「雨が空から降れば」別役実

「雨が空から降れば」という歌がある。小室等の歌である。フォークグループの六文銭だ。子供の頃からこの曲が好きで、雨が降るたびに口ずさんでいた。「しょうがない、雨の日がしょうがない」と。

最近、今年の3月に亡くなられた別役実の戯曲を読んでいた。別役稔の演劇祭が札幌であり、2つほど別役実作品の公演も観た。「壊れた風景」と「虫たちの日」という作品だ。どちらも面白かった。「淋しいおさかな」の童話集のレビューを書いたとき、「別役実というと六文銭の歌を思い出す」というコメントをいただいた。「ん!?」と思っていたら、読んでいた別役実の戯曲の中に「雨が空から降れば」の台詞が出てきたのだ。

「ふなと会話をしませんか」という商売をする「ふなやー常田富士男とふなとの対話ー」という戯曲の中の一節だ。「淋しいおさかな」の童話の一つ「ふなや」をバージョンアップしたような戯曲になっていて、そのなかに「雨が空から降れば」の歌詞のフレーズが出てくる。

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雨が空から降れば 思い出は地面にしみこむ
雨がシトシト降れば 思い出もシトシトにじむ

黒いコ―モリ傘をさして 街を歩けば
あの街も雨の中 この街も雨の中
電信柱もポストもふるさとも雨の中

しょうがない 雨の日はしょうがない
公園のベンチで一人 おさかなを釣れば
おさかなもまた 雨の中

しょうがない 雨の日はしょうがない・・・

(「ふなやー常田富士男とふなとの対話ー」より)
「雨が空から降れば」作詞:別役実 作曲:小室等

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そうか、そうだったのか。この歌は別役実の作詞だったのか。てっきり小室等の作詞作曲だとばかり思っていた。今まで知らなかった。「電信柱もポストもふるさとも雨の中」というあたりは、確かに別役っぽい。雨の中にポストも街もみんな包まれていく感じがいい。雨が降る中で、何もできず、何もすることもなく、ただ雨を眺めている・・・そんな情景が浮かんでくる。だからいつも、「雨の日はしょうがない」とつぶやきながら、時間を持て余していたのだ。

あらためて考えるとちょっと不思議な「公園のベンチで一人 おさかなを釣れば」というシチュエーション。「公園で魚釣り?釣り堀?」という奇妙な歌詞。それも、「公園にふなとお話しませんか」とバケツにふなを入れてリヤカーを引きながら公園にやってくる「ふなや」の話からこの歌詞が生まれたんだということが分かれば、納得だ。そうか、この「おさかな」は「ふなや」の「ふなの太郎」なのだ。ただ、歌詞はそんな元ネタなど知らなくても、なんとなくどこにでもある公園の池の中で泳いでいる鯉か何かを思い浮かべても問題のないようになっている。

ネットで調べてみると、小室等は唐十郎の状況劇場や早稲田小劇場の音楽を担当していたそうだ。唐十郎作の「少女仮面」を早稲田小劇場が上演したとき(1969年)の「時はゆくゆく」という曲が小室等と演劇との関わりのはじまりだったらしい。

そして、1970年初演の別役実の演劇企画集団66の「スパイものがたり」の音楽を小室等が担当し、そのなかの曲の一つがこの「雨が空から降れば」だったそうだ。1971年の小室等のソロアルバム「私は月には行かないだろう」に収録され、「みんなのうた」にも採用され、その後、南こうせつやかぐや姫などにもカバーされ、多くの人の記憶に残る名曲になった。

私としては、大好きだったこの歌が、別役実とつながっていたことが知れて嬉しい。いいものは、やはりいいいのだ。

ちなみに六文銭は「面影橋から」という歌も好きで、昔、新宿に住んでいたころ、面影橋行きの都電をよく見かけたものだ。この曲は及川恒平・田中信彦作詞、及川恒平作曲なんですね。あぁ、懐かしや。

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