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ヒョードル・ドストエフスキー「罪と罰」(6)

ラスコーリニコフは疑いを晴らそうとして、自分から予審判事を訪ねた。「ぼくを疑っているなら、訊問してください。なんなら、逮捕してもいい。証拠があるならね」

予審判事は答える。「その必要はありませんよ。この事件は放っておくのが一番です。そうすると犯人は不安になって、自分からボロを出しにやって来るんです。火に飛び込む蛾のようにね」

しかし、思いもよらないことが起こる。事件当日、同じ建物にいた職人が、自分が犯人だと自供したのだ。

その場を逃れたラスコーリニコフは、ソーニャの部屋を訪ね、真実を告白する。

『理屈抜きで殺したくなったんだ、自分のためにね。自分一人のためだけに、殺したくなった!ぼくが殺したのは、母さんを助けるためじゃない!そんな馬鹿な!資金と権力を手に入れ、人類の恩人となるためでもない。そんなの馬鹿げている。ぼくは、ただ殺した。自分のために殺したんだ。自分一人のためだけだ。ソーニャ、殺した時、本当に必要なのは金じゃなかったってことだ。必要だったのは、金とは違うなにかほかのものだったんだ…。あの時、ぼくは本当にひと思いに自分を殺してしまった、永久に…。これからどうしたらいい。さあ、言ってくれ!』

ソーニャは涙をいっぱいに溜め、火のように輝く瞳で彼にこう言った。

『今すぐ十字路に行って、そこに立つの。そこに跪いて、あなたが汚した大地にキスをするの。それから世界中に向かって、みんなに聞こえるように「私は人殺しです」ってこう言うの。そうすれば神さまが、もう一度あなたに命を捧げてくださる』

しかし、それを聞いたラスコーリニコフの顔には、ふてぶてしい薄笑いが浮かぶだけだった。

ラスコーリニコフの「ふてぶてしい薄笑い」とは、ソーニャの言葉に真実があると感じ、また虚を突かれたゆえの反応だったのではないか。真実を感じる気持ちとそれを否定したい気持ちがせめぎ合っている。

また、「母なる湿潤の大地」という言葉があるように、ロシア人の心のなかでは、大地は聖母マリアを象徴している。

ラスコーリニコフの殺人動機は変遷している。

1.「なに、盗みのためさ」
   「母さんを助けたかった」

2.「ナポレオンになりたかった。だから殺した」

3.「自分でもわかってるんだから、悪魔に惑わされていたってことが」

4.「理屈抜きで殺したくなったんだ」

5.「ぼくは、ただ殺した。自分のために殺したんだ」

犯罪の理屈がいくつも出てくるのは、ラスコーリニコフ自身が他者になりつつある証拠なのかもしれない。

ラスコーリニコフは、根本において自分が一匹のシラミではないことを証明したかった。しかし、客観的には出口がなく、その状況が彼の自尊心に合わない。絶対に許せないという気持ちがおそらくあったのだ。

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