高畑勲監督の遺作『かぐや姫の物語』を完成に導いた脚本家、坂口理子さんのこと

『りっすん』様で隠れた女性クリエイターについての記事を書かせて頂きました。

ブログの方では塚原あゆ子監督と奥寺佐渡子脚本について書いたんですが、noteでは坂口理子さんのことについて、記事では文字数上入りきらなかったことについて書きたいと思います。

記事でも書いたんですが、高畑監督と仕事するのって半端なことではなかった。とりわけ最晩年の高畑監督のすさまじさというのは、記事中で取り上げたドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』でも周囲の発言にも表れていて、庵野秀明が『パクさん(高畑監督)進んでます?』と聞くと、鈴木敏夫は苦笑いしながら「高畑さんはわかんない、理解不能だもん、完成させたくないのかな」とつぶやく。宮崎駿もある時はハイジで成し遂げた高畑勲の仕事を賞賛し、ある時は『性格破綻者ですよ』と言い切る。『(となりの山田君が終わってジブリに戻ってきたら)めちゃくちゃになってた』怒ってるんですが、もう徹底的に理で人を追い詰めるからみんな精神的にもたなくなっていくんですね。

『かぐや姫の物語』、共同脚本として坂口理子さんが参加したという話は普通に聞けば「ああそう」という印象かもしれないけど、最晩年の高畑監督の狷介さ、ほとんどもう現世を憎んでいるような厳しさを知っていたら「よくあの状態の高畑監督と一緒に仕事ができたな、いったいどんな人なんだろう」と思わずにいられないのではないか。

坂口理子さんの脚本家としての活躍はその後も続きます。

これは僕のブログで検証した記事なんですが、百田尚樹先生の原作『フォルトゥナの瞳』を大胆に変更して、明らかに映画として数段良くなってるんですよね。原作では何の意味もなく登場する有村架純演じるヒロインに能力を持つ必然性を付与したり、また『かぐや姫の物語』の西村Pはその後独立してスタジオポノックで『メアリと魔女の花』を公開するんですがここにも坂口理子さんが共同脚本として呼ばれていて(監督の米林氏は作画アニメーター出身で作劇があまり上手くない)、もうある意味で脚本界のブラックジャックというか、難しい作品にばかり呼ばれている感じがする。

映画『恋は雨上がりのように』も坂口理子脚本で仕上げられている。これはツイッターでの僕のツイートをまとめたブログ記事なんですが、

この映画、女子高生とファミレス店長の恋愛ということで公開前はかなり叩かれたりしたんですが、原作もそうなんですがそれを単純に肯定する話ではないんですね。坂口理子脚本の映画の中で結局店長は高校生の橘あきらのことを思って身を引く。あきらは足のケガを乗り越えて一度は夢破れた陸上に復帰するんだけど、ラストシーンで店長とあきらが偶然にあって会話するシーンが本当によくて、

(ここからネタバレになります)

あきらが店長に「私たち友達ですよね?」と語りかけて、恋愛ではない関係を再構築するという、まあ詳しくは見てほしいんですけど、ここの脚本は坂口理子さんのオリジナルなんですよね。漫画版のラストは「私は雨宿りをしていたんだ」という、これはこれでタイトルの解題に通じる素晴らしいラストのモノローグがあるんですけど、これは映画公開と同時に描かれたもので坂口さんは知らない。映画オリジナルのラストなんですね。ここの小松菜奈と大泉洋の演技も本当に良い。主人公の友人の女の子があきらに恋をしているという設定も原作から引き継いで、すごく繊細に膨らませている。

坂口理子さん、もちろん脚本家として業界での評価は高いけど、一般のテレビ視聴者にはまだ北川悦吏子さんや野木亜紀子さんのようにその名が轟くという状態ではない。でもすごい脚本家だと思います。

坂口理子さんの次回作は、乃木坂46の生田絵梨花さん主演のミュージカル『四月は君の嘘』、これもどういう風に舞台アレンジするのかすごく楽しみです。もういくちゃんが出る時点でチケットが取れないのであまり宣伝したくないんですが、まあ勢いで書いてしまったのでしょうがない。

というわけでりっすん記事に入らなかったことをいろいろ書きました。他にも色んな作家を取り上げてるのでよければりっすん記事、もう一度読んでみてください。2回貼る。








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