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安倍首相のコラボ動画

安倍首相がツイッターに投稿した、星野源「うちで踊ろう」とのコラボ動画が物議を醸している。

安倍首相の投稿には約35万の「いいね」がついたそうだが、ツイッター界隈を見るかぎり、批判的な反応が圧倒的に多い。

批判的な反応の詳細を取り上げることはここではしないけれども、だいたいは「こんな緊急事態にやるべきこともせずに、こいつはなにをやっているんだ!」というものだと思う。

私は古くから安倍首相を支持してきた。しかし、今回の新型コロナウイルスへの対応に関しては、最初期から激しく批判してきた。そして現在は、安倍首相を支持してはいない。支持、不支持は保留にしてある。

繰り返しになるが、安倍首相のコロナ対応はほとんどすべて間違っていると私は思う。その理由は別稿で述べていくが、それでも今回のコラボ動画を巡る批判的な反応には与することはできない。そこに「ヘイト」の匂いを感じるからである。

外出できなくてストレスがたまる、休業等の影響で収入が減った、感染拡大が収束する気配がないので先の見通しが立たなくて不安だ、自分や大切な人たちが感染しないか怖い、家族がコロナに対する危機意識を共有してくれないことに苛立つ、など、一連のコロナ騒動のなかで負の感情を抱えてしまっている人は多い。

あのコラボ動画は、そうした人たちを逆撫でするものであったのかもしれない。私自身、あの動画からは「一国の総理が呑気なもんだ」という印象を受けた。現在、困難に直面している人から見れば、自分の現状とあの動画の温度差に、なんとも言いがたい感情を覚えるのは当然のことであろう。

しかし、そうであっても私はあの動画を批判する気にはなれない。あの動画自体は、家族以外の人との接触機会を持たないために自宅ですごそうとのメッセージを伝えたかっただけであろう。すなわち、あの動画は良くも悪くも取るに足らないものでしかない。

それにもかかわらず、あの動画をもって安倍首相を事大主義的に批判するならば、それは行き過ぎた批判となり、蓄積した負の感情を安倍首相にぶつけたいだけの「ヘイト」になってしまう。批判すべきところはきっちりと批判すべきだが、クソも味噌もとなんでも批判するのは「ヘイト」でしかない。そうした「批判したいだけの人」に成り下がらないために、私はあの動画の批判に与したくないのだ。

物事には軽重がある。それをしっかり踏まえたうえでなければまともな批判はできないし、ふつうの人々からは見捨てられてしまうだろう。野党の支持がいまいち伸びないのは、彼らがまさに「批判したいだけの人」として国民の目には映っているからだ。手軽に意見を発信できる時代だからこそ、軽々しい批判は自重するべきではないだろうか。

そうした自省的な姿勢が、その人の発言に重みを加えるのである。

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