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覚書

仕事で「覚書」をつくったことがある。5年間、その紙に書かれた約束ごとを守ります、と互いに意志表示する紙だ。どちらかがその約束をやぶろうとしたとき、覚書を見せ、「ここにこう書いてはんこを押してあるではありませんか」と言って守らせるのだそうだ。

私が働きはじめたとき、ちょうど前回の約束の効力が切れる年だったため、よく仕組みを理解しないまま、パソコンに残っていたデータを使い回して同じ内容の覚書を印刷し、ゴツいはんこを押して細長く折って封筒に入れ、約束相手の家の錆びたポストに投かんした。約束相手は木曜の昼間以外いつも留守で、木曜さえもチャイムを押しても出てこないといわれていた。運よく庭を掃いているときに遭遇するのでないと、会うすべがない。あの人はポストを見るのだろうか? 木曜日に待ち伏せして、手渡ししたほうがよかったか。不安になりながら帰った。昔からいるという、茶ぶちの太ったねことすれ違った。事務所に戻ってきくと、5年間の約束は10回ほど更新されているらしいので、約束相手も慣れているだろうと信じ、心配しないことにした。
私は5年もそこにいなかったが、あの覚書の約束は今も守られている。

一方私は、約束を破ってばかり。
守れない約束をホイホイするし、約束したことを忘れてしまうことも多い。

「必ず持ってきます」
「ぜったいにいわない」
「ぜったいに行く」
「お返事書くね」
「すみません、仕事が入って行けなくなりました」
「少し遅れます」

いろんな約束をやぶりすぎて、身のまわりに、シュレッダーされた私のかつての真摯な思いが山となっている。絡まるのを足でどかして布団を敷いて寝ている。とりかわした紙は最初からくすんだものだったようにみえる。いま、私を信用している人などいないように思う。

超ねむい。これはいったん寝かせたほうがよい羅列かもしれない。でも打ち込んでいたら楽になってきた。毎日寝不足で、時間がないとばかり悩んで、約束も忘れて覚書ものこさず、覚書があってもシュレッダーされてる。そのくずの目にとまったのを鞄に詰め、捨てずに持ち運んでいる。

懲りずに、明日の自分に約束を持ちかける。これから枕草子を一段だけ読み進め(今、90段です)、明朝は5時に起き、たたないお茶をたてる。これだけ守れば、私はあなたを信じよう。もし小さな約束をいくつか守れたら、5年続く約束をしてみようか。いいね、これは覚書である。


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