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ハイカラな長崎人

こんにちは!今回はファッションという点から長崎を見ていこうと思います!突然ですが「ハイカラ」という言葉をご存じでしょうか?今ではあまり使うことはありませんが、「おしゃれな、西洋風の、目新しい、都会的な」といったニュアンスで明治時代ごろから盛んに使われた流行語です。


幕末、日本は開港して多くの外国人が訪れるようになります。そのような中で外国人の洋服が、"high collar" (高い襟) だったため、ハイカラ―が略されて上にも書いたような意味で「ハイカラ」という言葉が使われるようになりました。


そして当然、ハイカラの語源となった西洋人がたくさん住んでいた長崎は、居留地からハイカラ文化がいち早く流入し、横浜、神戸と並んで日本を代表するハイカラな町となっていきます。今回はそんなハイカラな長崎を、特にファッションという点からご紹介しようと思います。​

1. 長崎衣装

まず、長崎の他のハイカラな町と比べて一番違う点は、開港前から西洋との窓口だったため、すでに江戸時代から出島を起点にハイカラ文化が少しずつ浸透していたというところです。


ではこの頃の文化の発信者は誰だったのでしょうか?それは今の思案橋辺りにあった当時、江戸の吉原、京の島原、大坂の新町と並んで四大遊郭に数えられた丸山遊郭の遊女たちです。


遊郭や遊女というと売春とか女性差別など闇の面でしばしば話題になりますが…


一方で文化発信地としての役割など光の面もありました。ここでは遊郭の闇とかいう議論はとりあえず置いといて... 笑 文化の発信地としての丸山のお話をします。


当時丸山の遊女たちは唯一出島への出入りを許された女性たちでした。そんな中で当然遊女たちはオランダ人から様々なものをプレゼントされます。そしてハイカラとは少しずれますが唐人屋敷にも出入りをしており、外国人からの珍しい贈り物と裕福な長崎町人からの高価な贈り物で丸山遊女たちの衣装は他の都市では見られない異国風の豪華絢爛なものになっていきます。当時は、 

京の女郎に、長崎衣装、江戸の意気地に、はればれと、大坂の揚屋で遊びたい

とうたわれるほど丸山遊女たちのファッションというものは全国でも最先端を行く有名なものだったのです!

そしてそんな丸山があった長崎の女性たちは他の町よりも早くから指輪など現代では当たり前となったものをファッションアイテムとして身に着けていくようになり、長崎市中の女性もまた最先端のおしゃれを楽しんでいたのです!この当時の指輪は出島に行くと本物が見られます!

2. ハイカラな長崎

幕末、開港するとこれまでに比べて圧倒的な量の西洋のものが日本に流入します。そんな中で西洋のハイカラなものを長崎の人々は日本の誰よりもいち早く手にすることができました。その代表例が現代では当たり前となった帽子とマフラーです。

ここで松本重太郎という人の長崎に関係する逸話を紹介しようと思います。誰それ?笑 と思った方もいると思いますが、、、この人、あの渋沢栄一と並ぶ位すごい人で現在のJR西日本のもととなった企業を作り巨万の富を築いた実業家です!その逸話ですが、簡単にご紹介しようと思います。

松本は明治4年のある日、用事で神戸に来ていました。そんな時、今度京都で断髪令(※ちょんまげ止めぃ!という内容)が出るそうだという情報をキャッチします。そこで松本は「髪を切ったあと、変な頭を隠すためには帽子が必要になる、、これはビジネスチャンスだ!」と考え、宿へ戻らず、なんとそのまま長崎行の夜行船に乗り込みます。そして朝、長崎に着いてみると、なんと松本と同じことを考えた大阪商人が13人も同じ船に乗っていたのです!そこで彼らはトラブルにならないよう協力して長崎市中の帽子とマフラーを二日かけて片っ端から買い占めます。そして遅れて沢山の京都大阪の商人が長崎にやってくるのですが当然もう帽子は無く、怒りながら引き返していきました。そして松本達は帽子販売を独占し、うまいことひと儲けできたのです。

この話、松本重太郎の商才ヤバい!というのが普通の見方ですが少し視点をずらしてみると、この時日本の三大都市に数えられたほどの京都・大阪でもまだ珍しかった帽子・マフラーというアイテムを扱うお店がすでに長崎では市中に店舗を構えるほどにまで普及していたということが分かります。

その後帽子とマフラーというものは全国に普及していきますが、長崎の人々がいかに最先端のおしゃれを楽しんでいたかがお分かりいただけたかと思います!

その後、大正時代に入ると九州初の映画館やカフェなども誕生し、娯楽面でも長崎は九州のハイカラ文化をリードしていく都市となってきました。

ということで今回は長崎人がめちゃくちゃハイカラな存在だったということをご紹介しました!今でこそ単なる地方都市になってしまいましたが、、、ただ現代でも大浦などへ行けば当時のハイカラ文化を感じ取ることができるので当時の長崎のおしゃれを想像しながら歩いてみてください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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