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水無月の晴れ 月夜の晩のBaby

ジュンさん
欲しいものなんてそんなにないよ、何にもないよ。
この広い地球上で幼き青年の日のあなたがPledisと出会い、中国は深圳から韓国・ソウルに渡り、12人の仲間たちと切磋琢磨し、SEVENTEENになって邁進しながら大人になっていった年月の先に、日本に住む私という1人の人間の人生と重なり、今日あなたの誕生日を祝うことができる奇跡だけで十分すぎるんだ。それが全てなんだ。
でもそう言えるのは、私たちファンがジュンさんにいつも沢山のものを貰っているからで、なんて身勝手なことを言ってしまってるんだろうと思う。
だから今日はせめて、いつも貰ってばかりの私からジュンさんへ沢山の愛と感謝を言葉にして届けたい。
もし直接あなたには届かなくても、インターネットの大海原に1人の小さき人間の大きな愛の声を投じさせてください。

ジュンさんが魅せるさまざまな姿はジャブのように私の胸に突き刺さる。
隙のないステージでの姿。指の先、目線、口角の端まで神経を研ぎ澄まし、台本を得た俳優のように、あるいは楽譜を得たピアニストのように、曲の物語を身体に取り込み緻密に演じるパフォーマンスはいつも私の胸を射抜き、呼吸さえ忘れてしまうくらい惹きつけられる。
ジュンさんがステージのどこにいても光っていてすぐに見つけられるのは、その場所その場所での光り方を探求し続けてきたからなんだ。
透き通るような澄んだ歌声。たんぽぽの綿毛を運ぶ風のような瑞々しい高音の美しさと、夜空に溶けるような優しい低音の歌声に心が洗われる。メロディーに言葉をのせ感情を吹き込むその表現力に、特に日本語で歌う曲は私の感情を揺さぶって覚悟を決めないとなかなか聴けない時も多いんだ。そのくらい私の心にこだまする。
そしてステージでは完璧な「アイドル」の姿を見せるジュンさんは、ステージを降りたら飾り気のない、どこか素朴で無邪気で、天真爛漫な面を見せるからその人間味が心をあたたかくして、また「アイドル」の姿がより際立って見えるんだ。

ジュンさんがビー玉みたいな綺麗な目で見つめる世界が好きだ。

ジュンさんが見せてくれる写真は世界の発見の共有だ。画を作るような作為的なものではなくそれは刹那の記録で、人が気にも留めないような物事をすくい上げ、スマートフォンに収め、その一部を私たちに分けてくれる。
ジュンさんがCARATに「いつも幸せでいることは難しいけど、幸せでいてください」と言うのは、風景を、物事をこんな風に捉えているジュンさんの眼差しから生まれる思考なんだと思うと、私も世界に隠れている小さな幸せをたくさん見つけられる。

ジュンさんが描く絵は頭の中にある図像の焼き写しのように、のびやかに、しかし冷静に、迷いなくその思考を投影する。
ジュンさんが描く絵を見るといつも感動で言葉を失うのは、ジュンさんの思考を感じられるような気がするからなんだ。

フィフィが好きだ。ジュンさんの手によって生み出された数々のキャラクターたちが好きだ。
万物を生物にしてしまうように、あらゆるものに目や手足を生やすジュンさんのイラストは「目の前のモノが感情を持っていたら」という可能性に目を向けられて世界を愛おしく思えるんだ。

動物と目線を合わせるのが好きだ。
人間以外の生き物も、使う言語や姿形の違う友達かのように相手のコミュニケーションに合わせて振舞う姿から対等性を感じるんだ。

ジュンさんの世界をみつめる目の美しさに、心の美しさに、いつもハッとさせられる。
だから私はジュンさんのお顔が好きなんだ。
初めてSEVENTEENを知りVERY NICEのMVを見た日、ジュンさんが私の眼のど真ん中に飛び込んできた瞬間からずっと心の中心に鎮座したまま離れずそのまま2年が経った。
なぜ私はあの日まっすぐにジュンさんという光に辿り着いたのか。
それは単なる造形美だけではなく、こんなにも世界を美しく捉える心がその目に、表情に綺麗に表れていたからなんだ。

一生懸命話すから好きだ。
言葉だけでなく仕草を含むコミュニケーションの取り方から、「相手にどう伝わるか」を真剣に考える眼差しが見える。
それはジュンさんの今に到る言語習得の過程を垣間見ているようでもある。
練習生時代に一番大変だったことは何よりも言語だったと言及していたように、言葉がわからない異国の地で暮らしながら、自分の考えや気持ちが思うように伝えられないもどかしさ、相手の言っていることが理解できないもどかしさを抱えながらそれでもハードな練習をこなす青年の日の苦労は、私にはとても想像し得ない。
年月を重ねる中で努力を重ね続け、今や中国語と韓国語をシームレスに行き来し、さらに日本語や英語もものにしていって、言語記号の間を自由に泳ぎまわるくらい文俊辉と문준휘が一体化したジュンさんを見ると、未来のことも明日のこともそんなの何にも分かりゃしないこの世界の中、強い信念で未来を信じ歩み続けたあなたの人生の軌跡が作る、現在の自信に満ちた表情と未来への確信と期待がとても輝かしく見えるんだ。
自分で作っていった道が振り返った時にたとえきれいな一本道ではなくても、曲がりくねった道だとしても、その道を美しく思えるように生きているのがジュンさんなんじゃないかと思うんだ。

自分の言葉で話すから好きだ。
ジュンさんは柔らかい笑顔の底に己の信念を貫く僧のような厳粛さを持っていて、全てを悟りながらもこのクソみたいな世界を諦めないでいる芯の強さが垣間見える言葉が好きだ。
ジュンさんが人に差し伸べる手は、自己犠牲的な苦しさを伴う優しさや、万物を慈しみ無条件の愛情を注ぐ慈愛のそれではなく、「犬が西向きゃ尾は東」のような道理であって、自分がどう在りたいかを行動の起点に置いているジュンさんの美学に私は共鳴し心の教本にしているんだ。
「頼っていいよ」と肩を差し出すことではなく、転んでしまったときにだけジュンさんは「大丈夫」と言いながら手を差し伸べる律した優しさをくれるんだ。
私が一人で立って歩く術をジュンさんはいつも教えてくれる。

こうやって好きなところを沢山綴ってみたけど、やっぱり一番は
ただ、ただ楽しいあなたが好きだ。
声だけでも楽しさが伝わってくるくらい明るく話すジュンさんの声が、場にいる全員を膝から崩れ落ちさせるくらい破壊力のあるユーモアセンスが、口を大きく開けて笑うジュンさんの笑顔が、
暗いわたしを盛り上げるからね。


悲しい時に浮かぶのはいつでもジュンさんの顔だったよ
悲しい時に笑うのはいつでもジュンさんのことだったよ


ジュンさんを思う時、私の心の中には水面が現れる。

水面は、濃紺の夜空にポツリと浮かんだ月の光を、デカルコマニーのように明るく灯す。
水面は、あたたかな昼の日差しを集めると温度が上昇する。
水面は、光を拡散して太陽よりもキラキラと輝く。
それでも、
水面に映ったものに手を伸ばしても掴むものは水だ。

水面は、覗き込めば自分が映る。
水面は、暗闇の中に足をとられるとたちまち水の中へ溺れていってしまう。

通勤路にある大きな池の水面が映す反転した世界を毎朝毎夜見つめては、あなたの暮らす街の月に、あなたに思いを馳せる。

掴もうとしても掴めない距離は、月に願うようにこの気持ちを日々増幅させ、あなたを照らし返す。
掴もうとしても掴めないから、自ずとジュンさんの存在は私という人間を鑑みる水鏡になっていく。

月は地球に同じ面しか見せない。
私たちは月の裏側を知らないけれど、知らない部分があるから見えている部分を大切にできるんだ。新たに知り続けることができるんだ。
それはジュンさんという存在を自分から遠ざけていることではなく、人は誰しも他者の、あるいは自己の全てを知ることはないのと同じことなんだ。

本当はジュンさんと友達になれたらどんなによかっただろうと思うこともある。
烏滸がましくも仲良くなれるんじゃないだろうかという気がすることもある。
だけど、ジュンさんがアイドルとして、SEVENTEENのメンバーとして存在していたから私は出会えたんだ。
海と言語を隔てた私の地点から見ているSEVENTEENのJUNだからこそ、今まで綴ってきたようなジュンさんの人物像を自分の心に浮かべるんだ。


人はいつでも見えない力が
必要だったりしてるから
悲しい夜を見かけたら
君のことを思い出すのさ

窓の外には光る星空
君は見えない魔法を投げた
僕の見えないところで投げた
そんな気がしたよ


そんな、夜空に光る魔法のような現実。

ジュンさんに出会って、幸せの定義を知った。
ジュンさんに出会って、努力を無駄にしない努力を知った。
ジュンさんに出会って、人は変化し続け、また変化しない生き物であることを知った。
ジュンさんに出会って、この世界の美しさを知った。
ジュンさんに出会って、いびつな私も受け入れられるようになった。

ジュンさん、出会えてよかった。
私は幸せなんだ。
心から感謝しています。

これから先、
さまざまな試練を乗り越え進化を続けるジュンさんの未来に
たとえ新たな試練が来たとしても、
それが5月に花を咲かす4月の雨のようにあたたかなものでありますように。

その過程を、過程がつくる変遷を、これからもずっとずっと見守らせてください。


2023年6月10日、27歳になったジュンさんに心からの祝福と祈りを。
うたに寄せて。


















ジュンさんのことを考えるときよく頭に浮かぶのはFishmansの曲で、私のジュンさんへの想いを大好きな2曲によせて綴りました。

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