最近感じた弁護士業に関すること

街弁という仕事

 弁護士になって半年近くが経った。私は,もともと法律の勉強がすきで,法律をつかって仕事ができるならきっと楽しいだろうと思って弁護士になったタイプだ。修習で事実認定を学んだ時も,この事実を認定できるかというのをあれこれ考えるのは好きだったし,労働しなければならないということは嫌だったが,それでも弁護士になればやりがいは感じられるだろうと思っていた。

 しかし,街弁になってみると,期待していたやりがいは感じられなかった。

理想的な「かわいそうな人」はそうそういない

 街弁として働いて感じたのが依頼者が全然かわいくないということだ。あれしろこれしろ,ここはどうなっているんだ?等なんやかんやと要求が大きい。もちろん,こちらはお金を払ってもらっている側であって,信頼を勝ち取らなければいけないのは承知している……つもりではいる。
 しかし,依頼者の要求に応えていると,これが弁護士の仕事なのか…と失望する瞬間が多い。受任すると相手方は弁護士を介さないと依頼者に連絡をとることができない。そのため,伝書鳩のような業務をしなければならないときがある。そんなつまらない仕事をかわいくもない依頼者のためにしていると心がすさんでしまう……というのが今の状況である。
 特に,国選事件で被疑者・被告人と接して,こんなやつを救わなければいけないのか…と絶望してしまった。

 前澤友作氏がひとり親支援事業を行ったところ,ひとり親が過度な要求をしてきてなんだかなと思ったというような趣旨のツイートをしていた気がする(※ うろ覚え)が,それに対して,とある弁護士が

自分にとって理想的なかわいそうな人なんてそうそういませんよ

と言っていた。
 だから,今後街弁として生きていくのであれば,もっと心を殺していかなければやっていけないだろうなと感じた次第だ。しかし,そんな仕事をつづけていって何になるんだろうか…

ペイする事件の受任

 弁護士はボランティアでやっているわけではない。ビジネスとしてやっている。食える仕事をしなければならない。だから割に合わない仕事はしてはならない。
 当然のことだ。

 たとえ,理想的なかわいそうな人に出くわしたとしても,費用倒れになってしまう,この事件を抱え込んだら他の事件が回らなくなる,依頼者の要求が法的に妥当な点におさまらない……そんな場合には受けてはならない。
 たとえ,おもしろい法的論点や事実認定の課題があっても,リサーチや起案にかかる労力に比較すれば利益が小さいし,受任することはできない。

 しかし,こうしてろ過されていった結果,受けた事件は,結局どれも似たような様相を呈してくる。事実認定上も法的にも問題点が少ない。考えるところがそう大きくないし,やってやろう!という気もおきない。

やりがいのなさの原因

 上記の2点がやりがいのなさの原因だと思う。だから,多分私は街弁をビジネスとしてやる適性がないのだと思う。かわいそうな人は救いたいし,難しい法的論点や事実認定に挑戦したい……つまり,ペイしないような事件を受けたいのである。仮にそんな事件ばかりを受任していたら身が持たないのにね。

 まったくどうしたものか。

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