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ホセ・オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」(1)

ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883〜1955)は文明批評論「大衆の反逆」で著名である。彼の父親は高名なジャーナリストで、母方の祖父は大新聞のオーナーというジャーナリズムの家系に生まれた。

オルテガは「大衆の反逆」で大衆の時代の到来を予見した。大衆の時代とは、近代化のなかで寄る辺なく群集化した大量の人間たちが社会の主役となる時代のことである。また、こうした社会を高度大衆化社会という。

大衆の出現は、大衆が政治の主権者となっていくデモクラシーの時代を呼び込んだ。そのデモクラシーは超民主主義へと繋がって、ファシズムの台頭を招いた。「大衆の反逆」が刊行された1930年のヨーロッパでは、ムッソリーニがすでに政権を掌握し、ヒトラーが台頭しつつあった。

『ヨーロッパ人の現在の社会生活のなかには、善かれ悪しかれ、なによりも重要な事実がひとつある。その事実とは、大衆が社会的勢力の中枢に躍り出たことである。それは、大衆の反逆と呼ばれる』

『1800年から1914年までに、したがって、ほんの一世紀あまりのあいだに、ヨーロッパの人口は1億8千万から4億6千万に跳ね上がったのである!この3世代のあいだに、人間の巨大な塊が生産され、それが歴史の平野に奔流のように投げ出され、氾濫したのである』

19世紀になると、近代化に伴い、農村から都市へ人口が流出した。都市の人口が急速に拡大していく一方で、人々が自分の居場所を失っていった。寄って立つ場所のない根無し草のように、個性を失い、群集化した大量の人たちのことをオルテガは「大衆」と呼んだ。オルテガは「トポス」の喪失を指摘したのである。「トポス」とは、自分が意味ある存在として位置づけられている場所のことだ。

近代は産業が勃興し、都市で労働者を必要とした。それに呼応して都市へと流入した大量の人たちには「規律化」が求められた。いきなり単純作業をやり続けることは出来ないから、近代教育によって彼らを規律化することが必要だったのである。近代教育では、工場労働者に必要なじっと話を聞いていられる身体を育むことに重点が置かれたのだ。こうして都市の人々は、いつでも代替可能な記号的存在になってしまった。

すなわちオルテガのいう「大衆」とは、「階級」ではなく「生き方」によって決定することになる。

『大衆とは平均人である』

『大衆とは、自らを特別な理由によって良いとも悪いとも評価しようとせず、自分がみんなと同じだと感ずることにいっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じて、かえって良い気持ちになる、そのような人々全部である』

平均人たる大衆は、みんなと同じことで「正しさ」を所有しようとする。そして彼らは、平等の名の下に、他人の秀でた個性を抑圧するのである。

大衆は、自分はこうなのだという根本や自分を超えたものに対する畏敬の念を持たず、周囲の「これが良い」という意見にすぐに流されてしまう。彼らはまるで風船のように時代の波に抗うことなく、また別の風が吹いたらそちらへと流れていく。そんな根無し草の大衆は、同時に自分の力を過信し、慢心するという性質を持っているとオルテガは指摘する。

『人間の生の最も矛盾した形態は、「慢心した坊ちゃん」という形態である。「慢心した坊ちゃん」とは、とてつもなく異常なものだということがはっきりわかると思う。なぜならば、彼は自分でしたい放題のことをするために生まれ落ちた人間だからである』

慢心した坊ちゃんとは、正しさを所有出来ると思い込み、自分の能力や理性に対する懐疑がない者のことだ。ゆえに彼らは、自分を完全だと思う「愚か者」であり、自分を超えたものへの畏敬の念がないのだ。

さらにオルテガは、専門家たちこそが、現代では大衆的人間に変わってしまったと書いている。

『現代の科学者は大衆的人間の原型だということになる。むかしは、人間を知者と無知の者、あるいはかなりの知者とどちらかといえば無知である人に単純に分けることができた。ところが、専門家は、このふたつの範疇のどちらにも入れることができない。彼は、自分の専門領域にないことを知らないたてまえだから、知者ではない。しかし、彼は「科学者」であって、自分の専門の微小な部分をよく知っているから、無知ではない。彼は、無知な知者であるとでもいうべきであろうが、事は重大である』

オルテガは、なぜ専門家は間違えるのかを考えた。そして彼は、専門家は専門のことしか知らないから間違えるのだと気づいた。社会は複雑であるが、専門家の知る専門領域は単純かつ狭小だ。そこに不均衡がある。

オルテガは、自らの専門しか知らない人間の「熱狂しやすさ」に批判的な眼を向けていたのだ。

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