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雑記 家鄉にて

いつもの時間になって勉強用のノートを開けどなんだか今日は何もする気になれなかった。最後の夜だからなのか。

実家での約2ヶ月は案外悪くなかった。
山の麓にある新興住宅地は知らない間に全ての区画が埋まっていて、幼き私に暗闇をおしえてくれていた真っ暗な夜もいつの間にか街灯がついて明るくなってしまった。
だけど星々は今日も空いっぱいに瞬く。それが私の決して良くはない視力でもはっきりと見える。
夜は暑いけど窓を開けて扇風機で過ごす。寝ていると虫の声が聞こえてくる。のぼる朝日も沈む夕日もたくさんの光と影のうつろいを感じながら過ごす宙に浮いたような束の間の時間。
何畳という単位がしっくりこない田舎の戸建の広々した空間、均質化されたタイルのような四角の一つを塗りつぶすように小さな小さな借り住まいを転々としていた自分にとって実家はようやく深呼吸ができるようなゆったりとした場所だった。
親との衝突はあれど、それをストレスに感じないくらい小さな借り住まいにも限界が来ていたのかもしれない。

来たるワーホリの準備のため会社員生活をやめ家を引き払って実家に戻った。
ずっとオーバーワーク状態で余裕なんて全くない自分にいつからかすっかり慣れていたようで、実際慣れてはいなかったようだ。周囲は気づいていたのかもしれない。気づかなかったのは私だけだったのかもしれない。
実家に戻っても強迫観念に駆られたように短期バイトに応募しまくり全然決まらず、生活するだけでワーホリのために貯めていたお金がみるみる減っていく。そんな状況に徐々に諦めがついたころ、好きだった映画や音楽や本のことを思い出した。

朝から晩まで仕事をして、帰宅して勉強して、文化に触れる時間は週末強制的にイベントをつくるしかなかった。
せめてもの抵抗で積みに積んだ積読を減らすべく枕元に本を置いてみるものの、全く開けない日々の蓄積が本に埃を被せていた。
その中での救いはSEVENTEENだった。SEVENTEENの情報を追いかけるのが唯一の楽しみで、SEVENTEENの曲意外無味乾燥のようになっていた。そんな中メンバーである文俊辉をきっかけに中国語にのめり込んだのが去年の7月だった。
私の日常は仕事→仕事→(SEVENTEEN)→中国語の勉強でみちみちに埋まっていった。それ以外に目を向ける余裕はなかった。

この2ヶ月の間に映画を何本か観た。特別な上映会もあればパソコンを開いて観るものもあった。自分の感情がどんどん乏しくなっていることに気付かされたり、乏しさではなく変化だと気付かされたりした。
読みかけの本を次々に読み終えた。去年おもしろいと思っていた本を全くおもしろいと思えなくなったかわりに最近まで開けなかった本を開けるようになった。そうやって本を読むことが面白くなった。
フジロックはネット接続の関係で今年は配信も見られなかった。だけど習得した中国語でみる小红书で草東沒有派對を知った。
数年前にも数曲聴いていたはずだったのに、今日、今、草東沒有派對の魅力に気づいた。
音楽が再びおもしろくなった。それまでUKが中心だった私の音楽digは中国語圏にシフトした。歌詞がわかる、魅力が、解釈が増幅する。楽しい。
久しぶりにSEVENTEEN以外の音楽を聴くのが楽しくなった。
Charli XCXとBillie EilishのGuessが本当に最高で、MVを何回も見た。SEVENTEENのMV以外を見るのは久しぶりだった。

自分から湧き出る「好き」がどのようなものだったのか、ようやく感触がわかるようになっていた。文化に、芸術に、触れることが久しぶりに楽しい。

そうこうしているうちに短期バイトが決まり、ないものはない24時間営業のスーパーで午前中だけ寿司を作ることになった。
労働への早期復帰である。
寿司の盛り付けも巻き寿司もなんでも褒められるほど上手にできてしまい、人手不足も重なるなか短期バイトの割にはめちゃくちゃ重宝されてしまった。
デザインも寿司も、ものをつくるということに変わりはない。デザイナーの経験がこういうかたちで活きることもあるようだ。
今なら巻き簀を携えてどこへでも巻き寿司パーティーを開けてしまいそうな勢いなので、巻き寿司が必要なシチュエーションがあればぜひ私を呼んでほしい。

地元で、スーパーマーケットという場所で働くことはとてもいい経験だった。職場の人たちはいい人だったと何をもって定義するかによる(と付け加えてしまう)が、みんないい人だった。

初日、生鮮を扱うため目意外が覆われた状態で一緒に働いた人のこと、声がとても低く化粧もしていないのでおじさんなのかなと思っていたが制服を着替えるとなんとおばさんだった。大変失礼してしまったが女とは"女装"することによって成り立つのだなと改めて自分にかかっているバイアスを思う。
持病のために体が思うように動かず、それで作業も遅くなってしまう。世間話のたびに「最近ここの悪うしてね、ここの痛おしてね、この前病院に行ったぎたい」といつも体の不調の話をしていた。しかし酒もタバコも大好きで、お腹が痛いと言っていた次の瞬間、穴子巻きの切れ端をペロリと平らげたりする元気な人だった。私が「とりあえずおどる」と書かれたTシャツを着てきた日からその人はとても気に入って、しきりに私に「今日は着てきとらんとね(着ていないの?)」と言われるようになった。たまに歌を口ずさんだりしていて忙しい日には「さあ頑張ろう〜ぜ〜」と何度もワンフレーズだけ歌っていた。

ベテランのおばさんはそつなくなんでも淡々とこなす、みんなの頼みの綱のような人だった。しかし人の面倒をみることにはあまり積極的ではなく、教えられてもいないことで怒られたりもした。だけど「怒られた」とは私の受け取り方でしかなく、その人の中ではそれが当たり前のコミュニケーションだと気づいたのはバイトを初めて1週間ほど経った頃だった。
世間話をする中、その人は自分の母からわが子まで代々全員ピアノの先生だと知った。娘の音大の学費のためにピアノの先生に加えてバイトを始めたというその人は、今では娘のピアノ教室の発表会で娘と連弾するらしい。なんて素敵な話。
その人とは繁忙期のお盆期間に一度、親子喧嘩のような言い合いをしてしまった。解決したものの私がやっぱり悪かったなと思って何回か「あの時はすみません」と言ったが本人は全く気にしていない様子だった。
同時にその日の帰りには色々あって家まで送ってもらったりして、なんだかいい思い出だった。

鮮魚コーナーのマネージャーさんは私の一つ年下だった。面接の時(顔が友達に似ている!)という印象になってからしばらく顔を見るたびに笑いそうになっていたが慣れると全然似ていなかった。
私が中国語に惹かれた話をするとその人もゲームで知り合った人をきっかけにロシア語を学んでいるという。言語を知る中での日本語との違いや文化を知ることの面白さを語り合って盛り上がって嬉しくなったが、それは私に合わせた話をしていくれていたのだった。
普段は会社や誰かの愚痴を延々とこぼし、どのパチンコ屋のどの台が勝てるかの話をしていた。ネチネチした愚痴なら聞く方もストレスだがキレッキレにメチャクチャにおもしろいのでつい聞きながら誰のことかもわかっていないのに笑ったりした。「悪口のキレがすごいです」というと「そんなん初めて言われたわ〜」としばらく嬉しそうだった。
なんだか印象が悪い感じになってしまったけど、スーパーでの中間管理職が担う仕事はあまりにも多い。せめて愚痴を吐ける環境でよかったと安心してしまうくらいには負担が重すぎることを初めて知った。
マネージャーさんはいろんな特性をもって方々から集まってきたバイトをまとめるため時には檄を飛ばしたり、時には誰もみていないところでこっそりと段取りを組んでくれていた。
繁忙期のお盆期間の最終日、自費でみんなにハーゲンダッツを奢ってくれるような、本当にできた人だった。

5月ごろ入ったという高校生1年生の子はマネージャーさんに恋をしている。初恋だそうだ。
学校の域を出て世界がグッと広がる高校生、家族や先生が大人の全てだったそれまでとは違う大人のいる初めてのバイト。大人への憧れもあって恋する気持ちもなんとなく想像ができるような気もする。
最初その子は私に対してかなりの塩対応だった。人見知りか、はたまた嫌われているのか、なぜだろうと思っていたらヤキモチだった。
私がマネージャーさんと話している様子を見て、きっと歳も近いからライバルの出現だと思ったのだろう。その子とも次第に打ち解けて、ある時にその真相を聞いた。「カッコよくないですか?!笑ったらかわいいんですよ〜!」「12歳も上なんですよ……歳近いの羨ましいです」など嬉しそうに話してくれた。
最終日、きっと最後だしと色々話してくれた中で「後悔しないようにいつか想いはちゃんと伝えたいなと思ってるんです」「手の届かない恋だってわかってるから」と言っていて、熱情も諦めも両方もっているの、なんてかっこいいんだと思った。
最初の塩対応が嘘のように私のしょうもないギャグ一つでキャッキャと笑ってくれ「ずっと居てほしいです、寂しいです」と言われながらお別れのあいさつをした。
学校で流行ってるものはBeReal、その子が朝読書で読んでる本はケータイ小説だと知った。

途中から登場人物紹介みたいになってしまったが上に挙げた主要なひと以外にも、最後の日に私にキレて不機嫌なままちゃんと挨拶もできずに辞めていった人や、お盆以降も入るつもりだったけど想像以上にしんどくてお盆期間だけで終わってしまった高校生の短期バイトなど、職場で出会ったひとや関わり全てがおもしろくていい体験だった。

私が「音楽が、映画が、本が、おもしろい!」となっていてもそれを共有できる人は全くいなかった。
観た映画の話も、最近聴いている音楽の話も、そこから導かれる概念や人生の話も全くできなかった。
どこかに行った話すらなんだか話が弾まなさそうでできなかった。
「今日はぬっかね(暑いね)」「今日はなんば作ろうかね〜(夕飯)」主な会話はこうだった。働きアリの法則的に怠けアリをみつけては愚痴はそこかしこから常に聞こえてきた。
起伏のない地元という田舎での日常、会話は身の上話か他人へ矛先が向く話に二分されていた。今まで働いてきた中であまり体験したことのないコミュニケーションだった。だけどきっとこの環境は世の中に決して少なくはない。
そんな中でみんなそれぞれに長所も短所もあり、仕事ができる人もできない人もみんな一緒くたに働く。
マネージャーさんと話す中で「誰でもできる仕事ってつまり誰でも来るんですよね」と言っていたことが印象深かった。
地元で、スーパーで働くとはこういうことなんだと実感した。
私の中では縁遠くなっていた「怒る」ということも、ここでは日常であり半分それがコミュニケーションであること。私も徐々に方言で語気のつよい、遠慮のないコミュニケーションに慣れつつあった。
自分が今まで見えていた社会の、あまりの狭さを知った。


バイトは大体午前中で終わったので昼は本業の仕事をしたり、仕事がひと段落した時は映画や本を読んだりと、労働と趣味のバランスをいい状態で過ごした期間だった。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』では労働によって好きだったことができなくなることについて書かれていたが、私もまさにそんな状況だった。
この小休止のような期間を経てようやく気がついた。
しかしこの働き方では現状家を借りて一人暮らしをすることは不可能だ。そしてこの働き方の皺寄せは誰かにいっている。
なぜ人は今こんなにも働かなければならないのだろう。都会に出なければ理想の仕事はないのだろうか。
自己啓発的な発展を目指すことに注力する社会人に後ろを振り返る余裕はない。
働く目的や誇りを作らざるを得なくする社会で歯車になることは、誰しも限界がきているのではないだろうかと思う。

バイト繁忙期のお盆期間、4時半に家を出た時にキラキラしていた星が、昼間の暑さが嘘のように涼しい夜風が心地よかった。
あたりを遮るものは何もなく、広い空に星が広がっていた。
休憩で外に出るとすっかり陽がのぼり青空が広がり蝉が鳴き、アスファルトが太陽の熱を跳ね返す夏日になっている。午前中がこんなにたっぷりあったこと、一日がこんなにたっぷりあったことを知った。
夏の休日、午前中はまだ陽が照りつけていなくて心地よかった。早起きがつらくなかった。
それまで休日を昼まで寝て過ごしていたのは自分が怠惰なだけじゃなかったことを知った。

地元でのひと夏が終わった。
自分のワーカーホリック癖を、地元という場所を改めてみつめる期間になった。
バイトでの出来事も書きすぎた気もするけど、誰の連絡先も知らないから本当にあった出来事なのか、本当に実在した人たちなのか、わからなくなってしまいそうだった。
それだけ良くも悪くも通信・連絡に繋がりを支配された世を生きている。通信から遮断されたバイト期間のことをネット上に留め置くのはなんだかなという気もするけどあの日々の感触は残しておきたくなった。

Lサイズの行李箱ひとつにぎゅうぎゅうに最低限のものを詰めていよいよ旅立ちだ。
なんだか数日間の旅行ですぐに帰ってきそうなくらいまだ実感がない。
けどこれから1年間は空の広い高台の新興住宅地も、広がる星も、朝夕は涼しい風も、借り住まいから持ってきたもの全部つめた自分の部屋もSEVENTEENのグッズもまだまだ積読だらけの本棚も、全部全部おわかれだ。

これから続くワーホリ先の台湾での夏、どう労働と折り合いをつけながらいきいきと生きられるかがテーマになりそう。
今年の夏は長い。

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