見出し画像

固有名詞を得るということ

我々には名前がある。名前とは、社会のなかで自分と他人を識別するための記号である。だから「あいう」、「いろは」、「ABC」など、各々を識別できるものであればなんでも良かったはずだが、その記号に意味が付与されることで、独自の名前と事物が強く結びつくことになった。これを名詞という。

日本社会はステータス社会である。その人物自体よりも、その人がいかなる肩書きを有しているかで人物自体を判断する。たしかに、他国でもそういう面はあるだろう。アメリカのベストセラー作家、スティーブン・キングは「読者はキャラクターの職業に異様な関心を持つ」と述べているから、ステータスで判断するのは日本人だけではないかもしれない。

しかし、日本では特にそうした風潮が強いのは間違いない。我々日本人は初対面の人と出会ったとき、その人物がどういう人かということよりも、その人物の年齢や性別、職業などに関心を持つ。その人物の属性を知っただけで、その人物を理解したつもりになっているのだ。

そうした日本社会においては、名前という固有名詞よりも職業名が先行する。「政治家」、「IT社長」、「弁護士」、「医者」、「お笑い芸人」、「アイドル」など。しかし、そうした職業名からその人物の名前に認識が移行する瞬間がある。それは職業が持つ「らしさ」から外れた、その人物独自の個性が垣間見えた時である。

この時、人は初めて固有名詞を得るのだ。逆に言えば、個性なき人に固有名詞が与えられることはないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?