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鑑賞者の視点が広がれば外縁は多層になるでしょう
日曜美術館アートシーンで放送された「中園孔二 ソウルメイト」@猪熊弦一郎現代美術館。
ソウルメイトというタイトルは、中園の言葉を意訳しているのではないか。直筆の言葉があるなら、それを展示しているはず。
タイトルの「ソウルメイト」という言葉は、中園さんがドローイングや日々の思いや考えを書き留めていたノートから取りました。
個人のレポートが「ソウルメイトという言葉をノートに書き残していた」
と認識するのは今後も増えていくでしょう。
展覧会の公式カタログ、評伝がともに発刊されて、脚色と加工がお墨付きにならないことを願います。
出典が繰り返し引用されていく中で正誤は曖昧になり、通説になっていくことは往々にしてあります。瀬戸内国際芸術祭2010年の公式ガイドブックが発刊されて、島々の紹介は紋切り型になりました。
今回の展覧会公式カタログは作品単体のページに、作品の一部分を切り取った写真が2次作品のように掲載されています。見開きの紙面で切り取った写真は拡大して見ることができ、鮮やかさを添えていますが、作品をトリミングすることは必須だったのでしょうか。そこにキュレーターの私欲が見えてしまうのです。
作品の鑑賞にはいろいろな観点があり、感想は自由です。一つの情報を得たとき、それが原文とは思わないように気をつけています。出典を確かめていきたいと思っています。
作品がすべてを語るという前提で、作品に添えてある解説は一つの見解であって、その通りであると作者以外に誰が断言できるでしょう。作者が自らを語ることは、その時の真実です。
今回、中園のインタビュー映像がありました。そこにソウルメイトという発言はありません。
「いちばん楽。
描いてない時より、描いている時が楽。
やりたいことはなにか、絵じゃなくてもよかった。
たまたま絵がしっくりきて、絵を続けている。
うまくなりたいとは思わない。
しっくりいく感覚がなくやるのはこわい。技術は大切なんだろうなとは思ってます。
指が一番しっくりくる。
小さい頃、砂に絵を描いていたのが楽しかったかなあ。
肘とかもたまに、なんとなくなんですけど、ついちゃったから、こうやるか。
筆を洗うのがおっくうで。
よくカピカピにして無駄にしちゃうことがあって、そういう始まりがだいじっていうか、そうじゃないんだよ、みたいな。
下絵というのは絵のはじまり。 下絵とは思っていない。つながっていて、ちょっと鉛筆で描いたり、しないときも。
好きな色はわりと緑。
一番どっちつかずな色。中間にある、なんでもない。
抽象具象に違いがないっていうのも、確かめるために多少こだわりがある。
どちらでもいいんですけど、なにが描かれているのはそんなに重要じゃない。(作品の外側、壁を指して)こっち側が重要という印象はある。
何が描かれているのかは重要ではない。
デイヴィッド・リンチが大好き
受け入れて、出してしまう。
違うよなって思ったものを出していく。
絵を描くのは外縁をつくる印象。
たくさん(外縁を)つくることにすごく意味があるんですけど。
1個できたらカタチがあらわれると思うんですけど。
中側はわからないし、見えないし、触れないから、外縁をつくって。
景色は誤解があって。表面は明らかにばらばら。 外縁をつくって中のことを景色と言っているだけ。 景色は1個という風に感じています
絵が大切というわけしゃない。
何かがやりたいだけ。
いろんなことをやっています。
彫刻も映像もやる。
人に見せるとなったら、今は絵しか見せれないかなと感じているだけで。
いちばんうれしかったこと?
じぶんが一番みている、じぶんだけが気づいていることを、他の人にはわかんないんだろうなと思っていることを、ポンて言われたりすると嬉しい」
■Interview with Koji Nakazono,8 / ART GALLERY /
Tomio Koyama Gllery.S hibuya Hikarie,16, July .2012 /
監督・インタビュー:鈴木将也 / 撮影:山中慎太郎
Director & Interview.Masaya Suzuki,Cinematograher.Shintaro Yamanaka
作品リストは字送りがガタガタ。この印刷、大文字英字は苦手のようでした。
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