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崖を登れますか(更級ログ3)

今日も朝の湖に来た。結露で白い窓の前に座り、水面を眺めている。
昨日は、ついに、仕事中に声がでなくなった。それでも出さねばならず、発作、みたいな声でいつものセリフをいった。多分それが周囲の大勢にばれてしまったと思う。どうしたの?という感じで周囲がひそひそ話していた。「普通にこなせる人」のふりを何とかできていると思っていたので、ああ、ここでもまただめか、と静かに思った。そう、妙に静かな気持ちだったが、目はグルグル回って血はあつく、頭の中は煮えたぎって何も考えられない。なかで、なんとか普段の労働の積み重ねからの慣性のみで、何事もなかったかのようにいつもの声を出し、話しつづける。本当は耳まで真っ赤にしながら酸素のあぶくを求めてもがいていた。消えいりたかった。

場所を変える前もこうだった。何かの拍子で、だめだ、と思うと、水の中にいるように息が吸えなくなり、声がでなくなるのである。中学生のとき急に、出欠への返事や音読ができなくなった。みんなが普通にできることができない自分に気づいた。直ったと思っていたが、就職してからまた出はじめてがっかりした、このくせとの付き合い方がいまだにわからない。今日も全然、大丈夫な気はしていない。
それでも今まで何度もこうなって、回復してきたのだから、なんとかなるのだと信じたい。私のこの体が、人がたくさんいるところで働くかぎり、そこが水中になる日は何度も訪れるだろう。なにがまずいって、私は今、普通に声が出てあたりまえな集団の中で、普通にできる人が任される業務を多量に命じられ、それを取り落とすにはいかない状態となっている。来るところはここじゃなかった、と毎日わかる。

中島みゆきの曲を思い出して、龍の背に乗っているようだと思うと少しだけ楽しくなる。自分がどんなやつか、今何をすればいいか、周囲はどんなところか、流動的でりんかくが定まらない認識は、まるでうねうねと手に負えないまぼろしの龍だ。この世を渡るからには、このからだを心を自分のものとして、操縦する必要がある。重心の定まらない体は振り落とされそうで、角に必死で掴まり身を前に倒す。龍は形態が定まらず、日によっては太く、昨日は細く、輪郭がはっきりしたり、ほぼ透明になったりする。

出勤するからには今日もむりやり身支度をし、時間までに、龍の足元へとつづく崖に登らねばならない。やだなあ。まあでも、私は登るだろう。風も読めず、突風に髪どめを飛ばされたりしながらしがみつく。龍は私をおかまいなしに深い水中へ潜るかもしれない。そしたら私はまた息が吸えなくなりもがく。怖くてたまらない。
それでもひとつわかっていることがあって、今日はBTSの新曲が出る日なので、もうただ角にしがみついていればどうにか、彼らのもとへ運んでもらえるし、振り落とされたとしてもPM6時には漂着することができるのだ。彼らは私のヒーローだ。

あ、読んでいる『更級日記』、ついにみやこへ到着し、菅原孝標女は一冊めの物語を手にした。

時間だ。これからチョココロネを食べる。できる限り丁寧に身支度をし、ひと息もふた息もついてから崖に登ろうと思う。あの場所で働くうちはあの龍は毎朝、私を迎えに来る。来てくれるんなら崖の上でなく、家の前にしてくれよ。

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