見出し画像

小津安二郎の無声映画『突貫小僧』『出来ごころ』を弁士つきで観賞

Ⓒ1929松竹株式会社「突貫小僧」

北海道文学館での生誕120年・没後60年「小津安二郎 世界が愛した映像詩人」という特別展の一環として無声映画観賞会『突貫小僧』と『出来ごころ』が札幌エルプラザにて、澤登翠さんの活動映画弁士つきで上映会があった。

「突貫小僧」は、最近16ミリフィルムが見つかったことがニュースになっていた。この作品は、家庭での上映用に14分に短縮編集されたフィルムで国立映画アーカイブに所蔵されているものだが、それよりも約6分長いバージョンが近々上映されるらしい。

路地で遊んでいる子供を人さらいが連れ去ろうとするのだが、その子供に手を焼いて・・・。ヤクザの親分のところに連れて行くが、結局は元の家に戻すという他愛もないコントのようなお話だ。とにかく青木富夫の突貫小僧のキャラクターが楽しい。さらわれている身なのに、ちっとも恐がらず、ヤクザな大人たちを遊び相手にイタズラばかり。駄菓子屋で間抜けな人さらいにいろいろなものを買ってもらう突貫小僧。その店でぐるぐると廻る動作が繰り返される。そして廻る度に買い物が増えていく反復。お巡りさんの前でつける髭をめぐるやり取りやヤクザの親分への突貫小僧のイタズラの数々。基本的な小津の手法である<反復>がこのスラップスティックコメディでも徹底されている。小津映画の演出のベースにあるのは、無声映画時代の動作の<反復>なのだと思う。

もう1本の『出来ごころ』は、フーテンの寅さんの原型のような話。坂本武演じる喜八は、寅さん的な気のいいオヤジで、人に優しく面倒見もいいが、学(教養)がなく、女に惚れっぽい。この映画では、工場で働く同僚の次郎(大日向伝)と演芸場に行った帰りに、道で途方に暮れて佇む若い娘(伏見信子)に声をかける。どうやら工場をクビになり、今夜寝るところもないようだ。行きつけの飯屋の女将さん(飯田蝶子)に喜八が頼んでその晩は預かってもらう。その後、娘の春江は飯田蝶子に気に入られて、そのまま飯屋で働くことになるのだが、喜八はすっかり春江に惚れてしまう。喜八には、小学生の息子(突貫小僧)がいるが、春江のことばかり考えて、仕事も手につかない。そんな父を息子は冷たく見ている。「相手にするな」と冷たくしていた隣に住むイケメンの若い同僚の次郎だったが、春江はその次郎を好きになってしまう。面倒見のいいオヤジの喜八は、惚れた女のために一肌脱ぐことになる。飯田蝶子に「春江が次郎のことを好きなので間を取り持ってくれ」と相談されてしまうのだ。自分への結婚の相談かと思って、床屋まで行って待っていた喜八の哀しい喜劇。しかし喜八への配慮もあって、春江の思いに応えようとしない次郎。喜八は酒浸りになって生活が荒れ、息子のことも構わず夜まで帰ってこない。そして息子が病気になって死にそうになる・・・。

そんな、友情と恋の三角関係の人情喜劇だ。最後は、助かった息子だったが、息子の病院代が払えなくて借金をし、北海道に蟹工船に乗って出稼ぎに行くことにする喜八。しかしやっぱり息子に会いたくなって、「オレは一足お先に帰らせてもらうよ」と船から海に飛ぶ込むのだ。なんとも人情味溢れる痛快な終わり方だ。

突貫小僧が、朝に父親の喜八を起こすために、脛を棒で叩く。それは隣の次郎を起こすときにも繰り返され、お得意の<反復>がここでも使われている。また、最後に船で喜八は仲間に、「お前たち、手袋の指はなぜ五本あるか知ってるかい」と聞くと、人夫の一人が「四本だったら手袋に指が一本あまっちゃうからだよ」という喜八が息子から教えてもらったやりとりが繰り返される。それで息子のことを思い出した喜八は、海に突然飛び込むのだ。そしてまた、「海の水はなぜしょっ辛い」「鮭がいるからさ」という息子とのやり取りを繰り返す。

弁士による過剰にも思える「声」が付け加えられていたが、<反復>の演出によって、人情喜劇として見事に笑いと温かさが伝わってくる映画だった。


「突貫小僧」(国立映画アーカイブ所蔵作品)
製作::松竹 1929年 14分(38分)
監督:小津安二郎
原案:野津忠二(野田高悟)
脚本:池田忠雄
撮影:野村昊
出演:斎藤達雄、青木富夫、坂本武

「出来ごころ」
製作:松竹 1933年 101分
監督:小津安二郎
原案:ジェームス・槇
脚本:池田忠雄
撮影:杉本正二郎
美術:脇田世根一
編集:石川和雄
出演:坂本武、伏見信子、突貫小僧、大日向伝、飯田蝶子ほか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?