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占いが流行る理由

自分を知ることのたいせつさ

「わくわくすることをしていたらいいんですよね?」そのようにお聞きになる人がいます。それはある意味で正解なのですが、ある意味でまちがいです。

わくわくしていることや楽しいと感じていることが自分の進むべき道がと勘違いしている人がほとんどです。もちろん、それが正しい人もおられますけど。

自分のわくわくや楽しさに従ったからこそ迷い、悩んでいる人のほうが多いです。

かの偉人でさえ、そうだったのですから、ぼくたちのような一般人が迷わないはずはないのです。


かの偉人が遺した言葉


有名な偉人、孔子の言葉です。

孔子の言葉は論語などいくつかの書物として後世に伝えられているのが有名です。

その中でも

「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順したがう。七十にして心の欲するところに従えども、矩のりをこえず」(為政)

に、着目します。

この言葉を完全に覚えているという人は相当マニアックな人だと思うのですが、なんとなくのニュアンスというか、聞いたことはあるよっていう人は多いかと思います。

人生訓とかこれからの自分探しをしている人、生き方を模索している人にとってはなじみ深い言葉なのかもしれません。

現代語訳:(15歳の時学問で身を立てようと志を立てた。30歳で自分の立場ができた。40歳で自分の生き方に迷うことがなくなった。50歳で天から与えられた使命を知った。60歳で人の意見に耳を傾けることができるようになった。70歳になると自分のしたいことをしても、調和が保てるようになった)

当時の平均寿命って何歳くらいだったんでしょう?

孔子は春秋戦国時代末期の人で紀元前552年くらいに生まれ、紀元前479年に74歳で亡くなっています。

「人間五十年・・・」といって死んでいったとされる織田信長公が亡くなったのが1582年ですから、孔子は織田信長よりも2000年前の時代の人です。

そう考えると孔子の生きた時代の平均寿命って相当短かったんじゃないのかな?って思います。栄養状態も衛生状態も悪かったでしょうし、戦乱の世の中でしたからね。

孔子の時代の人たちのほとんどは「立つ」こともなく「惑う」こともなく亡くなっていったんじゃないかと思います。

その時代に長命だった孔子が遺した言葉はやはり価値がありますね。


占いが流行る理由

話は変わって、現代では占いが流行ってきているみたいです。

占いの番組もできましたし、占いのサイトなんかも増えてきました。

無料で占ってくれるサイトなんかもいくつもありますし、YouTubeでも占いを教えていたりもします。

こういった現代に生きる人たちの中で占いが注目される背景には孔子の言葉が関係していると思います。

先行きの見えない、これまで正しいと思ってきた価値感が変わり、学校で教えられることがほんとうにこれからの社会に役立つとは思えなくなった時代を、生きようとする人たちが占いに興味を持っているのだと思います。

そういう人たちはある意味で、まだまだこれからの社会や自分の力に期待をしていると言ってもいい。ほんとうに絶望している人が占いに興味を持つとは思えないから。

何とかしたい、何とか方法があるはずだと思っている人が占いをとっかかりに光をみつけようとしている。

とくに若い人たちや働き盛りの人たち。

これから社会は、仕事は、収入は、どうなっていくんだろう?です。

とはいえ、年金システムとか社会保険システムが破綻したら一気に路頭に迷うのは高齢者ですけどね。

それはさておき、若い人やこれからまだまだ社会に貢献する人たちは迷っているのです。

そこで孔子の言葉

「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順したがう。七十にして心の欲するところに従えども、矩のりをこえず」(為政)

四十にしてして惑わず。五十にして天命を知る。

って長くないですか?

いま20代の人が天命を知る方法はないのでしょうか?天命を知ったら惑うことは少なくなるのではないでしょうか?


四柱推命がおすすめ


孔子が遺した、五十にして天命を知る。これだけではなく孔子は論語の中で

命を知らざれば、以て君子たること無きなり

と語っています。

北宋時代に若くして科挙という試験で第一位合格者となり後に名宰相として有名になりました呂蒙正(りょもうせい)は書物に命運の事実を遺しています。

命や運を受け入れたり受け入れなかったりするのは、本人の自由なのかもしれませんが、あるの?と言われましたら「あります」とお答えしています。

自分の命や運を知り、天命を知ることで、自分が進むべき道や方向性が導かれるのであれば、知ることが不毛だとは思わないでしょう。


四柱推命は古代から受け継がれてきたものです。古代の中国から精査されてきたものです。もともとは王族や貴族のものだった四柱推命をいまのぼくたちが享受できるのはたいへんありがたいことです。

これまでは庶民、農民はいつまでも庶民であり、農民だったからです。天命を知る必要もなかった。あるいは知る必要すらないと思われていたのです。

もともと王や貴族を繁栄させるために発展してきた知識ですので、それだけ膨大な材料と資料があり、仮設と検証を重ねてきたものです。

それゆえ、四柱推命を学べば学ぶほど理論的でありますし、その説明にも納得がいくものです。

そのほかにも天命を知る方法はいくつかあるかと思いますが、伝統的な四柱推命を活用することをぼくはいいのでないのかな?と思います。

まとめ

古代から脈々と続いてきている知識のひとつに四柱推命があります。

四柱推命は命理学とも呼ばれる学問です。しかし、日本では単なる占いの範疇に属しているようです。

みなさんもご存じの偉人に孔子がいます。

孔子はたくさんの言葉を遺したことで有名ですが、その中で「四十にしてして惑わず。五十にして天命を知る。」というものがあります。

有名な孔子も惑い悩んでいたんですね。

その中で天命を知ることが大事だと述べています。

一方で最近占いが流行っています。占いが流行っているのは社会への不安があり、これから先の未来を憂いていることの表れでもあります。

自分の天命を知って、迷うことなく生きていきたい。そう思う人が増えているのでしょう。

たしかに今の社会やこれからを考えたとき、余計なことにエネルギー(これには体力もそうですが時間やお金も含まれます)を浪費していることはできません。そんなところまで困窮しています。

だから天命と呼ばれるものに一心不乱になったほうがいい。そう思う人たちが占いに興味を示しているのだと思います。


ぼくはその中でも四柱推命をおすすめしたいと思います。四柱推命の歴史は古く、その情報の膨大さは他を寄せ付けないからです。10人からとった統計と10万人からとった統計ではどちらが信頼性が高いかはお分かりかと思います。

天命を知り、天命を生きることで、この激動の時代を生き抜いてまいりましょう。




本日もお読みいただき、ありがとうございます。

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