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20年前、森喜朗批判のあとにやってきたもの

当たり前の話だが、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長、森喜朗氏による発言が女性差別であることは論を待たないし、国内外からの批判もまったく当然のことだと思う。だがちょうど20年前、2000−2001年の歴史を振り返ると、不吉な予感に襲われるのも事実だ。ちょうど20年前にも、これとそっくりな風景があったから。

森喜朗には不思議な力がある。それは「負のポピュリズム」とでも言うべき奇妙な力、大衆をわかりやすくムカつかせ、まとめる力である。例えば不思議なことだが、麻生太郎や石原慎太郎がどれほど暴言を繰り返しても、こういう現象は起こらないのだ。彼らの暴言、傲慢さに自己同一化する人々が現れ、タカ派の政治性を形成し、それは時に多数を占め、「なぜあんな男を支持するのか」とリベラルな知識人にため息をつかせる。アメリカのトランプや、ルペンなど各国の極右政治家などもこのタイプに属すると思う。
森喜朗は違う。誰も彼を支持しない。ネトウヨと呼ばれる、ほとんどなんでもリベラルの反対に回りたがる層ですら、森喜朗の擁護には動きが鈍い。誰にでもわかるほど頭が悪く、見た目は冴えず、弁舌は目を覆うほど下手くそである。まるでゴールキーパーのいないガラ空きのゴールにシュートを決めるように、どんな批判も簡単に彼に命中する。誰もがゴール前に殺到し、我先にシュートを撃つ。そして振り返ると、守るべき自陣のゴールに誰もいなくなっている。フィールドには「森喜朗批判」という、国民をまとめる政治エネルギーが宙ぶらりんで浮かんでいる。

20年前、森喜朗の後にやってきたのは小泉純一郎という政治家だった。彼が清和政策研究会(森派)の会長である、ということをマスコミや国民が知らなかったわけではない。だが森喜朗があまりに無能で愚かだったので、小泉純一郎が森喜朗の手下だとは誰も考えなかったのだ。森喜朗に最も近い政治家だったにも関わらず、国民は小泉純一郎を最もアンチ森的な政治家として受け入れた。森喜朗批判でガラガラになった反対側のゴールに彼はやってきたのだ。

これはすべて森喜朗の計算だとか、だから森喜朗を批判するなという話ではない。計算ではないから厄介なのだ。森喜朗は実際に掛け値なしで愚かだし、旧態依然としているし、その言動は批判するしかない。計算ではなく本当に愚かで、批判するしかないからこそ、森喜朗は国民の心理に大きな穴を開ける不気味な力を持っている。小泉純一郎が森派の会長として『聖域なき構造改革』の名の下に同じ自民党に刺客を送り、清和会をモンスターに育てあげる時、小泉純一郎は森喜朗が育てた「負のポピュリズム」、森喜朗に対する反感のエネルギーをまるで反転させたような奇妙な熱狂に包まれていた。なぜそんな現象が起きたのか今でもまったくわからない。だが20年前、森喜朗のあとで、それは起きた。

東京都知事の小池百合子も、大阪府知事の維新吉村も、森喜朗を批判する。当然のことだ。批判する以外にない言動をしているのだから。

節分の鬼に豆をぶつけ、誰もが「鬼は外」と言う。その時「福は内」というかけ声と共に、誰かが家の中に音もなく入ってくる。20年前と同じようにそれが起きるような、不気味な予感がしている。

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