本初になる蒸気動力による揚水事業が竣工。
その後も水利開発が行われ、地下水の活用や犬上ダムの建設などで水利問題は解消しました。
また、この地域からは...
 ・丸紅創業者の初代・伊藤忠兵衛
 ・同社初代専務の古川鉄次郎
 ・バロン薩摩と謳われた薩摩治郎八
ら、数多くの商人を生み出しました。

今回扱う豊郷小学校設立までの経緯は、1873年に7つの村で3つの小学校が設立しましたが、専用の校舎を持たず、寺社の土地を借りての運営していました。
なお、1886年に薩摩治兵衛氏らの寄付を受け、豊聡小学校の初代校舎が完成。しかし築50年もすると校舎も手狭になり、老朽化も目立ち始め、新校舎建設が待たれます。
その際、同校卒業生の古川鉄次郎氏が当時の教育状況を聴き、私財の2/3を投げうって、この校舎が建てられ、設計には、当時、近江八幡で活躍していたアメリカ人建築家、WMヴォ―リス氏があたり、設計には竹中組(現在の竹中工務店)があたり、現場監督には後に竹中工務店社長などを務めることになる神谷新一があたります。

この校舎は、校内の設備に至るまで、古川鉄次郎氏の寄付によるもので、躯体には、当時最新鋭の建築資材だった鉄筋コンクリートを使用。
約4万㎡の敷地には、プールから図書館、講堂迄備え、トイレは一部水洗、集中暖房機や内線電話などを備え、「東洋一の小学校」「白亜の教育施設」と謳われます。
が…
この学校も戦争に巻き込まれ、金属部分などが金属供出で回収。戦争末期には豊郷も機銃掃射を受け、この校舎もカモフラージュのため黒塗りに。
戦後に、校舎は白く塗られ、ウサギと亀の装飾も先述の神谷新一氏指揮により再建。
1995年に起きた阪神淡路大震災から、この小学校も耐震性の議論が高まり、戦後塗り直された校舎も、コールタールの色が出るなどの状況…
新校舎へバトンを引き継ぎ、この校舎も建て替えが決定しますが、全国的に保存運動が巻き起こり、クレーンが入ったあと、すぐに保存が決定。
すぐに耐震化を含めた耐震改修工事が行われ、コールタールなどは洗い流され、竣工当時の姿を伝え、現在はロケ地以外に図書館やカフェ、教育委員会、子育て支援センターなどの複合施設に利用されています。

また、先述のように、様々なドラマのロケ地として使用。
中でも2009年に放映された深夜アニメ「けいおん!」で再注目。
現在でも、聖地巡礼が行われています。
なお2012年にこの校舎は、その貴重さから国指定登録有形文化財に選定されました。

建物メモ
豊郷小学校旧校舎群
●竣工:1937年
●設計者:WMヴォーリス
●文化財指定:国指定登録有形文化財
●交通アクセス:近江鉄道‶豊郷〟駅より徒歩10分
●写真撮影:可(商用厳禁)
●参考文献:
 ・豊郷町著 豊郷小学校旧校舎群ガイドブック
 ・豊郷町の歴史に関しえてはWikipediaを参照
●ガイド料:¥1000(ガイドブック併せての価格)
●留意点:
この建物は一部教室においては、ガイドさん立会いの下のみ公開されてい  ますので、是非ともツアーガイドを依頼されることを強く推します。

古川鉄治郎(1878~1940):
豊郷出身の実業家。
丸紅・伊藤忠商事の前身にあたる伊藤本店に勤め、最後は、丸紅の専務取締役にまで上り詰めた人物。
晩年は多くの公職に就き、業界・財界のための活動を惜しまず、最晩年期には小学校以外にも豊郷のために寄付をしました.

設計者 WMヴォ―リス(1880~1964):
キリスト教伝道師として米国より来日し、英語教諭として勤務。のち、近江地方を中心に建築家として活躍し、数々の建物を設計。
1941年に日本に帰化。以降、一柳米来留(ひとつやなぎ‐めれる)と改名。
建築家以外にもメンターム販売、病院経営、教育者、学校経営などを行い、人は彼を「蒼い眼の近江商人」といい、昭和大帝を、いわゆる「東京裁判」から護るため、マッカーサー/近衛階段の舞台を組んだことから「陛下を護ったアメリカ人」とも謳われます。

正門部分:
この学校は、正門部分を中心とし、前庭部分になり、校舎/講堂/図書館と0形成されています。なお、公邸部分は校舎の裏側にあり、体育館などは保存されませんでした。

噴水部分:天に昇る鯉が描かれており、向上心を意味します。竣工当時は古川鉄次郎氏寄贈のブロンズ製でしたが戦中の金属供出で長い間喪われていましたが、現在再現。なお、石像になっています。

古川鉄次郎氏の銅像:
豊郷小学校旧校舎群の寄付を行った古川鉄次郎氏の功績をたたえ、地元住民らが寄贈した氏の銅像。こちらも1943年の金属供出に出され、1957年に復元されたもので、当初は貴賓室に置かれていましたが、1863年に現在の位置に置かれました。

前庭部分:
前庭は日本初の造園家rとされる戸野琢磨(1891~1985)の作品で、自然の美を体感すること児童の心を養い、母校愛を育得ようとする戸野氏の思いが込められています。
現在駐車場になている部分には実習畑になっており、木々の間には竣工当時にはベンチが置かれ、涼を愉しみつつ休憩ができたそうです。

豊郷小学校旧校舎群 本館:
本館部分は、白、というよりクリーム色で構成。
戦時中には爆撃を避けるため、コールタールで灰色に塗られ、戦後、白色に塗り直されますが、改修前夜には、その塗料も剥がれ落ち、再び灰色部分が露呈。
耐震改修工事時に、コールタールは全て洗い流され、僅かに残った塗料、当時の校舎を知る方々への取材から竣工当時の姿に戻されるに至ります。

玄関部分:
この部分をくぐり、児童たちは登校しました。
また、本館の構造は2階建てで玄関部分が3階建てになっています。校舎はモダニズムを取り入れたものになり、機能性が求められる一方、講堂や図書館などにおいては無機質にならぬよう、装飾も最小限に加えられています。

玄関口から噴水を臨む:
照明部分に目が行きますが、さりげない装飾を出しているのに魅力を感じさせられます。

本館平面図:
玄関部分を3階とし、他の部分は2階になっています。また、1階部分には教育委員会や観光案内所、子育て支援施設、図書館など、活きた文化財として活用されています。

1階廊下部分:
天井の無機質な梁の整列以外に、防音防湿断熱を考慮し、コンクリート構造体の上に木造で壁をつくり空気層を設けています。
廊下部分の列柱はこの壁により隠され、廊下を並ぶ列柱で無機質になる印象を暖かくしています。

廊下部分の床のアール:
廊下部分の角を垂直にするではなくアールにして柔らかくすることにより、子どもたちが相似しやすくなるように、と、ヴォ―リス氏の想いかが込められた部分になります。

1階窓枠部分:
区踏み部分にはラジエーターが置かれ、講堂下のボイラーを熱源としたものsでしたが金属供出以降、復活することはありませんでした。
また、窓枠部分の石に関しては、人造石研ぎ出し仕上げと言われるもので、砕石とセメントを混ぜ合わせて作成。
当時は、高価な石の代替品として多く使用されましたが、現在は職人の数も減り、逆に使われることも少なくなりました。

1階 購買所:
豊郷小学校旧校舎群では、かつては、学校内に購買所がありました。

1階 階段部分:
豊郷小学校旧校舎群には階段が3か所ありますが、イソップ童話の「ウサギとカメ」の鋳鉄製の象が描かれています。
当初のものは、戦時中の金属供出で喪われ、現在のものは工事監督だった神谷新一氏が1951年に、再度寄贈したものになります。
また、「ウサギとカメ」については、小学校建設に多大な寄付を行った古川鉄次郎氏が、担任から教えられたイソップ童話「ウサギとカメ」の話を聴き、努力で立身出世したため、未来ある児童に彼のメッセージが込められているとも言います。
また、階段の一段目は奥行きが深く、階段の傾斜も緩やかで、児童に対する設計者の思いが込められています。

1階 階段南北にある弁当保温所:
豊郷は、非常に雪の多い地域で、講堂下のボイラーを熱源に温める場所として計画されていました。当時の図面を見ると、この部部に棚を設ける計画でした。

2階~3階段部分踊り場 油断して休むウサギと上り続けるカメ:
ウサギが休んでいる間もせっせと上り続けるカメが描かれています。

階段3階部分のカメ:
コツコツと努力して、カメはウサギに勝ちます。

2階廊下部分:
廊下の窓は独特で、下2段が室内側に開き、上部が廊下側に開く形状になっていますが、これは空気の循環以外にも、廊下を走った子どもが窓に激突しないためのヴォ―リス氏の配慮と考えられます。
また、廊下部分にある半円形の図柄は、この部分に教室の扉がついていることを示しています。

2階 再現教室:
竣工当時の豊郷小学校がどのよう氏に要されていたかを再現した部屋。
机や椅子、黒板の付近に貼ってあるコルクも遺されていた材料で再現されています。
また、机と椅子は一体型で、これもヴォ―リス氏デザインによるものになtっています。
なお、時計部部に関しては電気時計で、校内に遺されていたオリジナルのものになります。

2階 理科室:
古川鉄次郎氏は、理科/体育/工作の教育を重要視していた古川鉄次郎氏氏の計らいにより、豊郷小学校のそれらは非常に充実したものでした。
特にコックス実験用電源装置やドラフトチャンバーなど、当時の大学校並みの整備がされていましたが、豊郷小学校は。その理科教育の情熱により、1956年にSony主催の理科教育振興資金に応募し、最優秀賞を得ています。

2階理科室 コックス実験用電源装置:
理科実験で使用する電源を供給する装置。
当時の理科実験は、電動発電機により供給されていましたが、この変圧・整流器により通常からの電源からの実験を可能に。
直流/交流の電源が供給できます。

2階理科準備室:
かつては理科室と黒板を開閉することにより、この部屋とやり取りが行えましたが、現在は、耐震壁が造られたため、ふさがれています。なお、理科準備室には、当時の小学校…
いや、現代的に見てもオーバースペックな標本などの研究材料が保持されていました。

2階理科室 プラネタリウム映写機:
こんなものもあったようです

2階 貴賓室A:
玄関上部にあるところで2部屋あり、こちらは「次の間」などに用いられました。
もともとは4枚の折戸で仕切られていましたが、耐震壁が設けられたこと、また、耐震工事の際にクレーンが入ってしまった事から、現在は中央部分の2枚だけ残しています。

2階 貴賓室B:
メインの部屋として使用された部屋。
竣工当時には、建設に多大な寄付を行った古川鉄之助氏のブロンズが置かれていましたが、現在は前庭に移動。
なお、カーテン類などは竣工時の写真を基に再現。家具類やソファ、照明なども修理を行い再現されています。

3階の流し部分:
音楽室/準備室前の場所。
先述の窓枠に設けられた石台と同じく、こちらの流しも、人造石洗い出し仕上げで作られています。

3階天井部分の風向計:
3階屋上部分には風見鶏が付けられ、この風向計はちょうど真下にあたります。
風見鶏と連動して動いており、改修工事後、ふたたび元の姿に戻されています。

3階屋上に付けられた風見鶏:
石器絵図面上には「起床教授畳」と記載され、豊郷小学校で自然科学を教えるための教材として用いられました。

3階屋上部分:
屋上では、クラスの集合写真が頻繁に撮られていました。

3階 唱歌室:
この部分は、唱歌室として使用され、音楽室とは思えないような、小さなステージも設けられ、竣工当時は長椅子とピアノが置いてありました。
改修工事時には、後年、床に施された仕上げを取っ払い、カーテンやへシアンクロスまで、竣工当時の姿に戻されました。

3階 会議室:
音楽室の隣になる部屋で、この部屋は聖地巡礼のキーポイントになります。
個人的には、様々な思い入れがありますが、今回は深くは記載しません。

3階 湯沸かし室:
会議室に併設された部屋で、会議に使用するお茶などの用意が行われたことが推測されます。
個人的には、この部屋に関しては、言いたいことは山ほどありますが、「けいおん!」見直します。

講堂:
講堂部分は、小学校の行動であると同時、地域住民の集会所としても使用されました。大規模改修時には、天井部分の防火対策などを施し、現行法上、集会所などに使用してもよいように工事が行われました。
が、文化財施設として、その趣を変えないように意匠されています。

講堂:
左右の縦長扉などは錆びついていたものの、竣工当時の姿に戻されています。現在は校歌の額と古川鉄次郎氏の額が掲げられていますが、竣工当時は乃木希典大将と東郷平八郎元帥の肖像画が掲げられていました。

講堂の長椅子:
講堂の長椅子は復元過程で特に注意が払われ、同じくヴォーリス建築事務所が設計した神戸女学院を参照にしました。
背面の物入れなどは、教会建築を思わせる設えになっています。

講堂部分に掲げられていた、東郷平八郎元帥と乃木希典大将の肖像画:
この画は松尾松濤(まつお‐しょうとう)〈1883~1962〉の作品になっており、東郷氏、乃木氏ともども軍神とあがめられ、1937年の落成開校から1945年の終戦期まで掲げられていました。

講堂 御真影奉安庫:
講堂の舞台の裏には、御真影奉安庫が置かれ、この中には昭和大帝と香淳皇后ご御真影が収められていました。戦前/戦中時代の学校教育の意遺構としても大変貴重なものになっています。

酬徳記念館:
校舎などは古川鉄次郎氏から豊郷村に寄贈されたものでしたが、酬徳記念館に関しては、財団法人豊郷済美会に寄贈され、同団体が運営しました。
この部分は図書館に活用。
児童の図書館のみではなく、広く一般公開された建造物になっています。

酬徳記念館内部:
モダニズムを基調とする豊郷小学校旧校舎群のなかで、最も装飾が施された室内になっています。現在は「けいおん!カフェ」以外に、観光案内所として、新たな利用がされています。

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