生きるのって難しい

「生きるの辛いでしょ?」
従姉妹に言われた。

私は気にしいで、八方美人で、
他人からの評価をやけに気にしてしまう。
それを母に言うと
「みんなそんなもんだよ。」
と返されてしまった。

高校の時、コロナが流行っていたのでお昼は自分の席で黙食。その静かな教室にコンビニで買ったお昼を開ける音が鳴るのが本当に嫌だった。誰かを不快にさせてしまうかも。誰も私の出す音なんて気付きもしない。わかってるのにどうしても怖くてみんなが食べ終わってざわざわするまで食べるのを待っていることもあった。
授業で指されると、誰も私の意見なんて聞きたくないと思って喉に何か詰まったみたいに声が出なかった。

誰にでもいい顔してみんなに嫌われないように頑張った。
嫌なことがあっても私が我慢すればことがうまく進むなら、誰かが幸せになるなら、全部我慢したしめんどくさいことも汚いこともやった。
でも我慢しすぎたせいで思ったこと言わないと分かんないって言われて。当たり前だけどね。人間関係って本当に難しい。きっと向いてない。

「みんなそんなもんだよ。」
別に私が特別辛いんだってことを言いたいわけじゃない。みんなたくさん考えて、たくさん我慢して生きてることなんて知ってる。ただ、誰かに頑張ったね偉いねって言って欲しくて母なら言ってくれると思ってた。だからこそもう誰にも褒めてもらえないんだなって思ったら辛かった。私のこの我慢は誰のためになってるのかもわかんなくなった。

「生きるの辛いでしょ?」
従姉妹に言われて、私が欲してた言葉はこれだったって気付いた。偉いね頑張ったねとかの同情じゃなくて、ただ私が一生懸命生きていることを分かってくれたっていう事実だけでよかったんだ。その一言で私は気にしすぎなんだって思えたし、もっとゆるく生きていいんだよって言われた気がした。

きっとこれからも私は無駄な気遣いをしてしまう。誰も求めてないような細かいことまで。いつか他人軸で物事を考えるのを辞めて、自分軸で生きていけるように、最近放棄していたダイエットを頑張ろう。見た目の自信は大きいと思う。


殴り書きだから文章がめちゃめちゃかもしれないですごめんなさい

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