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黒川弘務東京高等検察庁検事長の辞意表明に思うこと

このところ話題の人物となっていた黒川検事長だが、新型コロナの感染拡大に伴う外出自粛期間に新聞記者たちと「賭けマージャン」をやっていたことが発覚し、2020年5月21日、安倍首相に辞表を提出した。

この一報に接し、思ったことはふたつある。ひとつは「黒川さんも案外、まともな人間だったんだな」ということであり、もうひとつは「検察庁法改正案で盛り上がっていた一連の騒動も、これで幕引きだな」ということである。

「賭けマージャン」は賭博罪に抵触する違法行為であるのだが、それはあくまで建前と化してしまっていることは、まともな大人ならばだれしも周知のことであろう。賭けないマージャンというのは基本的にありえなくて、世の中の至るところで「賭けマージャン」は行われている。街角の雀荘を訪ねて「えっ? マージャンってお金を賭けるんですか?」などと驚いてみせれば、どこの世間知らずのお坊ちゃんだろうかと呆れられ、嘲笑されること必定だろう。

「たかが賭けマージャンじゃないか」と思った人は、間違いなくまともな感覚の持ち主である。しかし、いっぽうで賭博罪は厳然と存在するのであり、こうも矛盾に満ちた法体系を抱えた我が国の司法に疑問を覚えてこそ、真摯誠実な姿勢といえる。そこはわかったふうの大人になってはならない。

賭けマージャンもパチンコも街中に溢れたこの国における「賭博罪」とは、いったいなんなのだろうか。いわゆる「公営ギャンブル」といわれる競馬や競輪、さらには宝くじとそれらの違いはどこにあるのだろうか。違法行為にあるところでは目をつぶり、あるところでは問題視にする我が国は、実のところ中国や韓国と変わらない人治主義の国なのではないだろうか。こんな不健全な法運営のもとで、法の下の平等が実現された法治国家といえるのだろうか。

まあ、賭けマージャンについてはこのくらいにして、黒川検事長の辞任劇の本丸は「記者たちと賭けマージャンをしていた」という事実を、はたしてだれが世の中に流通させたのかということにある。いわゆる文春砲のひとつとされているが、こういう類の報道には、必ずといっていいほどなんらかの意図が背後にある。「安倍政権は検察庁法改正案を成立させることで検察を支配しようとしている」という、三文小説のような出来の悪い矛盾だらけのストーリーを象徴していた黒川検事長が表舞台から退場することで、ツイッター発で盛り上がりを見せていた一連の騒動は、その推進力を急速に失い、幕引きへと向かうだろう。それによって最も得するのは、おそらく黒川検事長自身ではないか。

安倍政権との距離の近さが取りざたされてきた黒川検事長だが、忘れてはならないのは、彼は検察という巨大権力に所属する人物であり、検察という組織の論理にずっぽりと染まりきっているということだ。仄聞するところでは、黒川検事長は「賭けマージャン」報道のはるか以前から周囲に辞意を漏らしていたという。それはそうだろう。彼からすれば、自身の預かり知らぬところで勝手に自分の名前がまるで悪の象徴のように取りざたされ、これまでの人生では考えられなかったほどの罵詈雑言を突如として投げつけられることになったのだから。

おそらく黒川検事長は、組織の論理に忠実に服し、検察のために奉仕する有能かつ平凡な官吏にすぎない。それなのに、世間では彼の実像とはかけ離れた虚像がまたたく間に作り上げられ、攻撃対象となっていたのである。かわいそうな黒川検事長、彼のとまどいは相当なものだっただろうし、その悲劇には同情するにあまりある。奔流の渦中にあった黒川検事長は、おのれの無力をこれまでの人生でなかったほどに実感したはずである。「もう疲れた…」と彼は思っただろうし、この生き地獄からどうすれば脱出できるのか思案したであろう。

そんな黒川検事長にとって「賭けマージャン」報道は、これ以上ない救いとなったはずだ。「賭けマージャン」などという、考えられる限りで最もくだらない問題で、彼はもはや「御役御免!」と表舞台から尻を捲くることができるのだ。辞任を望んだ彼自身が「賭けマージャン」をリークしたのかどうかは、定かではない。しかし、この報道でいちばん得をしたのは黒川検事長自身であった。これだけは確かであろう。

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