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書道ガールの勢いと何が違うのだろう

前衛芸術の「具体」というジャンルを見ながら、映画の書道ガールを連想していました。勢いを伴って、心が意図する線を見えるようにしていくのが書道ガールとするならば、高松市美術館で開催中の白髪一雄もまた然り。

意図するものとは対照的に、絵の具の厚みや色の混ざり具合は偶発性に依存していないだろうか。作品に手を入れるのを、どの段階で終わりとするのか。書道は1枚の紙に文字を書いたら終わりという境界をなんとなく想像しますが、絵画の場合はどうなんでしょう。何作か平行で描いていて、手を入れながら? 

技法の奇抜さに目を奪われがちですが、白髪という画家の功績を何で表したらいいのでしょう。作品の号数でもなく、ボリュームでもなく、国際的な評価は何を意味するのか。アールブリュットにはない作風とも見えます。白髪は何に注力したのか。描きなぐったような色、または線に技法的な「描きこまれた」という表現はそぐわないのです。何を見ていたのだろう。

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