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『ルックバック』をもう1度見て欲しい

2024年6月28日に全国で公開された映画『ルックバック』は、2021年7月19日に『ジャンプ+』にて公開された143ページからなる藤本タツキ氏の長編読み切り漫画『ルックバック』を題材としたアニメ映画です。

この読み切り漫画の公開時、漫画家をはじめとしたさまざまな分野で活躍されている創作家の方々や、漫画を愛して止まない人々から絶賛の嵐が巻き起こり、各種SNSではトレンド上位を席巻しました。

その影響か、様々な考察が飛び交い、この作品の面白さの厚みに圧倒された人も多いかと思います。

ただ、読み切り公開当時から劇場公開現在に至るまで、僕以外の人物から一切聞くことがなかったのが、『ルックバック』の物語はミルトンの『失楽園』に準拠しているという考察です。

この考察は、単純に物珍しいという事ではなくて、『ルックバック』の物語を楽しむ上でとても重要な視点を与える考察となっており、この考察を前提とすることで、『ルックバック』の物語の持つ別の側面に注目する事が可能だという点でとても重要な考察だと考えています。

何故なら、『ルックバック』の物語の持つ別の側面に注目する事によって、より深く『ルックバック』の感動を体験することが出来るからです。

本noteを通じて、これまであまり語られてこなかった『ルックバック』の物語の裏側を体験していただけたら嬉しいです。

以降『ルックバック』に関するネタバレが含まれます。

必ず『ルックバック』の物語を読む/観るなどした上で閲覧してください。

(筆者は予定が合わず、劇場版を視聴できるのが来週7月3日(水)なので、劇場版についての加筆を後日行います。)


ミルトンの失楽園とは

『失楽園』の概要

『ルックバック』とミルトンの『失楽園』の比較考察に入る前に、前提となるミルトンの『失楽園』について解説を挟みたいと思います。

ミルトンの『失楽園』とは、イギリスを代表するキリスト教の聖書を題材とした文学作品です。

旧約聖書『創世記』(2章ー3章)などを前提とした叙事詩で、神による世界の創造・堕落した天使による神に対する叛逆・楽園に暮らしていた人類の誕生と堕落による追放を描いています。

『失楽園』のあらすじ

読んだことのない方が大半だと思うので、あらすじをざっと紹介しようと思います。

(叙事詩は時系列ごとに書かれていないので、実際には書かれている順番は次の通りではありません。)

この世界を創造した神は自身の後継者として自分の息子(イエス・キリスト)を指名します。
しかし天使の1人ルシファーはそれを了承できず、天界の1/3の勢力を引き連れて叛逆しますが、神の息子の操る雷によって退けられ、仲間たちと一緒に地獄へ逃げ込みます。

地獄に逃げ込んだ堕落した天使たちは、これからの方針について会議します。
様々な意見が出る中、神の敵サタンとなったルシファーは、神によって新しく人間という生き物が作られるらしいから、それを利用して神へ復讐することを計画しており、それを一人で実行すると宣言します。

神は自分に似た姿でアダムという男の人間を創り出します。
アダムは様々な生き物の頂点となって彼らに名前を与えますが、自分の伴侶となり得る存在がいないことに気づき、神に対して女の人間を作って欲しいと願い出ます。
神はそれを了承して、アダムの肋骨を利用してイブという女の人間を創り出され、二人はエデンにある楽園で暮らします。

地獄を抜け出して人間の住む楽園へとやって来たサタン(ルシファー)は「善と悪の知恵を知る木の実を食べてはいけない、食べると死ぬ」という約束が神と人間の間にあることを知り、それを利用することで神へ復讐することが出来ると考え、蛇の体に入り込んで、1人になったイブを唆し、そして木の実を食べさせます。

木の実を食べたイブは、一人で死ぬことを恐れて夫であるアダムにも食べるように勧めます。
アダムは苦悩の末にそれを了承して食べます。
堕落した二人ははじめの内こそ高揚感を味わいますが、やがて互いに互いを責め合います。
そこへ神の代理として神の息子がやってきて、蛇、女、男に対してそれぞれ罰を与えます。

サタン(ルシファー)は地獄へ戻り、計画の成功を報告しますが、周囲にいる堕落した天使たちは神の息子の宣言した通りに、次々に蛇の姿となり、のたうちまわります。
自身も同じように体が変化し、望むようにしゃべることが出来ない状態となり、叶うことのない欲望に振り回され、苦しみ続けることになります。

一方で、人間たちは口論の末に自分たちの行いの原因が自分自身の傲りによるものだと気づき、心の底から悔い改めて涙を流して祈りを捧げます。
彼らの祈りは天界へ届きますが、しかし、堕落してしまったアダムとイブは楽園に置いておくわけにはいかないので、彼らを連れ出すように天使に命令します。
天使はアダムに今後起こる未来について説明し、やがて第二のイブと呼ばれるマリアの元に生まれてくるキリストがその罪を贖うことを伝え、彼らを楽園から連れ出します。
そして、アダムとイブは生まれ育った楽園から旅立ち、新天地へと向かっていきます。

……という物語です。

全体をおぼえるのは大変だと思うので次に示すモチーフについて把握してもらえればと思います。

  • ……絶対的な存在・人の親

  • 悪魔……神をねたむ、人を誑かす存在、堕落天使Satan

  • 男と女……支え合うべき関係・自分の半身

  • 楽園……苦労せずにすべてが手に入る場所・隔絶された場所

  • 知恵の実傲慢の罪……守らなければいけない約束

  • 惨めな姿……地を這いつくばる・喋ることができない・

ルックバックと失楽園

『ルックバック』の物語についてのあらすじは、読み切りを読んでいる、あるいは映画を観ているはずなので今回は割愛します。

今回のnoteで示したいのは『ルックバック』と『失楽園』が類似していることではなく、その関係からどんなことが読み取れるのかということです。

しかし、『ルックバック』と『失楽園』の対応について解説すると、対応を一度示して、『ルックバック』と『失楽園』が類似していることに納得してもらい、その後、個々の表現について説明をする必要があるため、各表現について、二重に説明が必要になってしまいます。

ですので、今回は「ジャンプ」という媒体が『失楽園』を参考にしている作品が多く掲載されていること、そして『ルックバック』の作者である藤本タツキ氏の漫画『チェンソーマン』・『ファイアパンチ』などが『失楽園』を参考にしている可能性が高いという点から『ルックバック』と『失楽園』が関係するかもしれない、という推理を導き出したいと思います。

(つまり、それぞれの対応に関しては、推理を導き出した後で、その表現から作者の意図を考察していく際に紹介していきます。)

ジャンプと失楽園

『ルックバック』と関わりの深い「ジャンプ」および「ジャンプ+」では、ミルトンの『失楽園』、あるいは旧約聖書『創世記』における楽園追放のエピソードに関連した作品が多数存在しています。

例えば『ワンピース』では、知恵の実と悪魔の二つの要素を持つ悪魔の実や、人類の祖であるアダムとイブの名前を冠した特別な植物、宝樹アダム・陽樹イブが登場しています。

また『幽遊白書』第67話「新たなるプロローグ」では、主要な登場人物の一人である蔵馬が、『失楽園』を校内で読んでいる表現がありました。

また『Dr.STONE』では、主人公・千空が自身の境遇を人類の祖であるアダムとイブに準えて「この石の世界(ストーンワールド)のアダムとイブになってやる」というセリフが登場しています。

他にも『タコピーの原罪』では、タイトルに「原罪」が含まれており、また物語の展開に関しても、ミルトンの『失楽園』との関連が見られます。

他の作品にも多数こうした表現が見られますが、挙げだすとキリがないので、今回はこれくらいで切り上げたいと思います。

このように「ジャンプ」および「ジャンプ+」では、ミルトンの『失楽園』、あるいは旧約聖書『創世記』における楽園追放のエピソードに関連した作品が多数存在しているのです。

掲載媒体に掲載された他の複数の作品がミルトンの『失楽園』と関わりが深いことから、『ルックバック』もまた、ミルトンの『失楽園』と関わりが深い可能性がある、と言えると思います。

藤本タツキ氏と『失楽園』

ただ仮に、掲載媒体に関連する他作品がミルトンの『失楽園』と関わり深いとしても、『ルックバック』がそうである可能性はそれ程高いとは言えないと思います。

しかし、『ルックバック』の作者である藤本タツキ氏の代表作である『チェンソーマン』『ファイアパンチ』『さよなら絵里』もまた、ミルトンの『失楽園』と関りの深い作品であれば、どうでしょうか?

もし、そうであるならば『ルックバック』もかなりの確率で『失楽園』と関係している……と言えるようになるはずです。

そして、僕は『チェンソーマン』や『ファイアパンチ』などもまた、ミルトンの『失楽園』と関係していると考えています。

というのも、例えば『チェンソーマン』の第1部では、各トピックで重要になる女性であるパワー・レゼ・姫野先輩の名前、そして物語の展開は、ミルトンの『復楽園』(聖書のエピソードとしては「荒野の誘惑」)と対応しているのです。

(『復楽園』はミルトンの『失楽園』の続編のような立ち位置の作品です。)

キリストが3つの誘惑を退けるエピソード
マキマさん(Ma Ki Ma San)がカミサマ(Ka Mi Sa Man)のアナグラムである点に留意すると、より分かりやすいはずです。

今回は藤本タツキ氏に関して、深く考察したいわけではないので『チェンソーマン』や『ファイアパンチ』、『さよなら絵里』について、これ以上は深堀りしませんが、このように、藤本タツキ氏はミルトンの『失楽園』の影響を強く受けた作家であると考えられます

失楽園を利用して描きたかったこと

以上のように、「ジャンプ」という媒体がミルトンの『失楽園』の影響を受けており、また藤本タツキ氏はミルトンの『失楽園』の影響を受けている作家だと考えられるので、同じく「ジャンプ+」に掲載された藤本タツキ氏の漫画『ルックバック』はミルトンの『失楽園』の影響を受けている可能性があります。

ここからは仮に『ルックバック』が『失楽園』を前提とした作品だったとして、藤本タツキ氏は、『失楽園』を利用した創作方法を使うことによって『ルックバック』内でどんな表現を行おうとしていたのか、について考察していきたいと思います。

漫画が人を変える

ミルトンの『失楽園』を前提に書かれている、と一口に言っても、設定面を借りているだけなのと、物語の構造を借りているのと、キャラクターの心情をなぞっているのでは、全く違った作品になります

『ルックバック』の場合、物語の構造と、なにより、キャラクターの心情をなぞっていると考えられます。

というのも例えば、『ルックバック』の主人公である少女・藤野が学年新聞で漫画を掲載し、周囲の人々から絶賛されている場面から、京本に1枠を譲ったことで漫画に対する自信を砕かれ、必死に絵の練習を続けている場面までの感情の変化は、『失楽園』における悪魔ルシファーが、それまでは神の寵愛を受けていたのに、神が自身の後継者として御子(キリスト)を指名したことで生じた感情の変化と一致しています。

かつては幸福の絶頂を味わいながらも、突然現れたモノによってそれが掻っ攫われてしまい、転落する。

しかしながら、自分こそがその寵愛を受けるべき存在で、誰にも負けるはずがない、という傲慢さから、現実を受け止められずに抗う……という表現が両者には共通してみられるのです。

さらに注目したいのは「役割の変化」です。

というのも、藤野は京本と共同連載を始めるまで「京本」によって倒される「悪魔」の役割を果たしており、また、京本も藤野の傲慢さを挫く「神の御子」として登場していました。

しかし、2人が一緒に漫画を描くようになることでこの役割はダイナミックに変化します。

藤野が小学校の卒業式の後に教師に頼まれて、京本の家に卒業証書を渡しに行く場面について考えてみます。

まず前提として、引きこもりである京本にとって、家とは「閉じた環境」である「楽園」だと考えられます。

そして、藤野がその場で書き上げた漫画は「楽園から連れ出す」知恵の実の役割を果たすと言えるはずです。

この場面では、藤野は悪魔であり、京本は人間であるといえます。

さらに、京本が藤野に対して、ファンであることを告げる場面では、京本は引き続き「人間」であり、と同時に藤野を「神」として崇拝していたことが告げられています。

「神の御子」から「人間」に役割を変化させた京本に対して「悪魔」である藤野は、自身が漫画賞を狙っているとウソをつき、さらにのちの展開によって共同で漫画を描くことを唆していく事になります。

共同で漫画を描くようになる過程で二人の関係は、お互いの欠点を補い、支え合っていくべき「アダムとイブ」の関係となり、二人で過ごす時間は「楽園」の役割に変化していきます。

つまり、場面の変化、視点の変化によって、藤野と京本の二人の関係は「悪魔ー御子」、「悪魔ー人間」、「神ー人間」、「悪魔ー人間」、「人間ー人間」とダイナミックに変化している、ということです。

そして、このダイナミックな役割の変化によって、「漫画を描く」という行為が、また「漫画」という媒体そのものが、どれだけ人を変化させることが出来るのか、が描かれているのだと、僕は考えています。

喪失と楽園の回復

また、ミルトンの『失楽園』は視点を変えて見ると、神が愛してやまない人を失う物語であると考えることが可能であり、またその喪失を神の御子であるキリストが贖うことになると示される物語です。

藤野にとってのイブである京本は「絵が上手くなりたい」が故に一人で行動し、嫉妬に狂わされた悪魔のような人物によってその命が奪われてしまいます。

この場面での喪失は、物語の中で何度も再解釈されていきます。

ある見方から見れば藤野は「イブを失ったアダム」であり、それと同時に藤野は自身が京本を楽園から連れ出してしまったこと、つまり「イブを唆した悪魔」として振る舞った自分を責め、これまで過ごしてきた時間を否定して、あったかもしれない未来を空想していました。

と同時に、この喪失は人間を失った「神」の深い慈愛とも重なり、さらには藤野は、漫画家・藤野キョウとしてふるまうために、自分の御子である京本、そしてあったかもしれない未来を手放しています。

この静かな楽園の喪失と、そして同時に行われる楽園の回復こそが、この『ルックバック』という作品を通じて描こうとしたことであると私は考えています。

楽園の回復が作品に与える効果については下記のnoteを参考にしてもらえればうれしいです。

感想

……という事で、今回は『ルックバック』と『失楽園』の関係から考察できることについて書いてみました。

楽しんでもらえたでしょうか?

本当は書くべきことが他にもたくさんあるのですが、とにかく『ルックバック』とミルトンの『失楽園』が関連している可能性があること、そして、仮に関連しているとしたら別の視点から物語を読むことができること、という内容の部分が伝わっていたら嬉しいです。

『ルックバック』はミルトンの『失楽園』との関連を示す明示的なキーワードが登場しておらず、日常的な風景を感動的に切り取った作品であるため、両者の関連に注目する人物というのは、本当に少ないと思います。

しかし、noteでも示したように、物語全体の展開をミルトンの『失楽園』を元にしている可能性があり、またそうであるかもしれないという前提で物語を振り返った際に、作品が持っているテーマ性はより強調され、またより正確に意図をくみ取ることが可能になるかもしれない……と僕は考えています。

ここで重要になってくることは、僕の考えではなく、僕の考えを前提として、皆さまが『ルックバック』の物語を再解釈していくことです。

なので、ぜひ、ミルトンの『失楽園』を前提として、もう一度『ルックバック』の物語に触れてみて欲しいと思います。

人によっては、物語の展開が整理されることで、却って絵に集中することが出来るかもしれないし、また人によってはストーリーの展開に注目して、新たな発見をしたり、より深い感動と没入体験を得ることが出来るかもしれません。

……なんであれ、みんさまの得る感動の体験をより深く、強烈なモノに出来たらいいなぁ、という想いで、今回のnoteを書いてみました。

出来れば多くの人に読んでもらいたいので、Xなどの各種SNSで拡散していただけるととても助かります。

また、どんな些細なことでもいいので、僕に聞いてみたいことや、伝えたいことがある場合、マシュマロに送ってもらえると嬉しいです……!!

さらに、グーグルフォームにてアンケートを行っているので、回答してもらえると非常に助かります!

ということで、今回のnoteは以上となります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

今後も様々な作品について考察を行っていくので、興味がある方はぜひ応援していただけると嬉しいです。

普段は主にメギド72というソーシャルゲームのストーリーについて考察しているので、そちらを追いかけてもらえると、僕の考察の理解度がより深まり、様々な作品についてより深く物語を楽しむことが出来る等になると思います。

それでは、また別のところでお会いしましょう。
コンゴトモヨロシク……。

参考文献

『ルックバック』

『失楽園』


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