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もったいない

もったいないは2種類ある。

ひとつは、小さい選択に関するもの。
もうひとつは、大きい選択に関するもの。
後者は特に、人生における決断くらいのスケールのもの。

小さい選択っていうのが、これを食べずにゴミとしてしまうとか、このお店に来たのに有名な唐揚げを頼まなかったとか、まだスターウォーズを見たことがないとかそういうスケールのことに対するもの。うるさいなって思ってしまうこともあるけど、mottainaiが流行ったときから食料ゴミに関しては少しは意識するようになった。「え〜この映画まだみてないの!もったいない!」というコメントに関しても、興味がわけば手を出すようにしている。何事も経験。

問題は後者の、大きい選択に関する「もったいない」だ。


他人に気軽にもったいないという人

人生では、大きな選択を何度かすると思うが、いけっ!と決めたとしても眠れないほど悩んだとしても、本人にとって大きいことには変わりはない。

私は何か大きな決断をする場面で、三日三晩悩み込んでしまう。吐き気を催すほどに悩む。布団の中で4時間くらい余裕で悩んで毎日寝不足だ。行ったり来たりしながら、たまには家族の意見も聞きながら、最終決定を下す。

それなのに他人は、その決断に対していとも簡単に「もったいない」と言ってくる。

人生の選択を後悔させる言葉だと分からず言っているのか、本当に理解できないがこういう人は一定数いるんだな。
きっと、他人が言った言葉をあまり気にしないタイプの人間なんだろうが、私は気にしいなので「私の何を知ってるんだ?」とモヤッとしてしまう。その一言によって相手をさらに悩ませることもあるのに、言った本人はなんの責任も負ってくれない。


今まで言われた忘れられない
「もったいない。」

①受験
国立大学を志望していたのに私立にしか受からなかった。でも勉強したかった学問ドンピシャの学科には合格していたのでそこに行くことにしたのだ。その選択に「もったいない。」と言ってきた人がいた。浪人を考えている瞬間も少しはあった。その悩みに「もったいない。」と言ってきた人もいた。

両親に言われるのは、何もモヤッとしなかった。だって働いてためたお金を使ってくれていたのだから、払ったお金や払う予定のお金に対して「もったいない。」というのはごもっともなのだ。それに、私のことを理解してくれている家族がいう「もったいない。」には愛があった。

②就職
理系大学大学院に進学。共に進学して就職を選んだ同期は、誰一人研究系の仕事に就かず、みんな営業やSE、開発などの仕事に就いた。私がそうだったように、研究職に向いていないと判断したのだと思う。

この決断には今までにないくらいの「もったいない。」を浴びた。
私だけではない、同期が同じことを言われているのを何度も見てきた。同期が卒業と就職を報告したSNS投稿に「もったいない気がするね。」とコメントをした他人がいた。存在は知っていたが名前もコミュニティーも把握していない同じ学科の同級生。研究を続けようと進学した人たちの本気を近くで見てきたので、こいつぁ何を見てきて研究を続けないことをもったいないと言ったんだ?とドン引きした。名前も顔も覚えていないが、今でも彼のことは忘れられない。

学費を払ってくれた親には、間違いなく申し訳ない気持ちになった。
でも他人が言うことではない。君は私に何を期待してたの?何か君は損をした?君は何を知っているの?どうしたの?

③仕事
お菓子メーカーに就職した私は、開発業務を志望していたが最初は現場を知るために製造現場に配属になった。これは、入社前から言われていたので問題なし。8時間走り回る。毎日変わらず目の前の製品のことを考える。中には世界で一番暇なんじゃないか?と思うような作業もあり「何をしてるんだろう。」と思っちゃうこともあったが、何年間も高品質の製品を会社のために作り続けている現場の人たちをしっかりと尊敬するようになり、あんなに嫌だと思っていた現場仕事も、異動するときにはおいおい泣いた。同僚もおいおい泣いてくれた。異動した後も同じ建物の中、寮の中にいるのにですよ。

現場にいるとき、人生で一番「もったいない。」と言われた。
社外の人にも現場の人にも言われていたので麻痺したし飽きていた。(こんなに一生懸命働いてやりがいを持って頑張っているのに。)と(それは言わないでくれ…。)が入り混じって表情筋を全く使わない顔をここで習得した。

開発に異動すると、ちょっと想像とは違う業務で(テーマからずれるので詳しい業務内容に対する意見は割愛)不満がたまった。
不満を吐露すると、親に「そんなところにいてもったいない」と言われた。異動は自分で決断したことではないし、やりたい仕事とは気持ちがかけ離れた仕事を体調を崩しながらやっていたので、その時は正直「んだよなぁ。」などと思っていた。でも開発に異動すると、他人に「もったいない。」といわれることはなくなった。「(誰もが知っていると自負する有名な)お菓子の新しい味の開発」言葉だけで説明するととても魅力的な仕事だった。

④転職
生活環境と職場環境、体調不良にやられ、辞めたい辞めたいと毎日思っているときに、彼からプロポーズをされた。住まいをどうするか考えて、私がここで仕事を続けるのは二人の理想とする生活には合わなかったので思い切って退職した。思い切って、というが本当は4か月毎日吐きそうになりながら悩んだ結果、彼がいう「大丈夫」と「なんとかなる」に励まされて大企業を離れる決断をしたのだ。

仕事を辞めることに対して「もったいない。」と毎日いろいろな課の人に言われた。その数か月で、この記事をいつかどこかに書くと決意した。自分の決断に少し不安を感じていたのでかなり苦痛だったが、結婚を引き合いに出し「もっとここにいたかったのに、タイミングが来てしまったようです、残念です…」と大げさに残念がった。「もっとここにいたい」は2割真実で8割は大嘘だが、所属していた製造課の人たちに言った時は素直に別れが惜しくて泣いた。本当に近くで最後一緒に働いていた人たちだけが、「正解だよ…」といった。

私は自分に対する自己肯定感が強いので、「もったいない。」と言われるたびに「ここにいたほうが私にとってはもったいないよ。」と心の中で言った。

新しい仕事を始めたがお金に関しては不安。大企業にいれば、座ってるだけでもお金が入っていた。(会社の一部として自分のやるべきことを一生懸命やっているのはサラリーマンとしては当たり前なので、感覚的にはそんな風だった。)でもこれからは、自分で仕事を見つけていかないといけない、言ってしまえば自分自身が動かなければ簡単に家を失える生活だ。やりがいとは別のところに、動かなければ!という強い意志が必要。

それを、私らしいと言う人もいれば、もったいないと言う人もいる。
両者とも同じような気持ちを抱いてるのかもしれないが、言い方ひとつで聞き手の気持ちは変わる。


どうして他人の人生にもったいないと感じるのか

もったいないかどうかはその場にいる本人しか分かり得ないことで、実情を知らない人が言うべき言葉ではない。

というか、他人の人生に「もったいない。」と感じるのっていったいなんなの。

期待?羨望?妬み?
勝手に想像してくれるよな、どいつもこいつも。

自分が思う理想ルートから他人が離れていくと、自分の理想ルートが理想ルートに見えなくなるから?

自分の理想ルートが誰にとってももちろん理想であってほしくて、「大正解シール」を貼って欲しいから?
なのに他人には簡単に不正解を出せる。

ね、身勝手で傲慢な言葉でしょ、「もったいない」

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