見出し画像

ヒョードル・ドストエフスキー「罪と罰」(2)

ラスコーリニコフは殺人の下見のために、高利貸しの老女のもとを訪れる。父の肩身を質草に入れて、1ルーブルちょっとを老女から借りる。ラスコーリニコフは強い嫌悪を感じながらも、老女と話しているうちに彼女を殺すことに躊躇いを覚えるようになる。

『本当に、どうしてあんな怖ろしい考えが頭に浮かんだんだ?それにしても、俺の心はなんて汚いことを受け入れることが出来るんだ!何より、汚いこと、汚らわしいこと、下劣なこと、そう、下劣なことだ!』

ラスコーリニコフが住んでいるのは、天井が低く、壁紙が剥がれた、小さな檻のような屋根裏部屋。そこで鬱屈とした気分で悶々と考えるラスコーリニコフのもとに、故郷の母から手紙が届く。そこには、妹のドゥーニャが成金弁護士に求婚され、迷った末にその申し出を受けようとしていることが書かれていた。

ラスコーリニコフは、妹が貧しい家族のために結婚しようとしているのだと考えた。

『ドゥーニャ、俺は、お前の犠牲なんて欲しくない。母さん、欲しくないんだ!俺が生きているうちは、断じてそんな真似はさせない。させるもんか、させるもんか!この俺が承知しない!』

ラスコーリニコフは小さな屋根裏部屋で引きこもり状態にあるのだが、自分を取り囲んでいる現実をなんとしても受け入れたくないんだと意識があって、色んな妄想に耽っている。屋根裏部屋は建物の最も高いところにあるのだが、同時に最も悲惨なところでもある。そんな屋根裏部屋は、ラスコーリニコフの宙ぶらりんな精神を象徴していて、ラスコーリニコフは窮屈な空間に特有の一種の万能感を味わっている。

ラスコーリニコフはエリートで、大学を除籍されてもまだチャンスはあったはずだが、それにもかかわらず、彼はドツボに嵌ったかのように、どんどん悪い方向に物事を考えてしまっている。真面目で志が高かったゆえに、その反動で少しでも欠けているものに関して、まったく妥協が出来ない。

ラスコーリニコフは広場で、高利貸しの老女の義理の妹が不在になる日時を偶然にも耳にする。

『知ってしまった。明日、きっかり夜の7時、老女の義理の妹で、たった一人の同居人のリザヴェータが家を不在にする。何も考えてはいなかったし、何一つ考えられもしなかった。だが、全身で感じ取っていたのだ。自分はもう判断の自由も、意志もないということ、すべてが突如として、最終的に決定されてしまったということを』

7月9日、計画は初めから躓いてしまう。老女殺害に使おうと思っていた斧が、下宿先の台所からなくなっていた。しかし偶然、別の斧を見つけたラスコーリニコフは、老女の部屋に向かう。そして老女を斧で殺害する。

『まるで力が抜けたみたいな感じだった。だが、いったん斧を打ち下ろすと、たちまち身体の中に力が湧いてきた。ふいにまた、なにもかも投げ出して逃げたくなった。だが、それはほんの一瞬のことだった』

そこへ老女の義理の妹リザヴェータが戻ってきた。パニックになったラスコーリニコフは、斧を再び掴み、彼女も殺してしまう。

『自分は気が狂い始めているのではないか。この瞬間、なにか物事を判断することも、自分を守ることも出来なくなっているのではないか。「大変だ!逃げろ、逃げるんだ」そう呟いて、玄関口に走っていった。しかしそこに、それまで、それこそ一度として味わったことのない恐怖が待ち受けていた』

ラスコーリニコフには「弱者の傲慢」がある。老女を殺害し、金品を盗ったにもかかわらず、大義名分としては「この世の中を変える」ということにあった。ここに矛盾というか、乖離がある。

ラスコーリニコフはエリートであるとともに、弱者でもある。その自意識は傲慢であり、強者になろうという感じがある。もともとはルールを学んでいたラスコーリニコフが、ルールに裏切られている。法を学び、法を守るべき立場のラスコーリニコフが、法を犯し、法の無力さを経験している。

自分は選ばれた人間で、自分は間違っていないという傲慢さがラスコーリニコフを支配しているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?