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科学の限界を知ること

科学には、分からないことがまだまだある。

今回の新型コロナウイルスは未知のウイルスであった。こうした未知との遭遇は、その当たり前のことを改めて思い出させてくれる。

技術進歩の著しい時代を生きる我々は、科学に不可能などないと思いがちだが、それは現代人の愚かな思い上がりに過ぎない。最も「科学的」な印象のある物理学でも、統一理論は完成していない。

科学は部分的な正解しか発見できていない。だからこそ、科学に関わる者はまず「無知の知」を心に刻み込まなければならない。自らがすべてを知っていると思い上がる者は、部分的正解でしかないはずの科学を全体的正解であるとすり替えてしまう。そうして導出された「科学的」見解は見当外れのものにしかならず、現実世界ではまったく通用しない、実践では役立たずの机上の空論となるほかなくなる。

また、科学とはすべて過去に属する事柄だということも忘れてはならない。未知に際して、既知である科学を未知の現実に適用するためには、単なる「科学的」知見は役に立たない。そこで未知と既知を橋渡しするセンスが必要となるのだが、そのセンスを磨くために必須なのが哲学など人文科学系の教養なのだ。

あらゆる科学は直観から生まれる。教養なき科学者は無用の長物であるばかりか、有害でしかない。部分はあくまで部分でしかなく、全体を観ずるためには「科学的」知見のみでは足りないのである。

アインシュタインは、自らを科学者ではなく哲学者と称していたものだ。

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