映画「街の上で」レビュー 下北沢の街が主役

下北沢は若者たちの文化の街だ。サブカルの聖地とも言われる。昔からある演劇のメッカ、小劇場「スズナリ」があり、ライブハウスも多数あり、古着屋や古本屋など個性的な店も多い。お店に集まってくるお客のなかには、魚喃キリコの漫画「南瓜とマヨネーズ」を持ってきて聖地めぐりをしたり、ヴィム・ヴェンダースが立ち寄っただとか語り合っていたりする。若葉竜也とお店の芹澤興人の会話で、「文化ってすごいな、漫画とか小説とか映画とか演劇とか、残るじゃない・・・。街は変わるじゃない」「でも、街も凄いですよ。実際にそこにあったことは変わらないんだから」というようなやりとりがある。変わりゆく街と変わらないもの。そう、この映画は若者たちの恋愛劇だが、街が主役である。下北沢で日々繰り広げられている男たちと女たちのさまざまな物語。出会ったり、浮気したり、ケンカして別れたり、また戻って来たり・・・。そんなささやかな日常が、古着屋や古本屋やカウンターだけの飲み屋や自主映画の撮影の舞台となって繰り広げられる。

今泉力哉は同じ映画を撮り続ける。それは、エリック・ロメールのようでもあり、ホン・サンスのようでもある。淡々と進む恋愛群像劇。
2ショットや引きの画面が多く、アップは多用しない。登場人物の人物関係はいろいろと狭い世界で繋がっている。ラストの朝の別れかけの3組の男女が鉢合わせする場面は笑ってしまう。狭い街ですれ違う男女。

女にフラれた若葉竜也は、ふとライブハウスに立ち寄り音楽を聴いていると、涙を流す美女を見つめている。その美女とタバコを貸し借りを通じて新たな関係が始まるかと思いきや、何も始まらずに吸わないメンソールのタバコだけが手元に残される。あるいは、ラーメン屋のカウンターで彼が見つめる女性は誰かと思っていたら、のちに彼の口から、童貞だった時に出会った風俗嬢だったことがわかる。その彼女とも何も始まらない。そんな風にして男と女はすれ違い、時に映画撮影で初めて会った女の子の家に招かれ、一夜を共にしたりする。それでもセックスには発展しない。友達関係だとなんでも気軽に話せる関係なのに、恋人関係になると、嫉妬したり、独占したり、浮気したり、何かとうまくいかない。それが「好き」であることの証拠だったりもするわけで、そんな面倒臭さこそが人間関係の面白さだ。余計なひとことを言って、相手を傷つけて、そのあとで謝ったり、勝手に役がもらえると誤解して役作りしたり、映画出演が「愛の告白」だと誤解したり、そんな些細な日常のやり取りが面白いのだ。何かと淡白にあっさりやり過ごそうとする今どきの若い人たち。それでも面倒くさい人間関係や恋愛。そんな関係を描くのが今泉力哉は上手いのだ。大袈裟な劇的な物語ではなく、たわいもないささやかな日常のやり取りの滑稽な可笑しさが描かれる。

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