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功名に捉われる政治家たち

新型コロナウイルスは、ふだんはあまり脚光を浴びることのない政治家たちを突如としてスターダムに押し上げた。地方自治体のリーダーたちのことである。

このことは我が国でもそうだし、アメリカなどでもクオモ州知事が我が国でも広く知られるようになったことからわかるように、全世界的な現象だ。

しかし、彼らのなかには、純粋な使命感よりも政治的野心を満足させるための機会として、今回の危機に対応している者もいるようだ。そうした野心的リーダーは、自分が常に目立つ存在でいなければならないとの強迫観念に捉われている。なぜなら、彼は世間の耳目を集められなくなったならば、この機会が水泡に帰してしまうからだ。彼はまるで回遊魚のように、泳ぎ続けなければならないのである。

したがって、野心的リーダーは、新型コロナウイルスに対応するために必要なことよりも、功名を成すために必要なことばかり注力することになる。すなわち、派手な打ち上げ花火ばかりを打ち上げて、地道な足下の対策にはまったく取り組まないのだ。

そうした政策のズレによって犠牲になるのは、いつも陽の当たらない無名の人たちである。事業者に協力金を給付するのは結構だが、ネットカフェ難民たちはいまどうしているのだろうか。安い時給で働いていたガールズバーの女の子たちは、給料を貰えているのだろうか。そうした人々に支援が届くことは、野心的リーダーのもとではおそらくないだろう。

必要なことよりも目立つこと。そういう行動原理はタレントのそれであって、責任ある政治家のそれではない。テレビ等のメディア露出を中心とした政治が展開されるようになって久しいが、タレント化した政治家が危機のリーダーだということは、人々にとって最大の不幸なのである。

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