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自己犠牲の尊さを忘れた日本人

新型コロナウイルスを怖れるあまり、医療従事者に向かって罵詈雑言を投げつける人が多くいるという。

彼らの気持ちがまったく理解できないわけではない。医療従事者は感染者の治療に携わっていることも多いだろうから、ふつうの人たちよりも感染している可能性は高いといえる。そういう意味に限っては、医療従事者との接触を怖れるのは当然の反応だろう。

しかし、医療従事者は好き好んで自らをウイルスに晒しているわけではない。感染患者を救うために、危険に身を晒しながら医療行為に従事している。

さらにいえば、新型コロナウイルスの流行によって、医療従事者の業務量は大幅に増加しているはずである。激務に日々の生活が支配されてしまっている状態にあるだろう。それは健全なものではない。

医療従事者は、まさに自己犠牲を払って感染患者を救っているのだ。

それにもかかわらず、自己犠牲を大して払っていない我々が、彼らを「危険」だとして遠ざけようとするのは、極めて卑怯なふるまいではないだろうか。

医療従事者に罵詈雑言を浴びせる人たちは、おそらく自己犠牲の尊さを理解できないゆえ、そのような言動を平然と行うのだろう。それも仕方のない話かもしれない。戦後日本では、自己犠牲の価値を徹底的に否定してきたのだから。

先の大戦で、約300万人の日本人が亡くなったわけだが、戦後日本では「臭い物に蓋をする」とばかりに、彼らに対して敬意を表することが非常に少なかった。特に戦後が長くなっていくに連れて、その傾向は強まっていった。

戦争の是非とは無関係に、戦死者たちの自己犠牲は尊いものである。たしかに、その自己犠牲の精神が、国家に利用されてしまった面はあるのかもしれない。しかし、だからといって、自己犠牲の尊さ自体を否定してはならない。戦死者ひとりひとりの自己犠牲の価値がなくなるわけではないからだ。

戦後日本では、先の大戦の戦死者たちを「犬死に」として扱ってしまった。敗戦という結果だけで、そう判断してしまったのである。それゆえ、戦後日本では自己利益ばかりを追求する風潮が蔓延し、行き過ぎた経済至上主義を「エコノミックアニマル」と揶揄されたりもした。

人間と動物を分ける要素のひとつは、自己犠牲である。動物は基本的に自己犠牲はできないが、人間は動物のなかで唯一例外的に他者のための自己犠牲をする。すなわち、自己利益を追求することは動物の行動原理であり、自己犠牲を行うことは人間の行動原理なのである。

自己利益に基づけば、医療従事者を排除したほうがその場のリスクを取り除くことができるから、正しい行動といえる。しかし、我々は人間である。自己犠牲の価値を理解し、他者の自己犠牲に敬意を払わなければならない。自己犠牲の尊さがわかれば、医療従事者に罵詈雑言を投げつけることは絶対になくなる。

自己犠牲の尊さを忘れた日本人ゆえに、医療従事者への罵詈雑言が相次いでいるのだ。

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