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娘が目を覚ます

月曜日の昼下がり。
リビングの端に敷いた小さめの布団の上ですやすやと寝息を立てて眠っていた娘がふと目を覚ました。

少し離れたダイニングテーブルにいる私の手には、お湯を入れて3分間待ちようやく食べ頃になったカップラーメン。今朝、夫と共にかぶりついたトウモロコシ以来の食事だ。


子どもを産む(正確には授かる)まで、知らないことがあまりにも多かった。

〇〇で働いたことがないと知らないこと
〇〇に行ったことがないと知らないこと
〇〇になったことがないと知らないこと……

何事も経験しないと知らないものが大半で、その様々な知らないことと隣り合わせで生きているが、私のこれまでの人生の“想像はできても理解はできない、なってみないと知らない分からないことばっかりランキング”第1位は「親になる」である。
(あくまで現時点の個人的な感想で、大きな病になったことがないと…とかドデカ項目はまだまだあるね)

子どもを育て始めて最初に気が付いたことは
「私のお母さんも、お母さんという生き物ではなくて〇〇〇〇という名前の一個人だったんだな」
ということ。

これよく分からないと思うんだが、
お母さんって私が生まれた時から私のお母さんで、
お母さんであるお母さんしか見たことないから
お母さんはお母さんという生き物なんだ。
みたいな感覚があったわけだ。
(ゲシュタルト大丈夫そ?)

私の母の職業柄、母の個人名を目にすることが他人よりも多かった私でも、母を個として認識できていなかった。

でも人のお母さんになって、あくまですみのえさんという個人の人生に新たな名称と役割が付与されただけで、〇〇ちゃんのお母さんの人生に置き換わるわけではないんだなと理解したのだった。

想像はしていた。
〇〇ちゃんママって呼ばれて認識されるママ友じゃなくて、すみのえさんと認識してくれるママ友なら欲しいな〜夫婦間での呼び名は子どもが生まれても変えたくないな〜と。
にも関わらず、実の母親のことは「お母さん」としか思ってなかったから驚きだったのだ。それが良いとか悪いとかじゃない。いろんな家庭環境があると思うし、あくまで「あたしこんなことに気がついたの!」という報告。もしかしたら親離れしていなかったのかもしれないね。


ーー親になる前の生活に思いを馳せると、(共に子育てをしている夫が学生時代の同級生ということもあり)学生時代の飲み会のことを思い出す。
大勢で話してはいるけど隣の人にだけ靴下に空いた穴を報告したり、咥えた枝豆が一粒だけピュッと飛んでいって前の席の人とだけ静かに笑い合ったり、どさくさに紛れて2個目の唐揚げを頬張ったり、あの子の隣をキープしたいアイツの動向をこっそり観察したり、みんな好きだと思って頼んだけどもしかして私しか食べないの?と半分以上1人で梅水晶を平らげたり……
あの頃には戻りたくても戻れない。子のことを気にせず飲み会に行くような生活に戻った時には感覚が変わっているんだろうな…と無性にあの頃が恋しくなるのだ。

そんなことを懐かしんでいると、私のお母さんという役割を付与された一個人である〇〇〇〇さんも
いろんなことを我慢してきたのかな…
何を犠牲にしてきたかな…
手放したものがあったかな…
やりたいことがあったかな…
私の存在がどう影響してたかな…
と考えざるを得ないのだった。


幼い子どもと過ごしていると、思い通りに動けないことは非常にストレスだと気がつく。
トイレに行く、水を飲む、食事をする、洗濯物を畳む、携帯を触る、本を読む、ゆっくり座る、買い物に行く、掃除機をかける、夕飯を作る…ありとあらゆるタイミングを子ども中心で考えないといけない。考えないといけないというか、考えていてもその通りにならない。
よし今だ!と思ってトイレに向かうも大泣きで追いかけられ、出かける瞬間におむつが汚れ、今日買い物に行かなければ!と気温が高くなる前に準備を済ますも突然娘が強い眠気に襲われるのだ。

思い通りに行動できないことがこんなにも精神を追い込むとは……今まで何度「んああああ!」となったか分からない。なんとなく、思い通りにいかないということは先人の言葉で知ってはいたが、本質は理解できていなかった。

※これから小さな子どもと2人で過ごすようになる人にひとつだけアドバイスがあるとすればこれ。
「子が寝たら!スマホの前に!飲みたくなくても行きたくなくても!水飲んでトイレに行け!」
これはまじ。笑い事ではない。


妊娠出産に関しては、精神が追い込まれすぎて他人にとっては地雷ばかりの人間になっていた。こんなにメンタルやられるの?と自分のこともわからなくなっていた10ヶ月。あの一言もこの一言も、言っちゃいけない言葉(というとかなりおこがましいが)に早変わり。自分だって今までそう声をかけてきたくせに、いざ自分が妊婦になり出産を控えると些細なことで精神を病むのだ。「そんなこと言ってくれるなよ!」がちょいちょいあった。どこまでいっても悩みは尽きないし、他人は想像しにくい。
(はぁ?妊婦メンタルまじうぜ〜、じゃあなんて声かければいいわけ?って思ったら、季節や気温に絡めて母体を気遣う言葉を嘘でもいいから言っておけば良いよ、当たり障りないし嬉しいし間違いない。体型に関しては子が成長しているという意味以外では積極的に言及しないのが吉。)

思い通りにならず我慢が多かったり、小さな生活そのものも、大きな生活そのものも、自分のことは後回し後回しになったりする。こんなにも自分の時間がなく、思い通りにならないとは。

本当に、そんなこと全く知らなかった。



目を覚ました娘は、まだ寝ぼけているのかあたりをキョロキョロと見渡している。彼女は割と穏やかな人間で、私の存在さえ確認出来ていれば眠りから覚めても泣かないことが多い。(もちろん、多いというだけで目を覚まして大激怒大号泣することもあるし、一緒に遊んでいたのに私がどこかへ行くとたとえ同じ部屋にいて姿が見えていても大泣きする。)

私はというと、カップラーメン片手に窓の外を見つめたまま娘の姿を視界の右端に捉えているがもはや窓の外など見ていない。意識は完全に視界の右端にあり、娘がそっぽを向いた瞬間に顔を右へ動かし、様子に異変はないか、周辺に危険がないかを監視し娘の頭の動きに合わせてまた窓の外に目を向ける。

ご機嫌であることをいいことに、娘が声を出し私を呼ぶまで気が付かないフリをすることを決意した。とにかく急いでラーメンを口に運ぶ。
周りにあるおもちゃに手を伸ばしたり絵本を出そうと手をかけたり、お腹にかけていたブランケットの端についたピロピロをいじったりしながら私を見ている。それはそれはもう、ものすごーく見ている。食べ終わる前に私の体に穴が開きそうだ。

これは戦いなのだ。
ひが〜し〜 母の「あら、起きたの?」待ちの娘〜
に〜し〜  娘の泣き声か「あーうー」待ちの母〜

すまん…と心の中で謝りながら窓の外から目を離さず麺をすする。この記事を書きながら、シーフードラーメンだったか醤油ラーメンだったか思い出そうとしているのだが一向に思い出せない。それでもいい、とにかく腹を満たせば勝ちだった。

カップラーメンも終盤に差し掛かったころ、リビングとダイニングを仕切るゲートに手をかけるところまで迫ってきていた娘からようやく「あうあうあいっ」とお声がかかった。
あたかもその声で初めて娘の起床に気が付いたかのように振り向き「あら、起きたの?」と顔を向けるとそこには脚をパタパタと動かし全身で喜びを表す満面の笑みの娘がいた。自分が声を出して私が気がつくという一連の流れが嬉しくて仕方がない様子。
食べる手を止め歩み寄り「おはよう、よく寝たね」と声をかけ抱き上げる。ようやく私に抱っこされて大喜びする娘を膝に乗せ、容器に伸びる手を必死に阻止しながら最後に残った玉子とイカをすくいあげた。(あ!ってことはシーフードだ〜。笑)

娘を監視しつつ無視しながら急いで食べたカップラーメンは、あんなにお腹が空いていたのに全く味がしなかった。

本当に、こんなこと今まで知らなかった。
娘の起床は、試合強制終了の合図。
それはこんなにも、狂おしく愛おしい。

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