黒沢清「回路」レビュー
未見だった2001年の黒沢清のホラー映画であり、終末映画でもある「回路」を見た。これは黒沢清がのちに撮った「トウキョウソナタ」(2008年)の原型がある。前半はまさにホラー映画だ。インターネットが始まったころ、ネット回線につながるまでの電話回線の音が懐かしい。パソコンの画面のネット回線とつながった不気味な映像。部屋、人影。一人一人が孤独であり、ネットで繋がっているようで繋がってなどいない世界の孤立感が浮き彫りにされていく。死の世界、幽霊たちと繋がる回路がインターネットで結ばれる。死の世界に引きずれこまれる孤立した人たち。麻生久美子が若い。人の後ろ姿が何度も映し出され、それが怖い。後ろで知らないうちにPCモニターに画像が灯り、何かが動き出す。その無防備な後ろ姿にゾクゾクさせられる。そして、死んだ後に残る壁の黒い人型のシミ。
黒沢清の得意の乗り物が要所要所に出てくる。まずは死の世界へと誘うバス。外の風景とバスの車内の不自然な合成。そしてアパートに向かう後ろ姿。階段。続いて、死に憑りつかれた小雪が「どこかへ連れてって」と加藤晴彦に頼み、無人の列車に乗り込む。誰もいない夜の列車も怖い。誰も乗っていないことに不安がる小雪に、「俺がそばにいるだろ」と励ます加藤晴彦だったが、列車は突然止まり、小雪は元の部屋に戻っていってしまう。逃げ出すことに失敗するのだ。映画の後半は一気に終末的世界へと加速していく。ホラー映画から、世界が崩壊する終末のカタストロフィ。好きなんだだなぁ、黒沢清は。人類が破滅して崩壊する世界が。
そして今度は車だ。麻生久美子が母親を救おうとするが手遅れで、車が故障しているところに、加藤晴彦が現れ、二人で小雪を救おうとする。黒沢清がよく使う廃屋となった工場跡で、小雪は黒いビニールで顔を隠して立っているところが不気味だ。しかし、やはり彼女の自殺を止められない。「トウキョウソナタ」でもあったように車でどこかへと向かう二人。世界が廃墟となっている無人の町を麻生久美子は、今度は死に憑りつかれ加藤晴彦を連れて逃げ出そうとする。しかし行き場もなくなって、どん詰まりの海辺へ辿り着くのも「トウキョウソナタ」と同じだ。そこでなんとモーターボートに乗り換えて、二人は死の世界からの脱出を試みる。黒沢清の荒唐無稽さが全開だ。そして冒頭の役所広司が乗っていた船に乗り込み、生きている人がいるかもしれないアフリカを目指すのだ。生き残った人たちが。孤独な死の世界から、どこまでどこまでも逃げようとする物語だ。黒沢清は、バス、列車、車、モーターボート、船と乗り継ぎながら、死の孤独から逃れて生きようとする人々の前進運動を描いている。死が閉じ込められた開かずの間から逃げ出して。孤独の部屋から未知なる世界へと旅立とうというメッセージか。
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