コミュニティの作り方「WE ARE LONELY、BUT NOT ALONE.     現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ」(佐渡島庸平著)レビュー

 普段は読まないような本だが、今どきのネット世代とコミュニティ作りについて興味があって読んでみた。コミュニティは昔からあるもので今に始まったものではない。ではなぜ、最近、コミュニティという言葉がよく使われるようになってきたのか?かつても村社会は日本のコミュニティのベースにあった。高度経済成長を経て、都市化が進み、地域コミュニティは崩壊し、核家族、会社コミュニティがある程度機能したが、結婚する人が減り、子供も産まなくなり、終身雇用の崩壊と働き方改革で、そういうコミュニティも崩壊した。
「個」の時代が到来し、生き方の自由度は増した。しかし、一方でバラバラになった「個」、「孤独」が大きな社会課題になってきた。
政治学者の中島岳志は、「ナナメの関係が作れる場所が必要だ」とどこかで書いていた。閉鎖的で呪縛性の強いかつての村社会のようなコミュニティではなく、出入り自由なゆるやかな関係のコミュニティ。同調圧力の強い日本にあって、居心地のいい自由な居場所となるようなコミュニティ。そんなものが求められている時代かもしれない。所属するコミュニティは一つである必要はない。出入り自由で、いくつかのコミュニティがあれば、それぞれの場で楽しむことも可能だ。それぞれのコミュニティで、それぞれの顔<ペルソナ>があってもいい。一つのキャラクターに縛れらる必要もない。音楽、スポーツ、仕事、趣味、学び、ボランティア、ママ友、同窓会、NPO・・・なんでもいい。

コミュニティ作りに関する本があまりないので、コミュニティを考える上で一つの材料を提供する意味で書いた本だという。著者の佐渡島庸平氏は、「バガボンド」「ドラゴン桜」「宇宙兄弟」などのヒット漫画の編集者を経て、コルクという会社を起業。状来のビジネスモデルが崩壊している中で、コミュニティの可能性を感じ、コルクラボというオンラインサロンを主宰。編集者という仕事を時代に合わせてアップデートし続けている。「モノが売れない時代はコミュニティでモノを売る」と帯のキャッチコピーにある。

整理されていない情報に触れると、人は自分で情報を選択するという責任を背負う。その自由すぎる故の責任の重さは、多くの人を不安にし、不幸にする。今は、多くの人が情報の爆発に対応できていない。どのように情報を減らすのか、それが仕組みでできていくといい。情報の一つ一つに意思決定をするのではなく、どのコミュニティに入るかだけを意思決定する。そうすると、人は情報爆発に対応できるのではないか。
健全なコミュニティが発展することに、僕は希望を見つけているのだ。(P48)

今、多くの人が抱えているのは、情報が欲しいという欲望ではない。関係性を築きたいという欲望だ。1対Nをインタラクティブにするだけでは足りない。N対Nで複数の関係性を築くことができると、そこを自分の居場所と感じることができる。FacebookやTwitterで繋がっていても、自分と他人を比較してしまうだけで、不幸せになるだけだ。孤独は余計、募る。安全・安心を感じながらつながっている人の数が多ければ、孤独は薄れる。(P113)


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