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温故知新

去年、茨城県境町というところで【自動運転】のバスの運行が始まった事をニュースで見た。一般乗用車の自動運転は商品化は進んでいてCMでも見かけるが、それではない。これは『運転手がいない自動運転のバス』だった。完全無人による一般道の走行は道路交通法でまだ認められていないので、このバスにはオペレーターが乗車している。でもオペレーターであって運転手ではない。運転や管理は基本遠隔で行なわれている。

ワタシはこの施策の発展に大きく期待している。このバスの運行開始の際に移住者の女性がインタビューを受けていた。公共交通機関が発達していた都市部から転居してきた方だったが、都市部では特に交通の便に問題なく、自動車の免許がなくても生活できていたので、ここへ来てその足が皆無に等しく買い物などで不自由だったとのこと。このバスの運行は非常にありがたいと言っていた。

ワタシも同じ事を懸念して、移住実現に踏み出せないでいる一人。大学進学から東京に来てそのまま就職。東京で暮らす期間は成人式を迎える年数を超えた。この間、全く自動車免許がなくても不自由を感じた事はない。むしろ駐車場が確保しづらい都会では、むやみに持たない方がいい。だが地方は違う。東京を取り巻く神奈川・埼玉・千葉ですら、公共交通機関は網羅していない。一家に一台の自動車はターミナル駅になってる都市部から離れれば離れるほど必須になっている。自家用車がなければ生活が成り立たないのだ。ワタシ自身、移住のためにこれから免許を取りに行こうにも、免許返納までの期間を思えば良くて10年~15年程度か。バスも走らない場所に移住しようものなら、買い物難民まっしぐらだ。IターンUターンなどを促進している地域には、この自動運転バスの運行を是非とも進めていただきたい。『公共交通機関ある』というのは、特に都会からの移住者にとって心強い安心材料になる。

ワタシがこれから暮らしたいと思ってイメージしているのは【ネオ昭和】なまちだ。こういったIT技術の発達を取り込んで安心を備えた地方の田舎暮らしだ。

ワタシは長崎の離島育ち。小学生の頃は教室の窓の外に映る海の満潮干潮を眺め、下校すれば友達と釣りに行ったり、近くの雑木林へ探検ごっこしに行ったりして過ごしていた。
東京は、最新の情報に最先端の流行、色んな文化が融合していて、交通の便も良くて、このままずっと生涯東京で暮らしていくものだと思っていた。ところが3~4年くらい前から、移住願望が強くなってきている。
三つ子の魂百までか?海や川、湖などの水辺と山の緑が恋しくなってきた。週末に自然に触れるくらいでは落ちつかず、返って水辺や山の存在の恋しさが募る一方。日常生活で水辺や山が近くにある所に住みたい願望が高まり、
移住先を検討し続けている。
未だ移住先が定まらない原因は、ワタシが住みたいと思うような所は公共交通の便が悪く、そして商業的劣化が激しいため、日常生活に大きな支障をきたす。自然環境は望ましいがまちに活気はなくてどこか寂しい。コンビニはおろか日常生活で必要な買い物をするお店が殆どシャッターが下りている。
コロナ禍、『お買い物は3日に1度』などのお達しとは関係なく、週1まとめ買いがレギュラーに。《買い物難民》必須の陸の孤島の多さに驚いている。ワタシは生粋の昭和生まれ育ちだが、昭和の頃って地方の田舎町でももっと活気があったような気がする。

ワタシの育った島は世界遺産に登録された軍艦島同様に、元々海底炭鉱があったことと閉山後に財閥系企業の大きな事業が入り、関西圏から民族大移動があったせいで(うちの家族も移動組)、島の人口が多かった。そのせいか比較的栄えていたのだとは思う。島の中央にはスーパーマーケットが1つと、今でいう《道の駅》のような農家さんや漁師さんが直接販売に来る市場があり、商店街には本屋・電気屋・酒屋・布団屋・洋品店・薬屋・時計屋・駄菓子屋がそれぞれ2~3軒ずつくらいはあった。それ以外にも小学校や住居集落の近くにはコンビニくらいの広さの食品店があった。飲食店も寿司屋・割烹が4~5件の他にラーメン屋や喫茶店なども数件あった。
病院は総合病院が1つ、内科・小児科・外科の個人病院が2つ、歯医者も2つあった。島の中にはタクシーも走っていたし、バスは日中でも1時間に2~3本の循環バスが走っていて、朝夕の通学時間帯は1時間に4本くらいのバスはあった。子どもだったとは言え当時は、島の生活に不便を感じたことはなかった。
離島数日本一の長崎県、違う島へ出かけても、集落から徒歩圏内に個人商店が営む食品店や薬屋、飲食店・金物屋など日常生活の必需品を売ってるお店はあり、田舎なりの活気はあったように記憶している。
今は、ワタシが育った島も人口が減り、スーパーマーケットが1軒残っている程度で、あんなにあった個人商店は殆どシャッターが下りている。
都市部への人口流出・集中化の影響は大きい。

ワタシが暮らしたいとイメージしているのは【ネオ昭和】なまちだ。IT技術の発達を取り込んで安心を備えた地方の田舎暮らしだ。
昭和の頃のように、自然豊かな山村地域でも子どもからお年寄りまで幅広い世代が集い、賑わいや活気があるまち。核家族化が進んで個々の家庭の中がブラックボックスみたいになってしまったけど、そのせいでコミュニケーション下手になってしまっている気がする。昔は山村地域で人口が少なくても、その町村の大人皆んなで子どもを見守り、育ててくれてたように思う。立ち入り禁止区域に《探検ごっこ》と称して入り込んだのが見つかれ、知らないおばちゃんやおじちゃんから怒られた。学校帰りのバス待ちでバス停で居合わせたおばあちゃんに、おみかん貰って一緒に食べた。そういうリアルなコミュニケーションが賑わいや活気に繋がっていたのではないかと思う。IT技術の発展で可能になったネットでのコミュニケーションと、リアルなコミュニケーションを上手く使いこなせるのがこれからの地方暮らしで活性化に繋がるのではないだろうか。

冒頭の自動運転バスの運行だけでなく、分校に集落の子どもが集いオンライン授業を受ける教育機関があってもいい。長い通学時間を経て遠くの学校に集約するのではなく、近くの分校でオンライン授業にすれば時間の効率化が図れる。家ではなく分校に通う事で、子ども同士のリアルなコミュニケーションも取れる。住民が増えれば、もちろん商業的にも活性化してきて賑わいも増えてくる。

西武園ゆうえんちが昭和の街並み再現したり、昭和歌謡曲が注目されたり、今、【昭和回帰】の傾向があるのは、みんなあの頃の賑わいや活気をどこかで求めているのではないか。奇しくもコロナ禍、唯一の恩恵と思えるテレワークが進んで、就農移住以外でも就職を気にせずに住む場所を変えやすくなった。東京をはじめとする都市部では再開発で古き良き建物も破壊の一途をたどっているけど、地方の田舎町で古からの自然を守り共存し、古い良き建物はリノベーションして大切にしたい。その中でIT技術を駆使して交通インフラを整え、個人商店も増えて、子どもから大人まで、年を取っても安心して日常生活ができる、昭和のようなコミュニケーション豊かなまちに暮らしたい。


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