【休憩室のレシピ】#9

本稿はYoutube『鳴海餅本店の休憩室』にて令和4年5月4日に公開した「【端午の節供】「こいのぼり」の歴史と思い出についてちょっと語る」の原案をそのまま掲載したものです。

(導入)
いよいよ、明日は「端午の節句」ということですけれども。
「端午の節句」といえば何でしょうか?ーーーーーーーはい「こいのぼり」ですね。
うちも昔は店の前に竿竹立てて「こいのぼり」飾ってたんですけれども、私も私の兄弟も全員大きくなってしまい大分長い間飾っておりません。
最近は外に出さずにおうちの中に飾る方も多いというように聞いてますけれども

今日はですね、そんな「こいのぼり」について、色々調べて見たので語っていきたいと思います。
ので、少しの間お付き合いください。お菓子の紹介もちょこっとありますので、よろしくお願いいたします。

ということで、まずなぜ「鯉」なのかというところですけれども、
魚やったら何でもいいのかというとそういうわけではないんですね。
これにはちゃんと理由がありまして、「鯉の滝登り」の故事が由来とされています。「滝を登った鯉が龍になる」というお話です。
まさに、コイキングが進化するとギャラドスになるみたいな話ですけど、そもそもこの話が元ネタですね。

よくアイドルや俳優さんのオーデションを「登竜門」なんて言い方もしますけれども、この滝登りのお話が由来です。
ちなみに、祇園祭の山鉾に「鯉山」というこの故事を題材にした山がありまして。祇園祭の山ほこが成立するのが室町時代くらいですので、その頃には庶民が見て「あっ」っと思うほどに、日本人には馴染みの深い出世の縁起物として、鯉が親しまれてきたというところが背景にあります。
本来「鯉」は全然関係なくて、お武家さんの間で「端午の節句」の時の飾りとして、合戦の時に使う、のぼりや旗指物を使う風習が生まれたのが元祖なんだそうです。

で、本格的に「こいのぼり」が誕生するのがもっと下って江戸時代。
時代は武士の時代から商人の時代。いわゆる町人文化が花開いた時代です、柏餅なんかもそうですが、参勤交代やなんかで宮中由来の武家文化が庶民にも浸透し始めた頃で、特に「端午の節句」は子供の成長を祈る行事として盛んに行われたそうです。

ただ、いくら町人に力があって真似をしようと言っても、一応身分はあるわけで、特に「のぼり」、といえば”合戦”武士の代名詞みたいなもんですからね。迂闊にまねできない。そこで「鯉の滝登り」の故事に結びつけて、大きな鯉を作ったというのが「こいのぼり」の始まり何だそうです。
実に「端午の節句」が伝来して、生まれるのに1000年ほどかかってるわけですけど、そう思うとロマン感じますね。
ちなみに、この江戸時代の「こいのぼり」がたなびく江戸の街の風景、実は浮世絵という形で現代でもみることができます。
これは広重の有名な浮世絵ですけど。実は黒い鯉「真恋」と言いますけど、これ一匹だけなんですね。色ができるのはもうちょっと後らしいです。最近は緑とか紫とか見ますけど。それだけ、日本人が豊になった証拠なんかもしれませんね。

まぁ、あと最近では小さいお飾りの「こいのぼり」もよく見かけるようになりましたね。
でも、こういうのをちょっと飾るだけでも、気分が変わっていいと思いますので、単調な日々に少しそういう、文化的な要素も取り入れていただけるといいのかなと思います。


そんな日本人のアイデアが詰まった「こいのぼり」ですが、なんとうちではお菓子にもなってます。こちらがうちで作ってる、これ調布生地の「こいのぼり」。ジャンル的には鮎のアレンジになりますね。中には柚子風味の求肥が入ってます。
個人的には、紅茶なんかとのペアリングがおすすめです。ぜひ、試して見てください。
というところで、今回の動画は以上になります。この動画が面白かったよって方はぜひ、いいねと高評価よろしくお願いします。
あとコメントなんかもいただけると嬉しいです。
では、次の動画でお会いいたしましょうバイバイ。


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