妄想 カレー西域記(2)  ディスる玄奘・三蔵法師


まことに申し訳ありません。
今回のコラムは、深くお詫びするところから始めなくてはなりません。
というのも、前回、ガンダーラがどこにあるかというネタで、ゴダイゴの楽曲「ガンダーラ」の歌詞に、

In Gandhara, Gandhara
They say it was in India

とあったことに対して、

(ガンダーラはいまの)パキスタンやないかーい!
(インドには無いやないかーい!)


などと、ボーカルのタケカワさん、リーダーのミッキー吉野さんに対し、ネット上とはいえ、ゴロをまくような物言いをしてしまいました。

しかし、この歌の作詞者は奈良橋陽子さんです。
文責はゴダイゴにも、タケカワさんにも、吉野さんにはありません。
筋違いもいいところでした。
そして、奈良橋陽子さん。
さすがです!
やはり原典にあたっておられたのですね!

というのも「西遊記」の三蔵法師のモデルとなった玄奘(602?〜664年)は、ガンダーラが「北印度」にあると、自著に書いていたのです。

つまり、
「そこは印度にあったと伝わる」と歌う、楽曲「ガンダーラ」の歌詞には、嘘も、いつわりも、一切ございませんでした!!!

画像1

写真上:水谷真成翻訳『中国古典文学体系 第22巻 大唐西域記』(平凡社 1971年 初版5刷)

仏典の翻訳者として有名な玄奘ですが、シルクロードを通ったインドまでの紀行文も後世に残しています。
時は7世紀。中国の唐の時代に、玄奘は経典を求めて、いまの西安から中央アジアを経て、インダス川流域、ヒマラヤ山脈山麓、ガンジス川流域、果てにはインド南部まで旅をしました。
この17年間にわたる膨大な記録を記したのが、全12巻の大著『大唐西域記(だいとうさいいきき)です。
本書で、玄奘は、いまのアフガニスタン南東部から、パキスタン領とインドカシミール地域までを「北印度」と定義しています。つまり、(繰り返すようですが)、"They say it was in India" で間違いはないのです。

当然ながら、玄奘は、「大唐西域記」(以下「西域記)で、ガンダーラ(健駄邏国)の様子も記しています。首都ペシャワール(布路沙布邏=プロシャプラ)は、かつては世界有数の国際都市でしたが、玄奘が訪れた頃には、北方の異教徒の国に隷属し、国力も仏教の教えも、かなり退れていました。

健駄邏国(ガンダーラ)は東西千余里、南北八百余里〔注1〕あり、東は信度河に臨んでいる。国の大都城は布路沙布邏(プルシャプラ)といい、周囲四十里ある。王族は嗣(し)を絶ち、迦畢試(カーピーシー)国〔注2〕に隷属している。邑里(むらさと)は荒れはて、住人はまれで、宮城の一隅に千余人あるだけである。……… 人民の性質は臆病で、好んで学芸を習っている。多くのものは異道を敬い、正法を信ずるものは少ない。……… 僧伽藍〔注3〕は千余ケ所あるが、壊され荒れはて草は生え放題でひっそりとしている。多くの卒塔婆もすっかり崩れ落ちている。天祠〔注4〕は百をもって数えるほどで、異道の人が雑居している。
                       引用:「大唐西域記」
注1=「西域記」の一里は、約320メートル、もしくは約454メートル
注2=アフガニスタンのバグラーム周辺にあったカーピーサー国のこと
注3=寺院のこと
注4=ほこら 神様を祭ってあるところ
                       編注:七味家ネーオミ

そうかー。
ゴダイゴの「ガンダーラ」の歌詞とメロディが、どこか哀調を帯びてしまうのは、三蔵法師たちの時代にはすでに「幻の仏国」となっていたからかもしれません。
んー、感慨深い。そこまで深いメッセージがあったとは、つくり手である当時のタケカワさんと奈良橋さんに脱帽です。

「北印度」の仏教の荒廃を、玄奘はかなりがっかりしたらしく、この地域一帯の人たちについて「言語も野卑で礼儀は軽薄である。印度の正しいあり方を伝える境域ではない」と記しています。
長安出身のコスモポリタンとは思えないディスりまくりですが、純粋に仏法だけを求めて旅してきた、その苦労の反動なのでしょうね。。。
でも玄奘。。。正しさって、なんだろう。

To be continued


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