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「文化死すべし」

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。東京都では、きょう(2019年4月11日)も新たな感染者が197名確認され、4日連続で1日あたりの感染確認者数の最多を更新している。

緊急事態宣言の発令を受け、東京都は特定の施設に対する4月11日から5月6日までの休業要請を出している。いわゆる「三密(密集、密接、密閉)」になりやすい施設が対象とされており、このなかには映画館やライブハウスなどの文化的施設も含まれている。緊急事態宣言以前から大規模なイベント開催やナイトスポットは自粛を要請されていたし、さらに緊急事態宣言が発令されたことで、アーティストと呼ばれるような文化産業の担い手たちは特に大きな打撃を受けている状況にある。また、テレビ局でも感染者が出ているので、歌手やタレントのテレビ出演なども見合わされている。

文化産業に携わる者たちからは、こうした現状を憂う声が上げられている。「このままでは文化は滅びてしまう」と。そして「文化を存続させるため」という大義名分を以って、彼らは国に休業に伴う損失補償を求めている。

私はこうした意見に賛同しない。断っておくが、私は常日頃から文化というものをとても重要だと考えている。しかし、私が大切にしたいと思う文化は、常に同じ者が担い続ける文化ではない。一部の者たちの特権化した文化は腐敗した偽の文化、いわばスポイルド・カルチャーであり、ほんとうの文化とはすべての者に開放されていなければならない。すべての者に開放されているならば、新陳代謝が活発になる。

今回の新型コロナウイルス感染拡大の影響で、たとえアーティストが廃業したり、ライブハウスが閉店になっても文化が失われることはない。もちろん、それは文化的損失ではあろうが、いっぽうで感染拡大が収束したのちには、また別の者たちが新規参入してくるはずだからだ。私たちが文化を必要とするかぎり、新たな担い手たちが登場するだろう。供給が需要を生むのではなく、需要が供給を生み出すのである。

新たな担い手たちは、新しい文化を創造する。むろん、文化は蓄積されるものであるから、むかしからの文化は大切にしなければならない。だが、新陳代謝なき文化はダイナミクスを喪失し、美術館に飾られている絵のように無味乾燥なものとなってしまうのだ。

人々から必要とされるかぎり、文化に携わろうとする者がいるかぎり、文化は滅びることはない。文化の場は大切だが、仮に場がなくなっても、再び場を建設する者が現れるのだ。プレイヤーもまた然りである。だから、あえて言いたいと思う。

「文化死すべし」と。

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