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日本の核武装について

我々日本人は、前例なき時代を迎えようとしている。

日本列島に暮らす我々は、その悠久の歴史において常に大陸の勢力と対峙し続けてきた。そして大陸の勢力とは、ほとんどの時代において中国であった。時に元寇のような侵攻を受けたこともあったが、我々日本人は海洋国家であることの強みを活かしながら、なんとかこれを斥けてきた。

こうした大陸勢力との関係性が大きく変化したのは、約200年前からだ。一足先に産業革命を経た西欧列強は、その侵略の矛先をついに大陸の反対側である極東地域に向け始めた。東洋最強国であったはずの中国は西欧列強によって瞬く間に分割され、半ば植民地の様相を示すようになった。

ペリー来航を契機に国際情勢に目を開かざるを得なくなり、中国の惨状を目の当たりにした日本人はこれに危機感を募らせた。中世の象徴である江戸幕府を倒幕し、近代国家建設へと急速に舵を切った。世界史上にも稀な急転換を成し遂げ、明治維新(1868年)からわずか37年後には、西欧列強の一角を占めるロシア帝国を打ち負かしたのである(1905年にポーツマス条約締結)。

この日露戦争の勝利によって、日本人は極東地域の脅威をあらかた薙ぎ払ったかに見えた。しかし、次なる脅威が間髪いれずに迫りくることになる。その脅威とは南北戦争による痛手から立ち直り、再び西進を始めたアメリカであった。それまでの大陸勢力である中国やその利権を引き継いだロシア帝国に代わって、別の大陸から新たな勢力が日本人の前に立ちはだかったのである。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦での勝利を経て、日本は有色人種として初めて西欧列強と肩を並べたが、そうした表向きの華やかさとは裏腹に、その内実はいまだ農民が国民の過半数を占めるような国であった。1941年の日米開戦時でも国民の半数以上は農業に従事していたし、アメリカ合衆国のGDP(国内総生産)は当時の日本の約13倍と、その国力差は途方もないものだった。日米の国力差の当然の帰結として、1945年8月15日、日本は敗戦した。

GHQによる約7年間の占領を経て、1952年4月29日に日本は独立を回復した。GHQの占領方針は、大陸中国の赤化と朝鮮戦争によって顕在化した冷戦構造の深刻化を受けて、日本を禁治産者のように扱うものから反共の防波堤として再生させるものに変化していた。その延長線上に、現在まで続く日米安全保障条約(日米同盟)の締結がある。

アメリカにとって、極東地域におけるもともとの同盟者は蒋介石率いる中華民国であったが、蒋介石は国共内戦の末に台湾に落ち延びてしまった。ゆえに、アメリカ合衆国は極東地域における新たなパートナーとして日本を必要としたのである。

世界最強国であるアメリカとの同盟を後ろ盾に、戦後日本は軽武装路線とアメリカへの輸出の拡大を推し進めた。その結果、日本人は「冷戦における真の勝者は日本である」と言われるまでの経済的繁栄を謳歌することができた。片務的な日米同盟や巨額の貿易黒字は日本側に極めて都合の良いものであった。しかし裏を返せば、アメリカは過剰な軍事負担と巨額の貿易赤字を抱えていたわけでもある。

通常ならばアメリカが不満を爆発させても仕方ないところだが、アメリカはイデオロギー上の宿敵であるソビエトに打ち勝つことを最大の目標としていて、そのためには日本との同盟関係が必要不可欠だと認識していた。それゆえ、ソビエトの凋落が判然とし、冷戦の終結が見えてくる1980年代に到るまで、アメリカは「フリーライド(ただ乗り)」とも言える日本の姿勢に、それほど抗議せずに堪忍していたのだ。

1989年12月、ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長がマルタで会談し、冷戦の終結が宣言された。さらに1991年12月25日、ロシアなどのソビエト離脱と独立国家共同体の設立を経て、ソビエトは崩壊する。こうしてイデオロギー上の宿敵に勝利したアメリカは、もはや日本に過剰な譲歩をし続ける必要性はなくなった。冷戦終結は「ジャパン・バッシング」の本格的な始まりでもあったのだ。

ただ、冷戦が終結したとはいえ、極東地域では冷戦構造が残存したままであった。ヨーロッパではドイツが統一されたが、極東地域では朝鮮半島や台湾海峡など、従来の対立がそのまま残置されたのである。しかも中国は没落したソビエトとは異なり、鄧小平が打ち出した「改革解放」路線によって、著しい経済成長を続けていた。そして冷戦終結は、中国が世界経済に深く参入していく号砲となった。1989年に天安門事件があったにもかかわらず、1990年代以降の中国経済はそれまでとは段違いの成長をすることになり、現在に到っている。

中国の経済成長は、日本のような軽武装路線ではなく、軍事力の拡充も伴うものだった。中国は経済力が拡大していくにつれて、それにふさわしい軍事力を有することを志向した。2019年度の軍事予算は1兆1900億元、アメリカドル換算で1774億9000万ドルとなっている。アメリカの2019年度軍事予算は6846億ドルだから、中国の軍事予算はアメリカの約25%程度となる。ただ、この比較はアメリカドル換算を経ているから、中国の人件費が格安であることや通貨安政策を鑑みると、実際の軍事力の差はもっと小さいかもしれない。

ちなみに、世界全体の2019年度軍事予算は1兆7300億ドルで、アメリカと中国の軍事予算がその半分を占めている。

中国の急速な軍拡に対して、日本の2019年度軍事予算は5兆3000億円程度でしかない。軍事費ベースで見ても、すでに3倍から4倍の格差が開いている。その反面、中国の軍事予算はアメリカのそれに比べて約4分の1にすぎないが、トランプ政権になってから軍事予算を拡充するようになったものの、それまでは中国に差を詰められるいっぽうだった。定期的に政権交代するアメリカは方針が二転三転しやすいが、一党独裁の中国は軍拡方針を容易には放棄しないだろう。特に急拡大しているアメリカの財政赤字は、中国に対する軍事的優位性を保つための厄介な足枷となるはずだ。

さらにアメリカの軍事予算は、世界展開している4軍(陸軍、海軍、空軍、海兵隊)すべての費用である。それに対して中国は、現状ではさして世界展開をしているわけではないので、その戦力は極東地域に集中している。トランプ政権発足以降、戦力展開を中東地域から太平洋地域にシフトさせてはいるが、極東地域における優位性を将来にわたってアメリカが持ち続けることは難しいかもしれない。それは「戦後日本」を成立させてきた前提条件の崩壊を意味している。

覇権国アメリカと台頭する中国、その両国に挟まれた日本。これは日本にとって有史上初めての事態である。先述したように、日本は長らく大陸勢力と対峙してきた。そして大陸勢力が後退するのと入れ替わるように、アメリカが太平洋の向こう側から日本人の眼前に現れた。しかし、日本は実のところ、自国よりも強大な勢力に挟まれた経験はいまだかつて持たないのだ。前例なき時代を我々は生きているのである。

我々日本人は、こうした困難な時代をいかにして生き抜いていくべきなのであろうか。

いまだ憲法によって戦力の保持を制限されている日本の安全保障は、アメリカとの同盟に大きく依存している。日本の独立回復から冷戦終結まではそれだけで盤石だったが、冷戦終結に伴うアメリカの日本への視線の変化、中国の急激な台頭を鑑みれば、もはや日米同盟だけで日本の安全保障が確保されるとは言い切れないだろう。

まず、必ずしなければならないのは、日米同盟の「対等化」である。先述したように、冷戦終結とともにアメリカの日本への視線は俄然厳しいものになった。これに危機感を強めた日本は、湾岸戦争以降、漸次的に日本の軍事的制約を緩和してきた。冷戦後の日米同盟を再定義するために、日本の軍事的負担を大きくする必要があったからである。

わかりやすく言えば、片務的な日米同盟に不満を募らせるアメリカの要求に応えるかたちで、1992年のPKO協力法の制定、1996年の日米安全保障共同宣言、1997年の日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定(いわゆる新ガイドライン)、1999年の周辺事態法、2001年のテロ特措法、2003年のイラク特措法、2014年の集団的自衛権行使に関する憲法解釈変更と続いてきたのだ。

アメリカは現在、とても優位な国際環境にある。中国が台頭してきているとはいえ、現在のアメリカには明確な敵が存在しない。いっぽう、日本には仮想敵として中国があり、ヨーロッパには同じくロシアがある。日本もヨーロッパ諸国(NATO)も、程度の差こそあれ、アメリカの同盟関係に強く依存しているから、日本は中国をアメリカの敵に設定したいし、ヨーロッパ諸国は冷戦期に引き続き、ロシアをアメリカの敵にしておきたいと考えている。中国とロシアのどちらを主要な敵にしていくのか、アメリカは任意に選択できる国際環境にあるのだ。

そういう意味で、日本はアメリカの同盟国として魅力的でなければならない。そうでなければ、日本とヨーロッパ諸国のアメリカを巡るこの「綱引き」に勝てないし、アメリカがヨーロッパから極東地域に戦力をシフトしていかなければ、台頭する中国にどだい対抗できるわけがないからである。

さらに言えば、もしかしたらアメリカは日本を見捨てて、中国と組むかもしれない可能性すらあるのだ。歴史を振り返れば、もともとアメリカの極東地域における同盟国は中国であり、日本は敵国であったのだ。イデオロギー色を薄めた中国ならば、アメリカにとってそうした選択肢に充分なり得るだろう。

こうした観点から、日本は従来の軍事的制約を取り払い、アメリカと安全保障上の負担を相互に分かち合う対等な立場で、これから先の日米同盟を再定義(及びそれに基づく安保改定)していかなければならない。さもないと、アメリカの時の政権の方針に、日本は自らの存立を委ねてしまうことになってしまう。日米同盟をただの紙切れにしないために、日米相互の利益にかなう同盟にしていくことは、日本にとってもはや避けては通れない道なのである。

しかし、日米同盟を再定義し、どれだけ盤石なものにしたとしても、日本の安全保障がそれだけで充分だとは言えない。日米同盟は必要不可欠ではあるものの、中国の軍事力増強はすさまじい勢いで進んでいる。日米対中国のパワーバランスが揺らぎ、覆される可能性は高いと捉えておかねばならないだろう。繰り返しになるが、アメリカは民主主義国であり、その戦力は世界展開されている。翻って中国は、一党独裁であり、その戦力は極東地域に集中している。日本が将来的に不利な立場に置かれるリスクは、決して看過できない。

そう、日米同盟は必要不可欠ではあるのだが、アメリカに依存しているだけでは、中国の台頭に対応しきれない日が近未来的にほぼ間違いなく到来してしまうのだ。それを防ぐためには、日本は独自に軍事力の増強に努めていかねばならない。だが、日本と中国の国力差はこれから先、ますます拡大していくだろう。通常戦力の拡充だけでは、中国の軍事力の急速な伸びには追いつけないはずだ。そこで鍵となるのが、核武装である。

現在、世界には核保有国がいくつかある。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9ヵ国だ。さらにNATOにおけるニュークリア・シェアリング(核兵器の共有)というかたちで、アメリカとの核共有国となっているのが、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギーの4ヵ国である。

歴史上、核保有国同士の戦争は起きたことがない。核の抑止力とはそれほどまでに強力なのだ。日本は原子力発電所を多数有していることなどから、潜在的な核保有国と見做されている。しかし、それはあくまで核兵器を製造可能な能力を有しているという意味でしかなく、即時報復可能な核保有ではない。核兵器の破壊力は甚大なものなので、相手の意図を抑止するには潜在的では効果がない。おそらく核戦争は早期終結するからである。

かといって、NPT体制に組み込まれてしまっている日本が独自に核保有することは、国際政治上のリスクが大きすぎる。日本は海外からの輸入なしには生きていけない経済構造になっているから、経済制裁を受けるわけにはいかないのである。しかし、台頭する中国に対応する抑止力を保持する唯一の道は、核保有しかない。

そこで私は、ヨーロッパでの実例もあることから、日本はアメリカとのニュークリア・シェアリング(核兵器の共有)を志向するべきだと考える。これにより、日本は核抑止力と将来的な独自の核保有のためのノウハウを蓄積することができるからだ。アメリカ側のメリットとしては、日本が費用負担をするように取り決めることで、核保有のコストを軽減することになる。

日本は核保有国に囲まれている。極東地域はアメリカ、ロシア、中国、北朝鮮という核保有国の密集地帯なのだ。そして台頭する中国。これに対応していくために、もはや猶予はない。核兵器を持つべきか、持たざるべきかという議論の段階はすでにすぎている。我々がこれから先、考えていかなければならないのは、「いつ、どのようにして」核保有をするのかということなのだ。

残された時間は、そう多くはない。我々日本人は厳しい時代に直面していることを自覚し、決断をしなければならないのである。生き残っていくためには、変わっていかなければならないのだ。

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