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ヒョードル・ドストエフスキー「罪と罰」(3)

家賃滞納の件で警察に出頭したラスコーリニコフは、そこで高利貸しの老女と義理の妹殺害が話題になっているのを耳にして、その場で卒倒してしまう。

警察で不審がられながらも、なんとかその場を離れたラスコーリニコフは、自宅に隠していた老女から奪った金品を人気のない資材置き場の石の下に隠す。その後、自宅に戻ったラスコーリニコフは高熱を発し、丸3日間意識を失って、眠り続ける。

ラスコーリニコフは、頭ではこの犯罪は悪くないと信じているのだが、身体の無意識部分が抵抗し、精神と肉体のあいだに摩擦が生じ始めている。意識を失っていたあいだは、その摩擦熱でそうなっていたのだろう。

追い詰められてしまうと、他者という存在が消える。

実は、「罪と罰」の作者であるドストエフスキー自身も犯罪者だった。作品を構成する想像力の根底には、作者の実体験があったのである。

ドストエフスキーは、貧富の差が激しい社会を変革しようと活動していくうちに、危険分子と見做され、仲間とともに反逆罪で逮捕された。そして彼には死刑判決が下される。絶体絶命の状況だったが、処刑直前になって、恩赦により死刑を免れ、4年間にわたってシベリアに流刑となった。

ドストエフスキーは流刑地でさまざまな犯罪者たちと生活をともにした。この流刑地シベリアでの彼らとの交流が、ドストエフスキーの作品に大きな影響を与えた。

もともと、ドストエフスキーは父親の死をきっかけに金遣いが荒くなっていた。父親の死にまつわる事実や罪の意識から解放されたいという気持ちが、彼を荒んだ生活に向かわせたのだろう。ドストエフスキーは10代後半から20代前半までの堕落した生活を償うかのように、社会主義思想(空想的社会主義)に近づいていったのである。

ドストエフスキーはシベリアの過酷な環境のなかでの生活で、人間はどこまで行っても人間であり、自分の人生をしっかりと生きている人たちが山ほどいるという実感を得た。世界を変革するという発想は根本的な奢りでしかないと気づいたドストエフスキーは、観念的な人間観や世界観と決別した。

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