見出し画像

ひろゆきを7000RT燃やしてしまって感じた、ふだんの彼は論理ではなく共感で論争に勝っているという話

ネットでひろゆきを論難してバズを稼ぐ、というのは例えれば「痴漢のケツを触ってセクシャルハラスメント」みたいな行為であって、決して自慢できる話ではない。でもやってしまったのものは仕方がないので、簡単に整理しておこう。 

我ながらひでえツイートしてんな。まあ別にこれは僕がひろゆきより頭がいいとかいう話ではなく(自分で言うのもなんだけど僕はかなりアホな方だと思う)、今回のひろゆきは普段にもましてスキだらけだったと思う。ヤフー記事になる前の元々のツイートがこれ。

実は、この引用先のユーチューブでひろゆきが言っていること自体は、100%間違っているわけではない。要約しよう。「学校では遅刻すると怒られるけど、重要なのは遅刻するかどうかより成果を出すことだ」。この部分だけを見れば、そんなにおかしくないよね。遅刻をするけれどもちゃんと予習して授業を理解している子供がいる。オーケーだ。学校に行かないけど勉強を理解している子供、そう、ついこの前、ひろゆきとネットで論争して話題になったあの子が不登校でもオーケーであるという理屈と(ひろゆきの立場は逆になっているけど)まあそんなに変わらない。

で、ここまでにしておけばいいのに、ひろゆきはこの話を学校教育から「社会」のレベルに広げてしまう。学校の遅刻が成績でカバーできるのは、生徒が授業に遅刻しても他の生徒には迷惑がかからないからだ。社会人の遅刻は、その遅刻で迷惑が掛かる人すべてをリカバリーする「成果」が必要になるわけだが、それができるケースばかりではない。引用動画の中で「大谷翔平が遅刻したらクビにします?しないでしょ?」と自信満々にひろゆきは言うのだが、暗にその遅刻は「チーム練習の時間」を指している。だが、もしその「遅刻」が大谷祥平が先発ピッチャーとして登板する試合開始の遅刻だったら?その試合が絶対に落とせない、ワールドシリーズの第七戦だったら?

メダルがかかったオリンピックの優勝決定戦に遅刻して失格になる天才選手を考えてみればわかるが「成果と遅刻、どちらが重要か」というひろゆきの二者択一は現実の中では混沌と入り混じっているわけだ。

ひろゆきが大谷翔平を例に出したので野球で言うと、要するにひろゆきの話の毎度のトリックとして「打撃力のある選手にはDH制がある」という話を「ホームランが打てれば守備なんていらない」「守備だけの選手なんていくらでも代わりがいる、野球で大事なのはホームラン」という極論に少しずつずらしていく手品がある。

あるいは「投手で重要なのはコントロールより球速、全部ストライクが投げられるけど時速100㎞しか出ないピッチャー、プロになれますか?」みたいな論理。ひろゆきはもちろん、その気になればこの極論を裏返して「投手で重要なのは球速よりコントロール、時速200㎞出るけど一球もストライクが投げられないピッチャー、プロになれますか?」と主張することもできる。「時間を守るだけの無能より、守らない天才の方が社会で需要がある」というのは、そういう操作されたテーゼなわけだ。

なんとなくあのトカゲっぽい顔と物言いで理系的なイメージを持たれているけど、実はひろゆきは全然「論理的」ではなく、きわめて「言語的」なトリックに依存した文系的な論者だと思う。

実はひろゆきは論理で勝っているわけではない。彼は何度も専門家に完全に論破されている。文系であれ理系であれ、体系的な論理の構造を知っている専門家にとって彼の修辞法のトリックはそれこそ子供だましにすぎないからだ。

本当に「論破王」であれば一度に面目を失墜するはずのミスを何度犯してもさらっとスルーするだけでひろゆきの人気が失墜しないのは、実は彼が足場にしているものの正体が公正な「論理」ではなく、ネットの多数派に渦巻く「感情」だからである。言語学者がどう細部をつつこうと、地球の重力が大気圏を出たところでパッと消滅しようとしまいと、「ひろゆきに勝ってほしい、自分たちにも理解できるわかりやすい言葉で、分かりにくくて複雑なものをバッサリ切ってほしい、やっちまえ」という感情に支持される限り、ひろゆきは不敗であり不死なのである。

つまりふだん彼を支持している層は、彼が鮮やかに論理のイカサマをやってのけるその手際、能力にしびれているのであって、論理の正しさに納得しているわけではない。「これはイカサマだ」と指摘しても「ひろゆきにだまされた」とは感じない。「ちぇっ、今日はうまくいかなかったな」と思うだけである。

今回にしても、この程度の言語の穴、現実とのズレはひろゆきの話では通常営業なのであって、いつもなら彼はネットの支持を背景に押し切っていたはずだ。今回彼が珍しいほど炎上してしまったのは、最終的に例え話を「漫画家」に持って行ったことにあると思う。

「締切を守れない「HUNTER X HUNTER」が売れて、締切を守ってもつまらない漫画は売れません。他の人が出来ない価値が作れる人は優秀ですが、真面目で時間を守るだけの人は、安くて真面目な他の人に替えられます。」

まず1つ目、「冨樫義博は時間にルーズで締め切りを守れないのではなく不定期連載なのだ」というツッコミはある。僕のツイートもそこは見落としているのでひろゆきと一緒に謝ろう。富樫先生めんごめんご。ほらお前もちゃんと謝れよひろゆき。ちゃんとだよ。

2つ目。「真面目で時間を守るだけの人は、安くて真面目な他の人に替えられます」とひろゆきはわざと時間を守る「だけ」の人と問題設定をずらしているが、「真面目で時間を守り、しかも一定の能力がある人間」というのは実は社会ではそうそう代わりのいない貴重な存在であったりする。プログラマーに変人が多すぎて、逆にまともな社会常識のあるプログラマーが重宝される話はよく聞くが、時間やルールを守ることは十分に「成果」の一部であり、それらは相対的なわけだ。逆に言えば、週刊連載という枠を超えてジャンプに迎えられるには、冨樫義博レベルの才能がなくてはならないわけだが、冨樫義博がその才能を万人に知らしめ、漫画が売れるようになるまでにはまず「てんで性悪キューピッド」から「幽☆遊☆白書」アニメ化でブレイクするまで、死ぬ思いで締切を守ってきた実績があるわけである。

でもまあ、上の2つはいつものトリックだ。で、3つ目。ここが本題。

今回ひろゆきが派手に炎上した本当の理由は、漫画における価値、「面白い/面白くない」という価値観と、「売れる/売れない」という価値観をいっしょくたに混ぜて論じてしまったことで、マンガという文化にネオリベ的一刀両断の価値観を持ち込んだように見えてしまったことだと思う。

「締切を守れない『HUNTER X HUNTER』が売れて、締切を守ってもつまらない漫画は売れません」という文章そのものに表面上矛盾はない。その通りである。しかしこの「つまらないこと」と「売れないこと」が一緒に混ぜられた文章は、ネットの漫画ファンの感情にざらりと触れてしまったと思う。

ひろゆきはたぶんこれをツイートする時、「どうだみんな、冨樫義博や『HUNTER X HUNTER』好きだろ?売れてる漫画が一番だろ?」というロジックがネットの喝采で迎えられると確信していたと思う。いつものように。でもそうではなかった。確かにみんな『HUNTER X HUNTER』は好きだ。でも同時に、締め切りを守り長く続いた作品や、志半ばで打ち切られていった漫画たちのことも深く記憶していたりする。

要するにひろゆき得意の「要するに数字がすべてなんですよ」という万物を単純化するネオリベラル的ロジックが、漫画という繊細な文化の領域に接続された拒否反応が、7000RTという派手な炎上の火薬になったのだと思う。

でもさ、まあひろゆきを燃やした張本人が言うのもなんだけど、こういう「論破」はあまりスジのいいものではない。結局僕のツイートを後押ししたのは「マンガ文化を愛する人たちがネットには多い」という「数の多さ」に支えられた追い風だからだ。

でもこれって本当はマンガだけではなく、他のジャンルでもそうであるはずなのだ。「『HUNTER X HUNTER』は好きだけど、漫画の価値は売れる/売れないだけじゃない、そもそも面白い/つまらないの基準さえ人によってちがう」という漫画ファンの複雑な感情は、ひろゆきが他のジャンルでネオリベ的な理屈を振り回し、「そうだやっちまえ」と喝采を浴びている時にそのジャンルの人々が思っていたことかもしれないわけである。

今回、ひろゆきはその「ネットの感情」を踏み外した。「締切を守れない『HUNTER X HUNTER』が売れて、締切を守ってもつまらない漫画は売れません」という言葉は「仮定の話」で逃げ道を作ってはあるが、「漫画はそんなに単純じゃないよ」というネットの感情に反旗を翻された。まあその通りだ。でも「そんなに単純じゃない」のは、本当はマンガだけではないんだよ。

匿名掲示板が必要だった時代もあった。今の十代には信じられないかもしれないけど、もう21世紀になってたというのに、島田紳助がなんの落ち度もない女性マネージャーを拳で殴って書類送検された時、テレビは彼を容疑者ではなく司会者と呼び、今ではリベラルな顔をしている人たちが何人も彼に愛想笑いを浮かべていた。あの時に島田紳助を一般人がぼろくそに言える場所が社会には必要だったと思う。当時のひろゆきは、別に頭がいいから尊敬されていたわけじゃなかった。そんな厄介な場所の最終的な責任を取る人身御供みたいな存在として、「まあ最終的にヤバい責任をとることになるかもわかんないけど、ごめんなひろゆき俺たちの身代わりに」くらいの感じで慕われていたと思う。そういう場所が必要だった、あるいは今も必要なのかもしれない。でもひろゆきはもうその場所の管理人ではない。

そういう立場じゃなくなった今のひろゆきを若い世代がマジに頭がいい人として尊敬していることに関しては非常に複雑な気持ちだ。彼の言説は基本的に「ソーシャルハック」的な体裁で語られるが、彼が売るハッキングツールの大半は実際にはとっくに対策された、現実には役に立たない骨董品でしかない。ひろゆきの言っていることのすべてが間違いではない。問題は正しいことと間違ったことが混ざったまま若い世代が鵜呑みにしてしまうことだ。

たぶん今回の炎上もひろゆきはさらっとスルーして次に行くし、彼のまわりにいるメディア関係者は無論これからも彼をマスメディアでプッシュすると思う。次からはもっと慎重に、ネットで共感が確実に得られるターゲットを選ぶだろう。でもひろゆきに「締め切りを守るだけの売れないつまらないマンガ」が切られた時のあの「そんな単純な話ではない」という違和感を忘れないでほしい。

最後にジャーナリストの清義明氏が書いた、彼と匿名掲示板に関する記事の第一回を若い世代のために張っておこう。

というわけで、僕の話はここで終わりである。ここからは有料部分で「西村博之と西野亮廣はどっちが厄介な相手であるか」という怪獣対怪獣のウルトラファイトみたいな話をしようと思ってるけど、まあそれはおまけみたいなもので、ここまで読んでくれた人が投げ銭代わりに買ってくれたらいいな。ちなみにこれを単体で買うなら一昨日から始めた月額マガジンを購読してくれた方がお得だと思うのでおすすめである。というか購読していただけないでしょうか。何しろ本を読んだり映画や演劇を見るための金がないんだ。ひろゆきと違って、無能だからね。


ここから先は

1,424字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?