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わが心の近代建築Vol.13 町屋物語館館(旧川本楼)/奈良県大和郡山

こんにちは。
今回は昨年度に訪問した、奈良県大和郡山にある「町屋物語館(旧川本楼)」について記載します。

まず、奈良県には日本最古の遊郭地と言われる奈良市の木辻遊郭、そして大和郡山市の東岡遊郭と洞泉寺遊郭、3つの遊郭があったといわれています。今回紹介する町屋物語館は、洞泉寺遊郭に所属した建物で、かつては「川本楼」として営業しまhしたが、1958年の売春禁止法により廃業。
以降は学生たちの下宿先などに使用。
1999年に大和郡山市が約8000万円で買い取り、7600万円かけて耐震補強などを施し、2018年より「町屋物語館」として一般公開されるに至りました。
また、2014年には、その優れた建築意匠から、国指定登録有形文化財に選定された稀有な建物になっています。

まず、「町屋物語館」は1924年に建立された建物で、間口6間半の3階建て建造物になっており、邸宅は川本家の居住と遊郭、二つの側面を持ち合わせた建物になり、建物自体は邸宅として良質な材を使用された部分と遊郭建築として奇をてらった部分、二つの側面があり、非常に見どころ多い建造物になります。

たてものメモ
町屋物語館(旧川本楼)
●竣工:1924年
●文化財指定:国指定登録有形文化財
●写真撮影:可(商用厳禁)
●交通アクセス:
 ・近鉄橿原線「近鉄郡山駅」より徒歩8分
 ・JR大和路線「郡山駅」より徒歩8分
●参考文献:
 ・町屋物語館の展示パネルなど
 ・ガイドさんの話をメモにして記載
 ・遊郭の歴史については、邸内のパネルを参照しました

外観:
3階建ての遊郭建築で、間口6間で窓の格子が大変特徴的になっています。
川本楼は1958年の売春禁止法に伴い、以降は、学生らの下宿所として使用。
1999年に大和郡山市によって買い取られ、その優れた建築的側面から、2014年に国指定登録有形文化財に選定されます。
大和郡山市のほうで修繕を行い2018年から「町屋物語館」として公開されています。

横側の吹き抜けの意匠:
横側には、時ハート形の切り抜きがありますが、これは「猪の目(いのめ)」と呼ばれるもので、日本の神社仏閣建築に頻繁に採用。
棒かなどの意匠が込められています。

平面図:
邸宅は、写真でも分かるように3階建てになっており、座敷棟は主に川本家の居住の場として使用。本館は遊郭建築として使用されました。
また、邸宅自体「ウナギの寝床」ともいうべき、奥側に深い構造。
3階部分は4畳客間と8個の3.75畳の客間。
2階部分は待合室のほか、3.75畳からなる6個の客間を配し、一般手的に、3階部分に人気のあるお女郎さんが充たる事が多かったそうです。

1階玄関口:
建設当時ではすでに、顧客の方にお女郎さんを直接見せることが禁止されており、右側に写真を提示して、顧客の方はそこから選びました。
また、下部は竣工当時は池になっており、大和郡山が金魚の街ということもあり、金魚が放たれていました。

1階 客引控室:
川本楼に客引きをされた方の控室になっており、彼らはこちらで休息をとりました。 

1階 娼婦溜:
川本楼が開店中は、お女郎さんたちはここで控え、指名があった際に、2階の髪結場で身支度をし、各部屋に客を案内しました。
また、窓部分が格子窓になっていますが、お女郎さんたちは、この部分で誰が来たかを見ていました。

1階帳場:
まず正面部分を見ると、ガラス襖が仕掛けていない部分があり、そこで顧客の方との金銭のやり取りを行いました。

2階 案内室:
中に通された顧客の方は、この部屋で酒や料理を摂り、新聞などを読みながら、お女郎さんの身支度や先客の待ち時間をつぶしていました。

2階 髪結場:
指名のあったお女郎さんたちは、この部分で髪結などの身支度をして、自分の担当する各部屋で客をもてなしました。

2階上雄以上から「猪の目(いのめ)」の吹き抜けを臨む:
このマークは場所柄ハート柄ととらえられがちですが、「猪の目」と呼ばれる、日本古来の文様。
神社仏閣建築や懸魚部分でも多く使用され、魔除け(防火)の意匠が込められています。

2階客間(再現部分):
川本楼に勤務するお女郎さんたちには、各部屋が与えられ、そこで来客者をもてなしていましたが。この部屋のように家財道具を置いて、勤務にあたりました。

2階 3.75畳客間:
客間部分は、2階、3階とも3.75畳の部屋がほとんどで、室内の床(とこ)部分は平床になっており、床柱は釣り床になっています。

2階客間の格子窓:
格子は木製ですが、お女郎さんが、この部分を破壊して、屋根伝いに逃げ出さないように格子は細かく作られています。

2階廊下:
廊下部分は、一般の廊下と比較し、非常に狭く作られており、各部屋上にあるカマボコ状の吹き抜けは、お女郎さんに対するの暴力など防犯上のため、すぐに声が届くように空けられました。

2階から3階部分につなぐ階段を臨む:
この大階段は、2階客座敷脇にある、3階のお女郎さんを指名した方は、この部分から上がっていきました。
なお、「町屋物語館」さんでは、イベント時などに、この部分に人形を置いたりします。(3階へ上がる階段は別階段を使用)

3階客座敷:
この部屋でも、2階の部屋同様、お女郎さんの身支度が整うまで、お客の方々が酒や料理をつまみ、新聞などを読みながら待ちあいました。

3階 吹き抜けのある客間:
この部分は2つの部屋が対になっており、それぞれが覗けられるように作られていました。
それ以外の基本構造は、各部屋と同じ設えになっています。

3階 吹き抜けのある部屋:
先述の部屋と同様、対になる部分で、この窓部分からお互いの部屋を覗く頃ができました。

3階 3.75畳客間:
2階部分同様、3.75畳の客間になります。
3階に充たるお女郎さんたちは、川本楼の中でも人気の高いお女郎さんでした。

3階客間の格子:
3階部分の格子は2階部分に比較すると、目の粗い格子が使用されています。
この理由として、竣工当時のこの地区には、野猿の高い家は少なかったため、屋根伝いに逃げられる心配が薄かったことと、2階部分はのぞき見防止のために細かく付けられていましたが、3階部分だとのぞき見される心配が低かったためとされています。

3階廊下:
2階部分に比較し、非常に広く作られていますが、これも3階のほうがグレードの高いためと言われています。

3階ガス灯:
木造建築にガス灯は非常に危険な感じですが、竣工当時、この地域は電化されていたものの、その供給は不安定で、予備灯の為にガス灯が設えていました。

1階洗面台:
この洗面台は、主にお女郎さんたちが使用したもので、コップ類に関しては、お女郎さんがそれぞれ、独自のものを使用しました。

1階 療養室:
過労などで体調を崩されたお女郎さんが休息する部屋になっています。
看病は隣の老夫婦や客引きさんがされました。
「生きて地獄、死して浄閑寺」などという言葉があるように、この時代のお女郎さんの境遇は、非常に凄惨…
新吉原の例を取ると、疾病にかかったお女郎さんは簀巻きにされて捨てられたり、病気の際は蔵で休んだ状況…
言い方は悪いかもですが、そうした意味では、川本楼のお女郎さんたちは比較的恵まれていたのかも知れません…

1階 老夫婦居室:
川本楼では老夫婦が住み込みで働き、隣室の療養所休まれるお女郎さんの看病や川本家の仕事をされました。

1階仏間:
平床が設えてあり、ガラス障子や障子の組細工が非常に美しい部屋で、川本家では、この部屋を仏間として使用しました。
仏壇に関しては、襖を開けると安置されていました。

1階主人居室(大広間):
主に主人の居室で使用されたほか、川本楼で宴会があった際には宴会場にも転用されました。障子部分は雪見障子になっており、中庭から景色を眺めることもできました。また、長押はケヤキの1本物が使用されています。

1階主人居室の書院:
書院欄間部分には、川本家の家紋が象られており、柾目の1枚板が使用された非常に豪華なものになっています

1階主人居室の床柱:
床柱部分には、書院造りなのに自然木のような気が使用されていて、非常にインパクトがありますが、この木は槐(えんじゅ)という中国原産の貴重な木で、邸宅…
主人居間に鬼を住まわせることで、魔除けとしていました。


1階中庭の井戸:
井戸部分は蛇口が付けられており、かつては、魔除けの為に天燈鬼と龍燈鬼が付けられていました

1階中庭部分:
左側は主人居室になり、右側部分は仏間などになります。
また、右側部分にはたわんだガラス…
つまり、竣工当時のものが使用されており、左側部分はガラス戸は無いものの、3階の屋根部分が庇になり雨や雪が邸内に入り込むことはありませんでした。

1階浴室:
浴室部分の天井には、川本家の家紋が描かれており、浴槽が置かれていましたが、天井が高く、浴室としては寒かったそうです。
この浴室は、川本家の方々が使用。
お女郎さんたちは、まだ近隣に風呂屋が多かった時代…
お風呂屋さんを使用されました。

1階客用トイレ:
このトイレは、主に来客者の方が使用。
トイレの扉には、松/竹/梅が描かれ、先述のように大和郡山は金魚の街、ということで、現在木ではられている床部分はガラスになっており、遊郭時代は金魚が飼育されていました。

1階茶室:
川本家では、茶室も構えられ、天井部分は網代が組んでおり、躙り口(にじりぐち)も設えていますが、床(とこ)部分がないものになっています。

庭園部分から蔵を臨む:
蔵部分は1922年に作成され、邸宅より2年前に作成されたものになっています。川本楼は奥側から徐々に造成された邸宅であることが伝えられています。

【編集後記】
この建物を初めて訪れたのが2019年のこと。旧川本楼に関しては以前から知っていたものの、なかなか訪問できずで、志賀直哉帝とともに訪問。大阪の「鯛や一番」さんなどが現存しているものの、遊郭建築に関しては、置かれている境遇は、デリケートな問題柄、大変厳しいものになっています。
が、全国に先駆け、この建物を買い取り、一般公開した大和郡山市さまのご英断には頭が下がると同時、ガイドさんが勤められた方に対し「お女郎さん」と話していたことに感銘を受けました。ただ…写真では極力隠しましたが、残念ながら、建物自体、所々に傷みがある為、抜本的な回収が必要と感じてなりません。
また、同じように遊郭建築に代表的なものとして、大阪の「鯛や百番」さんがありますが、こちらも建物にダメージがあるので、素晴らしい建造物、是非とも残してもらいたいと感じます。

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