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根に持つ4拍の人

「過ぎたことをいつまでも覚えている人は、素敵だ」
清少納言のアネキもそう書いた。

「鳥が悲しむことに決めたら、何日ももたない。すぐに死ぬ。つれあいに死なれて、悲しんで死ぬやつはいるよ。死なないためには、忘れなければいけない。けものもたぶん同じことをするはずだよ。でも、人間だけは悲しいことを忘れないのに、死なない。泣くことを知っているからだ」

『風神秘抄』に出てくるカラスの鳥彦王のこの台詞が好きで、納得もした。

私はすぐ泣き、すぐ忘れるが、人間として暮らすからには、泣くか忘れるかのどちらかにしようと思う。泣くのは制御が難しいことがわかったので、忘れない作戦に舵をきった。日記をつけて、過ぎたことを覚えていることにした。分厚いドット罫線のノートを買い、マンスリーやウィークリーを自分で書いてみて、毎日気がすむまで日記をつけている。

これはマンスリー 左ページに日記が透けている

例えば、最近買った、漆塗りのお椀について。
「漆器は、実は扱いが楽な器。他のお椀と重ねたりせず、少し過保護に扱いながら、普通の洗剤で洗い、布巾で水気を拭き取る。この拭き取る手間により、表面の色が変化して育つ。大切にすれば子や孫の手に渡るまで使える。漆器は触感を楽しむ器ともいわれるため、触れて楽しむ。
このお椀を手に入れてから、必ず食事に汁物をつけるようになった。手に吸い付くように馴染む。縁は丸みがかっていて、汁物がまろやかに、美味しくいただける」

かぼちゃスープ

美味しいお茶の淹れ方について。
「煎茶は、カレースプーン1杯くらいを急須に入れ、沸かしたお湯を一度湯のみに注ぎ、人肌くらいまで冷ましてから急須に注ぎ、少し蒸らして湯のみに注ぐ」
東京にきたついでに茶道具を探そうと思い立ち、検索でヒットした新宿駅の近くの店にこわごわ入り、無難に茶碗を眺めていると、ショートヘアの女性が湯のみを茶たくに載せて差し出してくださった。赤い毛氈が敷かれたベンチに座り飲むと、まろやかで味が濃く、美味しい。どうやっていれているのか聞くと教えてもらえた。でも大体は生活に追われて、沸騰したての熱々のお湯を注いでしまう。

今日もふっとうしかけた緑茶を何ばいも飲んだ。喉が痛くて、家で寝ていたのだが、(喉を殺菌せよ!)という思いで茶を飲み干してた。やけな気分に、なんとなく見た「ブリジッド・ジョーンズの日記」がマッチした。自分のいろんな醜さが目につき、SNSに出てくる語学学習に成功した人や肌トラブル0な人や、お腹をペラペラに薄くすることに成功した人とそのおすすめの筋トレ動画を見て自分と比べて落ち込む。

そんなときはレシピを新たに仕入れるといい。いざ塩むすびの作り方を検索だ。(昨日みた「かもめ食堂」に影響された)氷水をボウルにはる。手をよく洗い、軽くふく。塩3つまみを手に広げる。茶碗一杯分の温かいご飯を手に取り、三角に握る。(ここまでレシピ)(ここから所感)米は少し少ないくらいがちょうどいい。

こないだ、中尊寺を見にいった。前述の漆塗りのお椀を買った旅でのことだ。

天井を見てしまうんですよね

中尊寺といえば、松尾芭蕉の『奥の細道』を思い出す。本に自分だけのテーマソングをつけることってありませんか、私にとって奥の細道は、The Real Bluesという曲がテーマソングだ。芭蕉が人生最後の傑作を作るため、脚絆をつけて草をふみわけ東北の歌枕を訪ねる旅に出た足音のように、重厚ながらひょうきんで軽い4拍を聴く。

ぼん、ちゃむちゃちゃむ、ちゃちゃむちゃちゃむ、ぼぼん

(前にも紹介してました)

さみしく、先行き不安な毎日だが、日記を書き、うっすら悲しんで、気分の根底で歩く。過ぎたことをいつまでも根にもつ。決めたことを覚えている。息を吸い、言う。言えなかったことを悔やんで書く。目にしたきれいなものにいつまでも泣く。なんだよ、平安ごのみのなよやかなやつだな。さて夕飯をつくる。

盛岡駅の近く 邪念なし、透明な日ざし

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