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平井小学校の遠足の思い出

こんにちは😃😃🌞!新井慶一です!
10月31日(火)
多胡碑が世界記憶遺産に認定されることになり、万葉集好きで地元出身なのでたいへん嬉しく思います。おめでとう🎈🎊🎉㊗️ございます。僕が通っていた藤岡市立平井小学校の秋の遠足は吉井町の多胡碑でした。小学校🍱1年生の秋の遠足が七輿山古墳でしたからたしか小学校2年生だつたと思う。片道5キロの道のりをお弁当と水筒をリュックサックを背中に乗せて秋晴れの稲穂が黄金色に色づく畔道を一列で歩いた覚えがあります。鏑川の橋を渡り畔道を歩きながらなかなか目的の場所に着かなくて子ども心にどうしてこんなに遠くまで歩くのだろうかと思いながら歩いた🚶‍♀️🚶覚えがあります。誰かが指を指してあの小高い丘だよと言った先が緑色の木々が生い茂った丘の中腹でまだ遠くにあるなあと思った覚えがまるで昨日のことの様に鮮明に覚えています。青い空と木陰の中を石段を歩いて登ったのを微かに記憶するが正直に言うと石碑を見た覚えがありません。たぶん見たと思うけれど、木造の小屋に入ってでもいたのかな。多胡碑には万葉集の中でも特に感動する和歌が石碑に刻まれている。僕が現代語訳で書いてみます。「わたしの恋はまさかも哀しい多胡入りの奥も哀しも」万葉集らしく感情がストレートで素朴でわかりやすい優れた句だと思いませんか。まさかとは今この瞬間、奥は永遠にと訳します。分かりやすく説明すると僕は大好き❤な彼女と別れてしまい悲しくて悲しくて仕方がない今もそれから永遠に悲しくて仕方がない!万葉集の大家の中西進先生👨‍🏫は(万葉集が杜甫や李白と同じぐらいの文学的価値があることを実証された功績で文化勲章受章されました)は👨‍🏫読売新聞朝刊紙面に多胡碑に刻まれた和歌について、この句はけっして恋愛を詠ったのでは無くありとあらゆる人が生きている限り起こり得る愛するものを喪う悲しみを表現していると言う。防人に連れて行かれる息子を哀しむ母親の歎きであったり、娘を交通事故等で失った親の哀しみでも有るという。哀しいという言葉をひとつの和歌で2回使うのはいけない事なのですがこの句は許されているそうです。中西進先生👨‍🏫の「万葉集秀歌集」を是非読んでみてください。多胡碑に刻まれた和歌が注釈入りで代表的名句300句に選ばれて載っています!僕は嬉しくてそこのページだけ繰り返して読みました。群馬県出身者や高崎市藤岡市に生まれた人はほかのページは読まなくても多胡碑に刻まれた和歌が掲載されたところだけでも読んでみてください。1300年前西暦700年の昔私たちの先祖が石に刻んだ言葉に思いを馳せてみる!僕には戦争はしてはいけないよとか家族を大切にしなさいとか命を粗末にしてはいけないよというそんな意味が込められていると思われるからその気持ちを忘れないようにしましょう。じつはそんな些細な地域の伝承を調べるところから文学に興味を持って本を読むきっかけ始まることが多いもの。僕は多胡碑に書かれてある言葉が知りたくてやつとのこと調べて分かったときにそれが優れた和歌であると知ったときにはたいへん嬉しく思いました!
中西進全集が綺麗な装丁で出版中ですが僕が派遣で働かなければ僕自身が生きていけないし暇や時間があるがこころに余裕がないので和歌や万葉集また源氏物語など雅やかな世界には縁遠くなりがちです!

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